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詩人・茨木のり子のこと

 きのう、日本から荷物が届いた。その中にDVDが1枚入っていた。NHKの「クローズアップ現代」で2022年1月19日に放送された、「茨木のり子 “個”として美しく 〜発見された肉声〜」を録画したものだ。

 私が詩人の茨木のり子さんを知ったのは、新聞に『自分の感受性くらい』という詩が紹介されているのを目にした時だった。20代の初めの頃だっただろうか?詩を読みながら、誰かにゴツンと殴られたような気持ちになった感覚は、今でもはっきりと覚えている。

「自分に厳しい人だなあ」

 それが、茨木のり子という詩人に対する第一印象だった。

 20代の終わりに韓国語を学び始めた時、茨木さんが『ハングルへの道』という書籍を出版していたと知り、すぐ一読した。でも、当時の私には「過去にいち早く韓国語を学んでいた詩人がいたんだなあ」というほどの印象しか残らず、その本は今も実家の本棚に眠っている。

 あれから10数年。残されていた茨木さんの肉声を聞き、「厳しい人だ」という印象のまま、そっと心の引き出しに閉まっていた詩人の想いに、今やっと触れられた気がした。

私は自分を本当に弱い人間で
「だめなやつ」というのはいつもありますのね
ですからね 自分を叱咤激励するというような意味で詩を書いている

 生前、取材をほとんど受けたことがなかったという茨木さんに、最後のインタビューをした女性がいた。元NHKアナウンサーの山根基世さん。彼女は、今あらためて注目されている茨木さんの詩について、こんな風に語っていた。

真実 魂に触れる言葉に触れたいという思いというのが
今 切実になっているんじゃないのかな

SNSで毎日膨大な言葉があふれているけれど
本当に心に響く言葉ってどれくらいありますか

その人が その言葉にかけた歳月 時間
そういうものが見えない力になって表われる気がします

 私は深く頷きながら何度も巻き戻し、山根さんの声に耳を傾けた。これはまるで、「詩とは何か?」という問いに答えてくれている言葉ではないか、と。

 番組の中で、茨木さんの足跡を取材しているノンフィクション作家の梯久美子さんも語っていたように、今の時代は、戦後の混乱期とある種似たような状況なのかもしれないと、戦後ずい分経って生まれた私ですら感じている今。

 先の不安から、誰かが勝手に決めた価値観に従い、惑わされ、抗おうにも逃げられず、心では反対のことを思っていてもそれを表明できない…。私自身もそんなところがあるし、SNSを通して垣間見える人々の心もまた、私とさほど変わらないように思える今。

 「焦っちゃだめなんだよ。自分の弱さを受け止めながら、ブレない心を鍛え、信じる道に進みなさい」

 今は亡き詩人に、そんなメッセージをいただいたような気がした。

 番組の後半では、夫を亡くした翌年から韓国語の勉強を始め、韓国の詩人と韓国語で何通も手紙を交わしたり、韓国の詩を翻訳して日本に紹介することに励んだ茨木さんの姿が紹介されていた。

 そんな茨木さんの詩は、今韓国で次々と翻訳出版され、若い世代にも注目されているという。

ひとりの人間の真摯な仕事は
おもいもかけない遠いところで
小さな小さな渦巻をつくる

———茨木のり子『小さな渦巻』より

 ノンフィクション作家の梯久美子さんが紹介されたこの詩のように、茨木さんの真摯な仕事が、数十年たった今、韓国と日本で小さな渦を巻いているのだ。

 人生の半分を生きてきて、いや、もしかするともう半分もないのかもしれないなと思うことが、最近ずっと続いていた。

 子どもがいようが仕事があろうがワンオペだろうが、それらを言い訳にせず何かを成し遂げている人や、何かを生み出している人たち。インターネット上で目にした誰かと比べては、何もできずに立ち止まっている自分を「だめなやつ」と責めてしまう、そんな日もあった。

 だけど、何もしていないように思える日々の積み重ねの中から、生まれる言葉があるんじゃないのか?そんな日々があったからこそ、見える世界があるんじゃないのか?

 ある人からそう励まされた翌日に茨木さんの肉声を聞き、私はやはり、遠い未来の誰かの心にもちゃんと届く、そんなものを残して一生を終えたいと思った。

どんなに時間がかかっても、どんなにわずかでも。

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