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自分で磨かなくちゃね、

文字の感触に安心している。

これはあの場所の、あの感覚だ、と、今ここにいる自分にこんな風に過去が、関与するなんて、至極不思議に思える。

小学生の私は、夏休みになると大好きな祖父母の家に泊まりに行っていた。
一週間くらいだったかもしれない、そこには恐怖はなく、ただただ少し埃っぽい、あたたかな日差しの部屋で、ひたすら本を読んでいた。
祖父がつけている映画のチャンネル、具は二種類のシンプルなお味噌汁。
祖母がむいてくれるグレープフルーツのかおり。
すべてが少しずつ軋んだ音のする家なのに、
すべてがひたすら、やさしかった。

あのときの感覚に、今ここにいる私が助けてもらっている。

本を読み、紙の感触と文字に触れ、文章を味わう。楽しい。
また楽しく本を読んでいる。

こりゃすごいな、入院生活。手術も無事に終わり、現在入院五日目にして、このささやかな感動をひとりで噛みしめている。

池袋の東急ハンズが閉店してしまうというニュースに思いの外ショックを受けていたのが確か2021年の秋。

2021年は春頃「ノマドランド」「アンモナイトの目覚め」「ファーザー」を映画館で観た。「ライトハウス」や「最後の決闘裁判」をひとりで観に行っていたのもこの年。忘れちゃいかん楽しみにしていた「DUNE」もだ。
そう考えると中々面白い年だった。

私にとってあそこの東急ハンズは、生まれ育った街の一部だった。
夫とロサの話を時々するが、重要なあの時間あの時期に、もしかしたら私達夫婦はあの街ですれ違っていたかもしれないことに、非常に感慨深いものがあった。私にとって池袋の映画館、なかでもロサは、印象深い場所なのだ。

私の中にある祖母や祖父との記憶は、あたたかく、今の私を支える土台になったものたちである。
自分にとっての誰か、自分を無条件に愛してくれるひと、そういうひとと手を繋ぎ歩くあの空気や温度、ただ、そこにいるだけで大丈夫な時間、それがほんの一瞬の出来事だったとしても、
それは生きる力だった。

トラウマ治療の中で『安心・安全な場所』をイメージする場面があるのだが。苦しくなることの多い治療の中、私は出来るだけその場所を心で強く持つようにした。

はじめて安心・安全な場所を訊かれたとき、それを思い浮かべたとき、
祖父と歩くハンズ前の通りや、映画館のチケットを買う窓口、あの映画館の椅子の感触、祖母と一緒に行くパン屋のにおい、どれも今尚くっきりと自分の中にあるのだと認識することになった。
それらが重要で大事な記憶だと改めて意識したことはなかったが、それでもスライドショーのように心に映るその記憶は、無意識に、その感覚を私自身に思い出させていたと思う。

あの街は私にとってそういう力のある場所だった。

喪失感や焦燥感、苛立ちに絶望。
こころがひりひりする状態が繰り返しつづいている。

と書き出しているような書き途中のものが、
そのハンズ閉店の2021年にはいくつもいくつも積み重なっていた。

ひりひりと、グザヴィエ・ドランの映画のように。そこにいる彼のように。
これだけ、縮こまり少し緩んではまた縮こまりと、極度の萎縮と多少の弛緩を繰り返すならば。いい加減伸縮度が爆上がりし、こころがよりしなやかであっても良い、そうあって欲しいと思う。

大丈夫だと思えるようになったこと、
安心を感じられたこと、
それらをまた疑わないといけない状態にある自分を、奮い立たすエネルギーが今、ここにない。
自分の人生なのに。自分とタッグを組むのが一番難しくて忌々しい。

虐待、あらゆる暴力を“見て見ぬふり”して【なかったことにした】自分を、何より信用出来ないと感じる強烈なジレンマ。

どれだけトラウマの取扱いがすすみ、小さい頃の自分「を」赦すことが出来たとしても。小さな頃の自分「が」赦すことが出来たとしても。
尊厳を脅かされたり、脅かされそうになると途端に今ここにいる自分の価値や信用が、積み上げてきたものが、ぐしゃりと崩れ落ちる。

正解を当てにいくんじゃなくて、ご機嫌を見つける。
頑張って整理して解放してまだたたかっている。
と書いていたのも同じ年。


せっかくの入院生活、
自分自身のあれこれ成仏させるぞという気持ちになってきた。

トラウマ治療の中で自分のパーツを

▲管理者(指示を出す人、管理をしながら自分を守る人)
▲消防士(現場で火消しをする人)
▲幼い過去の自分
と、トライアングルのパーツで考える場面がある。

私の場合この管理者が要で、かなりの働き者、異常に仕事をする。
危険を回避する役目だから責任重大、何せ気を抜けない。
でもそのおかげで何とか守られ生きてきたという実感もある。
消防士は、その都度の現場の自分というイメージなので当然火消しがうまくいかないこともあって、こいつが中々、管理者からの信頼を得られない。

どんなに幼い頃の傷付いた自分に寄り添い育て直しが順番に進み理解が進んでも、そこにどんなに安心が積み重なっても、管理者は休まない。
また【なかったことにした】りしないように、幼い過去の自分のように暴力に耐えなくて済むように。
管理者が安心することは死を意味するような、そんな感覚で。

そうして押し合いへし合い、ぎったんばっこん、進んでもまた戻り、
それで良いとは思うものの、
その強烈なジレンマに頭や心がショートする。
身体は憑き物がついているかのように肩甲骨と肩全体が重い。

痛くて苦しいのだ。

そういう状態が何年もこちらに来てから続き、
私は本を読む気力も、自分自身との協力も困難を極め、
今こんな風に安心の感覚を少しずつ取り戻せるのが本当に嬉しくて嘘のようだと思っている。「取り戻せる」なんて。自分にあったのだなぁと。
それは元々自分にあったものを指す言葉であり、
私自身が、自分に対してそう思えるようになるのに本当に何十年かかっているのか分からない。

夫の口癖のひとつに「簡単に出来たものは簡単になくなっていく。
そのかわり、時間をかけて身につけたものはそう簡単にはなくならない。」

ってのがあるのだけど。のろいにも聴こえるそのセリフに、今はふんふんと頷ける。こうやってまた本を読めると思っていなかったよ。

岩波書店のこのハードカバーのモモ。
岩波書店のハードカバーのこのサイズと重量感、におい、文字の感触、読んでいるとやわらかいあたたかいものに包まれている安心感がある。

長い休みになる夏休み、祖父母の家に泊まりに行く度、少し歩いたら行ける大きな図書館で山盛り本を借りていた。
本を読み、没頭出来る、あの安心感なのだと思う。

小学校一年生のクリスマスにもらったプレゼントはやっぱり岩波書店のハードカバーの本で、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だった。
私にとって本を読むはじまりの一冊である。
大草原シリーズも岩波書店のこのサイズですべて読んだ。
何だか分からないが、あの安心の場所に強く結びつく岩波書店のハードカバーシリーズをこうしてまた読めるようになって、涙が出る。

「アンモナイトの目覚め」にね、母と娘のやり取りで
自分で磨かなくちゃね、って言うシーンがあって。
私はそのシーンでぼろぼろ泣いていたんだけど。
とても好きなんだ、そのシーンが。母と娘の組み合わせが出るとどうにも苦しく、反応が過剰になってしまうけど、今はそうしてたくさん感じたり考えたりしながら映画を色々観に行けてとてもしあわせ。

休むチャンスだから休みなさいって送り出してくれた夫、
死にぞこないの最低の気持ちからちゃんと何とかなったよ。
いつも一緒にいてくれてありがとう。
取り敢えずでデスクの上から持ってきてもらった四冊は、昨日の夕方から今日の夕方で読み終わったよ。今は最後にとっておいたモモをわくわくしながら読んでる。復活したらまた映画館に行こうね。一緒にたくさん映画を観てああだこうだ言い合おう。
そして、明日読む次の本お願いします。

#岩波書店 #ミヒャエル・エンデ #トラウマ治療 #入院生活


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