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「俳優の言葉。009田中泯 篇」 (「ほぼ日刊イトイ新聞」)

☆mediopos2628  2022.1.26

犬童一心監督による田中泯のドキュメンタリー
『名付けようのない踊り』の公開が1月28日に始まるが

その公開にあわせたかたちで
「ほぼ日刊イトイ新聞」の
「俳優の言葉。009 田中泯 篇」の連載が始まっている

田中泯は俳優としての出演も数多くあるが
自身としてはあくまでも「ダンサー」であって
「俳優」ではないという

「ダンサー」であるか「俳優」であるかの違いには
おそらく身体と言葉の関係がある

「ダンサー」にしても「俳優」にしても
「存在感の源、魅力の源は「その身体」」なのだろうが

あえて極論を図式的にいうならば
「身体」で演じているのが「ダンサー」
「言葉」で演じているのが「俳優」ということになろうか

田中泯が映画に役者として出演しているときには
「常識的に言えば、踊っているようには見えない」ものの
「自分としては踊るような状態で演技してる」のだという
「まずは「身体」があって、そこから、言葉が出ていく」

おそらく役者として田中泯がよく起用されるのは
身体性ゆえの存在感
または言葉そのものの身体性が
普通の役者ではつくりだせない異質な実在感を
映像表現できるからなのだろう

現代は言葉と身体が切り離され
大地性に根づかない身体と
身体性の希薄な言葉とが
ちぐはぐなままぎくしゃくと動き話されている
そんな感じを受けることが多くある

スポーツが身体性を補完し得ているかというと
特別な場合を除いてむしろ
身体性をスポイルしているところも
多分にあるようにも感じられる

身体と言葉とは
身体から生まれる言葉と
言葉から生まれる身体が
複雑かつ交錯したかたちで関係しあっていて
それを分けてとらえることはできないところがあるが

むしろ身体と言葉をともに成立させている
ある種の根源的霊性とでもいえるものがあるのではないか
そこからさまざまな芸能や芸術も生まれてくるようなそんな

■「俳優の言葉。009 田中泯 篇」
 (「ほぼ日刊イトイ新聞」)

「第1回 ぼくは俳優ではない。(2022-01-24)」

「── それではあらためて‥‥なのですが、
   泯さんが、
   ご自身は、あくまでも「ダンサー」であって、
   「俳優」ではないと
   以前からおっしゃっている‥‥ということは、
   重々、存じ上げているんです。

 泯  ええ。」

「── 今回、犬童一心監督がおつくりになった
    ドキュメンタリー映画で、
    さまざまな場で踊る泯さんを見ました。
    そうしたら、勝手な感想ですが、
    画家の熊谷守一さんを演じているときの
    山﨑努さんだとか、
    一人芝居をやっているイッセー尾形さん、
    あるいは、
    東京乾電池で演技の稽古をつけている
    柄本明さんなど、
    自分が尊敬する俳優さんたちと、
    どこかが‥‥重なるような感じも受けて。

泯   言葉のありなしは、ありますけどね。
    たとえば、山﨑さんや柄本さん、
    イッセー尾形さんらのやっていることが、
    言葉というものを一切封印して、
    まったくの無言で成り立つかと考えたら、
    どうだろう。
    その点、踊りなら言葉を一言も発さずに、
    一日中、見せ続けることができますから。
──  はい。ですので、
    まずは、そのあたりの「違い」も含めて、
    どうして「泯さんは俳優ではない」のか、
    おうかがいできたらと思いました。

泯   ぼくは、それまで57年生きてきて、
    演技なんかやったことなかったんですよ。
    まず、「言葉」が苦手だったし。

──  そうなんですか。

泯   だから‥‥映画に出たことをきっかけに、
    (注:『たそがれ清兵衛』)
    ぼく自身、
    自分の中にある「言葉」というものを、
    どんどん、
    外へ開放するようになっていったんです。
    それまでは、
    どうしようもなく無口な人間だったので。

──  それこそ、ずっと黙って‥‥踊って。

泯   ただ、それはぼくだけじゃなくて、
    多くのダンサー、舞踊を目指す人たちは、
    どこかで言葉を苦手にしています。
    と言っても、外へ出すのが苦手なだけで、
    じつは、頭の中は言葉だらけです。
    いろんな言葉が、次々と、
    浮かんでは消え、浮かんでは消え‥‥て、
    それらが、脳内にみっちり充満している。

──  頭の中では「おしゃべり」だ、と。

泯   だって、ダンサーであろうがなかろうが、
    わたしたち現代人は、
    言葉と一緒になって生きてるわけだから。

──  はい。

泯   言葉なしの時間なんか、ないでしょう。
    一日中、脳内で言葉がうごめいている。
    それがわたしたち現代人の、
    むしろ、ふつうのことじゃないですか。

──  そうですね。

泯   いつからか、
    言葉が身体より優先するようになった。
    現代では、身体は、
    言葉に置いていかれちゃってるんです。
    ちょっと前に
    東京でオリンピックがあったけれども、
    もし仮に、
    スポーツというものが禁じられたら、
    人間社会はバランスを崩して、
    もっと危うくなっていく気がしますね。

──  言葉と身体のバランス‥‥が崩れて、
    頭でっかちな社会になってしまって。

泯   それくらい身体とはすごいものだって、
    ずっと思っているんです。
    いま名前の出た山﨑さんや柄本さんは
    とくにそうですけど、
    彼らには舞台で鍛えた身体があります。

──  ええ。」

「── 言葉をあやつる俳優さんにしても、
    存在感の源、
    魅力の源は「その身体だ」‥‥と。

泯   そう思います。」


「第2回 演技と踊り、言葉と身体。(2022-01-25)」

「── 俳優なんか、関係ないと思っていた。
    泯さんの人生にとっては。

泯   俳優、お芝居、物語‥‥ようするに
    演ずるということは、
    ぼくのやってきた「踊り」とは、
    まったくの対極にあるものですから。
    なぜなら、人間の間に言語が生まれ、
    社会が生まれてから、
    演技というものは生まれたわけです。

──  ええ。

泯   それにたいして「踊り」は、
    社会以前、言語以前に存在していた。
    ぼくは、そう信じています。
    人間が言葉を手にする前から、
    踊りというものは、絶対に、あった。
    それじゃなきゃ、おかしいでしょう。
    言葉の前に身体が動かないなんて、
    そんなの、絶対におかしいんですよ。

──  つまり、言語より先に身体があった。

泯   演技、演ずるという行為は、
    踊りよりも、うーんとあとの社会の話。
    だから、ぼくはやっぱり、
    われわれ人間が、
    はじめの大事なコミュニケーションを
    身体でやっていたということに、
    そして、
    人間が踊りをはじめたということに、
    自分自身、
    いちばんのプライドを感じてたんです。」

「── お芝居と踊りに、共通点はありますか。

泯   ですから、映画に出演するということは、
    常識的に言えば、
    踊っているようには見えないわけだけど、
    自分としては、
    踊るような状態で演技してるってことは、
    たしかですね。

──  なるほど。泯さんのお芝居のベースには、
    泯さんの「踊り」が、あった。

泯   ぼくが、ふつうの俳優と違うと思うのは、
    台詞から来る喜怒哀楽を
    一切、たよりにしていないことでしょう。
    ぼくは、その役柄が、
    どんな身体を持った人間なのかを考えて、
    その1点だけを、
    演じる際の拠りどころにしているんです。

──  「身体」が、役の手がかり?

泯   しゃべり方とかでは、まったくないです。
    しゃべりなんてのは、いちばん最後です。

──  まずは「身体」があって、
    そこから、言葉が出ていくというような。

泯   人間というものは、そういうものですよ。
    台本を読みながら、わかってくるんです。
    この人は、たとえば、
    前に一歩を踏み出すときに、どんな人か。
    その「踏み出す」所作に、
    極端に言えば、
    その役柄がすべて入ってたりするんです。

──  たとえば?

泯   つま先で探るように脚を出すような人か。
    腰から、グンッと前へ出ていく人なのか。
    身体より顔が前に出ている人だっている。
    それだけで、人間は、表せるんです。

──  はあ‥‥おもしろいです。

泯   あなたが最初に名前を挙げたけど、
    イッセー尾形なんか、本当に上手いです。
    彼は、ようするに、
    マイムのような芝居をずっとやっていて。

──  そうですね。

泯   舞台のソデで、早変わりをしたりとかね。
    おもしろいなあと思って見てます。
──
あ、交流あるんですか。

泯   ないです。

──  え、ないんですか。

泯   ないです。

──  ただ観てるだけ?

泯   そうです。意識して、観に行ってます。
    で、おもしろいなあと思ってる。
    でも演劇に属します。彼は、完全にね。

──  はい。

泯   つまり「言葉の世界の人」です。
    言葉にならない何かを、
    身体に宿していることは、たしかです。
    でも、まず第一に、
    言葉による世界を表現していますよね。

──  泯さんの世界とは、また別?

泯   そうですね。」


◎犬童一心監督によるドキュメンタリー
『名付けようのない踊り』
映画の公式HP


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