見出し画像

痛みのワーキングメモリ

知ると感じるの間には凄まじいほどの差がある。


少し前までお好み焼きブームだった我が家。我が家というより、私と夫がちょっぴりはまっていたのだが。大きなホットプレートの用意と匂いをつけても構わない環境が整うなら、毎日お昼ご飯にあれを食べたい。正確に言うと、私は夫が焼くお好み焼きを、毎日食べたいのだ。
とはいえ、何よりお出汁が肝心。お好み焼きはお出汁と焼き方がすべてだ。しっかりと丁寧に出汁を取る。そのままごくごくのめるその美味しい出汁を用意するのは私の役目である。あとはたまごは多め、小麦粉をふるいにかけてキャベツをざくざくと刻み、山芋も多めに擦って入れる。そして大きな大きなホットプレートで焼く。

ふんわりふかふかに焼き上がったお好み焼きにソース類をかけたのち、青のりを緑の草原のようにふんだんにかけるのが夫流。

そんな美味しいお好み焼きと、たこ焼きの粉もんパラダイスを家族みんなで堪能していたある日。みんなで鱈腹食べたあとに片付けをしていたら、オフになっていると思い機械の拭き掃除をして私は指を火傷した。これは別に何てことのない、日常の一コマだと思う。

熱を持った部分をかなりしっかりと触ってしまい、見た感じも明らかに火傷という感じだった。「最初にきちんと冷やすのが肝心だからね!」と言いながら夫は、私の指に氷を押し付け私が何度も氷から指を離すのを諭しながら応急処置を施した。とても心配してくれていた。恐らく私はそんな風にしっかりと火傷を負ったのは、はじめてだった。痛かった。火傷自体も、氷に押し付け続けている指のじんじん、ちりちりとした感覚も。とにかく痛かった。はじめての痛みを前に、私は混乱していた。

強烈な混乱と困惑、そして謎の苛立ちで何かが破裂しそうだった。
その場ではみんな楽しい時間を過ごし、あとで夫に確認したが、はたから見ていても私の様子は普通だったようだ。

帰り道に自分でアロエの軟膏を買った。火傷にはアロエをつけるのが良いっていうからね。夫は私が、自分で自分をいたわりケアしようとしていることに、大袈裟ではなく感動し心底喜んでいた。「帰ったらそれ塗ってあげるからね。塗って絆創膏して、お風呂上りもまた新しく塗ってから寝よう」と、いつも通りやさしく私のことをいたわってくれていた。

私は自分のケアがとても苦手で。未だにそれを悪だとすら感じている。
そして夫は、唯一それをよく知っている人間だ。

家に帰り次男を寝かせるのにばたばたしていて、当然軟膏は後回しになった。小さい子どもがいたら当たり前のことだ。でも私は破裂しそうな謎の苛立ちを抱えたままだった。そしてそれは耐え切れず突然破裂した。

私は、自分自身も含めそこにいる誰一人考えるヒマもないくらい瞬間的に「こんなの意味ないよ!!」と、大きな声でアロエ軟膏をゴミ箱に投げ付けていた。夫と次男は突然のことにびっくりしていて、次男は「お母さんしんどいよ、ぎゅ~~~」と私に寄り添い小さな身体で抱き締めてくれた。それでも私の身体は既に極度の緊張状態で、肩甲骨に力を入れながら歯を食いしばって何とか自分の身体を支えて立っている状態だった。

私にとって火傷の痛みは、はじめてのものだった。そして何よりその
❝分かりやすい❞
❝目に見える❞
痛みを前にして、その場で家族がケアをしてくれたということが、
ほとんどはじめてだったのだ。

何を言っているか分からないかもしれないが。私は火傷したことは過去にもある。料理をしていたら腕や指が鍋やフライパンに触れることくらい誰でもあると思う。ただ、その時の母親の反応は「それくらいほっとけば直ぐ治る」というものだった。それは火傷に限らずで、日常的に殴られたり蹴られたりしていると痛みに対してのケアというものは存在しないに等しかった。寧ろ、それは自分が受けて当然の痛みであり、そんなことくらい乗り越えなければお前の居場所はない。という強烈なものだった。それは純粋に❝痛みを痛みと思わない❞とするのに子どもの私には十分だった。

母親との縁を切り色々なものを切り離しトラウマ治療を受けるようになり、それが典型的なPTSDの症状のひとつ「解離状態」であることが分かった。
考えてみると夫に「身体は痛くないか?」と訊かれても痛くないと即答か、何て答えたら良いか分からないシーンというのがここまで山ほどあった。


そもそもこっちに来て認識したが私は歯医者が苦手だし嫌いだ。
でもそれは音や匂いが嫌なのではなく。「痛かったら手を挙げてください」と言われるのが物凄く苦手で嫌いなのだ。そんなこと言われても困ります!!(医者だって困ってしまう)と言いたくなるし、大声で叫びながら暴れたくなるくらいのムズムズした気持ち悪さで爆発しそうになる。

我慢出来ないくらい痛くなったら手を挙げたら良いのだろうか、
そもそも我慢出来ないくらいの痛みなんて、ほとんどないだろう。
我慢出来る痛みに対して痛いかと訊かれたところでどうやって答えたら良いのだろうか、そもそも痛いって何だ、どれを痛いと言えば良いのだ?

という感じで、混乱して自分がバラバラになりそうになるのだ。

認知処理療法(CPT-C)やEMDRと治療をやってみて、頭で考える扱えるもの、理屈の部分の処理は物凄い吸収で進めていけるのが分かった。(毎回その治療を受ける日を迎える度に身体は重く痛み、拒絶感は凄くとても苦しかったが、確実に前に進んでいる感じはあった。とにかく。自分のトラウマを扱うのが楽な人なんてひとりもいないだろうと思う。)
そもそも、治療を受ける前に専門の先生から「そりゃあ、既にご夫婦で曝露療法をずっとやり続けてきたようなもんですね」と言われるくらい。私達夫婦間でのトラウマの扱いは凄まじく、必死になって一緒に戦い続けていた。

ただ、治療を進めある一定のところから「頭では分かるが感じられない」「前とは違うし分かることも増えたが身体の拒否感、不快感が酷い」というところにぶち当たる。認知のズレがどこかも分かる、処理の仕方も分かる。だが感覚を伴わない。それはネガティブな感覚に支配されてポジティブな感覚が分からなくなる、とも説明出来ると思う。どれだけ進めても❝良い感覚❞が身につかないのだ。感じられない。

そこから顕在記憶と潜在記憶の話になり、感覚にフォーカスした治療が始まるのだが。ボディ・コネクト・セラピーやコミュニティ・トレモ(通称コ・トレモ)に関してはまた改めて書こうと思う。


歯医者の話ともうひとつ。息子ふたりの出産の話を書こう。

私はふたりともかなりの安産だった。それは良かったのだが
長男の出産間近の私の最大の心配は陣痛が来たら本当に分かるだろうか?ということだった。

当時、産婦人科の先生にも「私みたいな、かなり鈍感なタイプでも陣痛が来たらちゃんと分かりますか!?」と大真面目に訊いたのを覚えている。
本気でそれが不安だった。今思うとそれは❝色々な意味で❞不安だったのだが。先生は大笑いして「絶対に分かります!(笑)大丈夫ですよ、ちゃんと分かりますから」と私に言った。

実際当日の朝には「あ、確かにこれは陣痛っぽいぞ」という陣痛の痛みを感じることが出来た。それでも、いざ産まれるという瞬間には
「あ~鼻から西瓜ってなるほどな確かに」なんて呑気なことを思っていた。
友人達には出産前後の話も含めて「あんたの出産話は全く参考にならんわ!」と言われたが、とにかく子どもが元気に産まれてきてくれたことで私にとっては何の問題もなかった。

それから9年のブランクののち、次男の出産を迎えることになるのだが。
長男の時の経験は遥か彼方昔で実質はじめてのお産のような気分だったが、前回自分が陣痛が来てそれをちゃんと分かった!という部分では前より余裕があった。

それでも結果は「これくらいの痛みならまだ陣痛じゃないな~」と思っていた痛みはバッチリ陣痛だったし、自分でタクシーに乗り病院に着いてすぐさま看護師さんに「病院に来ていなかったら間違いなく自宅で産まれてましたね(笑)こりゃ、ヘタしたらあと30分くらいで産まれちゃうかもね~」と言われるような状態だった。

当時の私は「自分はやっぱり鈍感な馬鹿だ」と。真面目に思い、
そして自分のことを心の中で罵った。


❝知っていても感じられない❞というのは知らないも同然で、私はそれが本当に苦しくて堪らなかった。頭では分かるのに、身体が引き裂かれるような気持ち悪さで爆発しそうでいつも身体に力を入れて。それで幾度となく、夫とぶつかり合ってきたのだ。この「❝良い感覚❞が身につかない。感じられない」とも書いた、何度も出てくる「感じられない」とは一体何を指すものなのか。一体何の感覚が伴わないのか。

それは【安心・安全感】のことだ。

これを感じられないというのは
“頭では大丈夫だと分かるのに安心出来ない”状態なのだ。

そして私がずっと欲しかった、感じられなかったその安心・安全感が、夫には当たり前のようにあった。それが憎くて憎くて、夫に対して腹が立って仕方のなかった時期も長かった。夫からすれば私は「普通」に見え、当たり前のことも知っている。❝他では出来ている❞、❝他の人に当てはめると分かる❞にも関わらず、なのだ。

何故、自分に対してだけこんな風に反応してしまうのかと。
彼にとってもまた頭を抱えることだった。

私は、夫との時間が増えて知れば知るほど、夫が当たり前としている感覚や家庭環境が存在するなら、自分のあれは何だったのだろうと悩み苦しんだ。

肯定をすることで(自分を)否定しなければならないその感覚は強烈だった。親から愛していると言われながら殴られたら、お前のためだと人格を否定され続けたら、親に愛されたいと願う子どもは、すべてをそのまま中に入れとにかく親に対して全力で応えるだろう。バイアスがかかり❝そんな理不尽なことは起きない❞と脳が処理するのが人間だ。二十数年間誰とも話したことのない、自分の家の問題、自分自身そのものの成り立ちの問題だ。生きるか死ぬかで必死に❝なかったことにしてきた❞ことの掘り返しだ。

「痛くないと思ったらそれは痛くない」

そうやって身体で覚えてきた私が、自分の本来の感覚を知り感じるには当然かなりの時間がかかった。それは安心・安全感を頭ではなく、感覚として身につけることで。本来赤ちゃんや子どもが自然と身につけていくことだ。

そして私のそれらの感覚を必死に理解しようとする相手と共有すること、その大事な相手にケアしてもらうこと、それを認めるのには何より自分で自分を認める、自分自身をケアすることの難しさから逃げようがなかった。

それが治療をはじめて数年、今ようやくここまできた。
コ・トレモの治療や夫との共有具合、子ども達との時間、色々な時間の中で大分感覚を取り戻し身体が正常な反応を出してくれるところまできたのだ。例えば、身体を打ったら痛い、無理をしたら身体は疲れる、というのが❝感覚的❞に少しずつ分かるようになった。

夫は私に会ってすぐの頃から「あなたは非常ベルが壊れている」と言っていたし、先生は「火災報知器が誤作動してしまうのを通常運転に戻そう」と言ってくれていた。人間は危険だと感じたら心や身体をゆるめない。
殺されるかもしれない場所で迂闊に寝たりしないように。突然の理不尽な暴力を受ける場所でリラックスなんて出来ない。私には、感覚を遮断してひたすらに不安や恐怖に対して身構えるしか術がなかった。不意打ちで殴られるのと、構えて殴られるのでは受けるダメージの大きさは全然違う。それは身体的なものも精神的なものも、だ。私にとっては身体的なものはまだマシだった。何より一旦その場では済むのだから。それに対し暴言のシャワーを小さい頃から浴び続けていると、それはその場で済む問題ではなくなる。

そんな私に今は、火傷をしたら瞬時に冷やすよう促し心配してくれる家族がいるのだ。どうも世間一般的には当たり前のようなのだが、私はまだまだ慣れない。反射的にハネたり、無意識にスルーしてしまう。可笑しな話だが、ケアされると(頭では分かるが理屈ではなく)こわくなるのだ。ケアを受けるということは、それに見合う働きを更に更にしていかないといけないと、自動的に緊張状態になる。(夫が見ていても未だに、その自動的緊張状態になっている様子は外からは全く分からないようだが)


・・・アロエ軟膏を投げ付け硬直状態の私に、夫は触って良いかと確認したのち、固まった肩甲骨を撫でてくれた。私はあっという間にどんどんと溢れ「どうしたら良いのか分からない!」「痛かった!!」「軟膏塗ってくれるって言ったのに!」と泣きながら夫に訴えていた。子どものように泣いて訴え夫に抱きかかえられながら、そこからゆっくりと、どういう心の動きがあったのかを自分でも分からないなりに言葉にしてみた。

私はまだまだ処理の仕方が分からなかった。私達夫婦は普段離れている分、目の前でケガをしてケアすること自体もほとんどない。そもそもこれは、私自身が痛いことを痛いと分かるようになってから、感覚を伴ってからはじめての出来事だったと言える。この年で恥ずかしいのだが、火傷した自分が痛かったこと、それを家族に伝えること、心配してもらうこと、ケアしてもらうこと、自分でケアすること、私にははじめての経験だった。

夫が当たり前のように心配してケアしてくれることも不安だったし、今自分が指が痛くてこれはどれくらい痛い!と伝えて良いのだろうか、どんな態度が正しいのだろうか、というか何でこんな痛いんだ!?!?!痛い!!!おかしい!!!!!私はもっと痛みに耐えられたのに!!と自分を責めたり。それはもう混乱が混乱を呼び、更に大きな不安が押し寄せ、大事な家族を前にしたらどんどこどんどこ迫ってきていて、本当にもうパニックだった。今までならケガは大体「自業自得」と言われる一択で、ケガをすると自分自身が自分に対して「ざまあみろ、お前が悪い」と思うような状態が長かったので、何だかよく分からない夢のような感覚だった。

夫は私の話をしっかり丁寧に聴いてくれ、次男にもこわかったね、ごめんねと伝え、私はその場で直ぐに軟膏を塗ってもらった。夫に対して説明して言葉に出来たことで身体もゆるみほっとした。

痛みに関しての取扱いというのは、こういう具体的な場面に出くわさないとなかなか難しいことを実感した出来事だ。火傷は痛かったが、みんなでいる時にきちんと知ることが出来て良かったのだと。あぁ、子ども達がケガをした時に「それくらいで」という態度を取らず、安心して心配したりケアをして良いんだと。それを感じられて涙が出るほど嬉しかった。ずっとうらやましかった夫の当たり前の感覚を、一緒に子ども達に見せてあげられることは私にとってこの上ない幸せだ。


安心・安全感を頭ではなく、感覚として身につけること。
それは本来赤ちゃんや子どもが自然と身につけていくこと。

それをどうにか取り戻そうと、自分と長男のためにここに来た。

あの環境で私や長男が身につけた、つけざるを得なかった、生きる術は、
今生きている中で支障を来たすことが多々あるが。
安心・安全感さえ取り戻せたら、大丈夫だ。
自分を殺すことなく、捨てることなく生きていける。


#トラウマケア #家族 #夫婦 #認知処理療法 #EMDR #コミュニティ・トレモ #PTSD #火傷 #BSP #解離 #BCT #複雑性PTSD #心理的虐待

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?