はじめに。
書きなさいな。
夫は事あるごとに私に、そう言ってくれていた。
私達家族は、私達夫婦は、とても特殊な生活のかたちの中で言葉を交わす。必要なだけ、山ほど。本当に山ほど。
目まぐるしく勉強し続けたこの5年間、物理的には家族はバラバラである。現在一緒に生活しているのは私と次男のみ。
言葉を交わす、なんて生易しいものじゃなく、私達は言葉をたたかわせ、ひたすら丁寧にしつこくやり続けてきたのだ。その確認作業は本当にお互い血まみれという感じで。生活を共にする家族や夫婦も真っ青なくらいの時間量、話して話して話して。365日、5年間やってきた。
それはもう全く意味の分からないことばかりだった。お互いの持つ言葉や意味を、自分自身そのものをひっくり返しつくりなおす必要があった。
気が狂うほど話をし続ける中でも、手帳に書いたりノートに書いたり、FAXで書いた文字を送ったりテキストに起こしたり、とにかく私にとって言葉を書き起こす作業は必要不可欠だった。
息子も自分も大事なものを取り戻している今、
尚のこと私にとっては言葉が重要なのだ。
そんなことで、今回ふとした拍子に触れた文字は
そこにある遠くに暮らす友人の欠片は、とても尊い、生活の欠片だった。
掬い上げられるような気持ちであぁ、私も言葉をしたためようと思った。
5年越しだ。
私がとても重要なことを手帳に書き起こし読んでもらった時に夫が
「うん、あなたの書いていた言葉は、大事に大事に窓辺に並べているような感じだったよ」と言ってくれた。何だかほっとして凄く嬉しくて。
救われた。
言葉は、母親から自分を守ってきた、私そのもの。
まだまだしつこくやり続けるよ。
母親との決別。虐待。治療。
生活について。子育てについて。夫婦について。
ここに書いていきます。
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