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ヤマザキマリ『リ・アルティジャーニ/ルネサンス画家職人伝』

☆mediopos2801  2022.7.19

「芸術新潮」2016年1月号〜2021年6月号に
隔月で連載されたヤマザキ・マリの
『リ・アルティジャーニ/ルネサンス画家職人伝』が
「とんぼの本」としてオールカラーで刊行されている

芸術家としての画家達ではなく
アルティジャーニ(職人)としての画家の物語

従って物語は画家たちが「職人」としてではなく
芸術家として扱われるようになったところで終わる

全体は3部構成で描かれ
ボッティチェリの修業時代の体験が
主に描かれるフィレンツェ篇
イタリアと北方の伝統を融合した
アントネッロが主に描かれるナポリ篇
そしてマンテーニャやベッリーニなどが
主に描かれるヴェネツィア篇の後

エピローグとして
年老いたボッティチェリと
彼を支え続けるフィリッピーノに
大家となったレオナルドが
再会する場面が描かれている

知らずにいたルネサンスの画家達も登場しているのもあり
久しぶりに画集をとりだしてきて
それぞれの描いた絵画を見て確認し
それぞれの人物像をイメージしながら
物語にずいぶん入り込んだ時間を過ごすことができた

「ルネサンス画家職人伝」とされているように
なにより画家たちが「職人」として描かれているのが
視点として共感できるところとなっている
そのこだわりがうれしい

物語のなかでとくに印象に残ったのは
北方絵画からの影響を受けたアントネッロである

ヤマザキマリが
「きらびやかなマセラッティに対して、
質実剛健なBMWといったところでしょうか。
両者の良いところをハイブリッドしたのが
アントネッロ」というところもおもしろい

そしてアントネッロの描いた肖像画の「微笑」のこと

「微笑」といえばレオナルドの
《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》が思い出されるが
ヤマザキマリは「微笑は古来、
人間の神秘を表す表情なのではない」かといい
「レオナルドはアントネッロの絵を観て、
彼を通して北方の影響を受けたと思いますから、
その中には微笑もあるんじゃないか」とも言っている

微笑といえば高校の頃
鬱屈した日々のなかで堪えきれなくなると
図書館にいって広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像を
厭かず見ていたことがあるのを思い出した

あの半跏思惟像の微笑は沈黙のうちに
すべてを包み込み癒やしてくれるものでもあった
いまでも心がふさいでくると
どこからかそうした微笑のようなものが
訪れてくるようなそんな不思議な時がある

■ヤマザキマリ
 『リ・アルティジャーニ/ルネサンス画家職人伝』
 (とんぼの本 新潮社 2022/6)

(特別対談 ヤマザキマリ×池上英洋「画家たちが〝職人〟だった時代」〜「工房とパトロン」より)

「池上/全体は3部構成になっていますが、最初のフィレンツェ篇では、主にボッティチェリの修業時代の体験が描かれていますね。
 マリ/はい。ボッティチェリのお父さんは皮なめし職人で、当時は画業と関係のない家に生まれても、画家の工房に丁稚奉公に出されることは、よくあったんです。こういう事実は、日本では意外と知られていません。また、工房の描写を通じて、16世紀以前の画家はあくまでも「アルティジャーニ(職人)」であって「芸術家」ではなかったということも、伝えたかったんです。
 池上/当時の徒弟制は、今の日本でいえば漫画家とアシスタントの関係に近い。
 マリ/本当にそっくりです。たとえばヴェロッキオ工房は手塚治虫先生のプロダクションみたいな感じなのかな? なんて考えてしまう(笑)。絵(漫画)が、経済と直結しているという点でも、当時のフィレンツェと現代日本の漫画業界は共通していますよね。
 池上/工房とパトロンとの契約書はかなりたくさん残っていて、いろいろな事実を読み取ることができます。たとえば、ボッティチェリの師匠フィリッポ・リッピは、ある作品の制作費に300万円くらい、人件費に500万円くらい請求しています。内訳は制作費の約半分が画材、主に金やラピスラズリなどです。
 マリ/画材の種類や価格、購入先まで、事前に細かく契約書で定められていたんですよね。
 池上/そうなんです。ヴェロッキオやボッティチェリのパトロンだったイル・ゴットーゾ(・・・)は、「ここに雲を描け、ここに天使を飛ばせ」と、構図にも細かく指示を出しています。
 マリ/有名なロレンツォ・デ・メディチのお父さんですね。画家にしてみたら、「ええっ、今から描き足し!?」みたいな無茶なリクエストもあったはずです。
 池上/パトロンの注文を忠実に守る画家もいれば、レオナルドのようにいっさい無視して裁判沙汰にまでなってしまう画家もいました。公証人を間に挟んだ、リッピ工房と注文主との契約交渉の場面も出てきますね。
 マリ/公証人はいわば契約のプロ。すでに500年前のフィレンツェでは、彼らを立ててのネゴシエーション・システムが確立していました、
 池上/日本のプロ野球では選手が球団と直接交渉しますが、メジャー・リーグでは代理人を立てて契約する。それと同じことですね。
 マリ/そう、日本はそのあたりが遅れているんです。だから、啓発の意味でもあのエピソードは描いておきたかった。
 池上/修業時代を終えたボッティチェリは、イル・ゴットーゾの後を継いだロレンツォにも引き立てられ、華々しく活躍しますが、彼の絵はある意味、すごく頭でっかちで、新プラトン主義や神学を理解していないと画けるものではない。ロレンツォの周辺にいた学者たちのもとでしっかり勉強したのでしょう。
 マリ/同時に、すごく集客力のある絵ですよね。中世には封じ込められていた裸体を、あれだけ堂々と描いたのだから、世の中的にはかなり衝撃的だったはず。
 池上/後半生は、フィレンツェで神権政治をおこなった修道士サヴォナローラに感化され、輝きを失ってしまいますが・・・・・・。

(特別対談 ヤマザキマリ×池上英洋「画家たちが〝職人〟だった時代」〜「北方絵画との融合」より)

「池上/ナポリ篇になると、画家の色は急に明るくなりますね。
 マリ/この回からフル・デジタルに変えたんです。絵柄を変えることに躊躇はあったんですけど、イタリアと日本を往復している身には、デジタル化は避けられませんでした。
 池上/そうでしたか。ところで、ナポリの歴史は複雑なので、少し予備知識があったほうがわかりやすいかもしれませんね。
 マリ/確かに。もともとは古代ギリシア人が創った都市ですが、12世紀にシチリア王国に組みこまれた後、統治者がめまぐるしく変わるんですよね。
 (・・・)
 池上/アントネッロの師匠コラントニオも出てくるでしょう。よくぞ、こんな人に光を当てたなあと驚きましたよ。
 マリ/彼に関する記録はほとんど残っていないんですけど、ルネ・ダンジュー、アルフォンソ5世が共に北方絵画を好んで収集していたことはわかっています。なので、コラントニオはおそらく北方絵画を実見する機会があったんじゃないかと、想像力を膨らませて描いてしまいました。
 池上/アントネッロとペトルス・クリストゥスとの出会いも重要なエピソードですね。
 マリ/いろいろな状況を考えると、この二人に交流がなかったとは思えなくて。
 池上/ペトルスがイタリアに来たかどうかについては、美術史家の間でも意見が分かれるところなんです。僕はやはり、北方の油彩とイタリアの遠近法が融合された過程で、彼はイタリアに来ているに違いないと考えていますかた。マリさんと同意見。
 マリ/そうですよね。ヴァザーリはアントネッロが北方に行って学んだなんて書いてますけど、そんな事実はありません。
 池上/マリさんは北方絵画にも、かなり思い入れがあるんですね。
 マリ/フィリッポ・リッピの聖母子像がアイドル絵画みたいに明るく華やかなのに対して、たとえばフーホ・ファン・デル・フースの絵なんかは、とても慎ましい。羊飼いたちの手が、ちゃんと労働者のそれになっているんですよ。初めて見た時は衝撃でした。きっと当時のイタリアの画家たちも「マジかよ、なんだよこの技法」って思ったに違いありません。
 池上/北方の画家の写実力は圧倒的ですから。
 マリ/きらびやかなマセラッティに対して、質実剛健なBMWといったところでしょうか。両者の良いところをハイブリッドしたのがアントネッロだったと思うんです。彼の描く肖像画は、北方の影響を受けながらも、どこか洒落があって、生真面目な後のピューリタンの人たちの絵とは、ちょっと違うものになっています。彼の凄いところは、人物の外見だけでなく性格まで描写している点。
 池上/彼の肖像画といえば、謎めいた〝微笑〟も特徴ですね。
 マリ/〝微笑〟については、#17で描かせていただきました。ちょうどTVの取材でシルクロードの岩窟仏の取材にいった後だったのですが、乱世の時代に彫られた仏さまたちはみんな微笑を浮かべている。その笑みが何を表しているかは謎なんです。諦観なのか、安堵なのか? 微笑は古来、人間の神秘を表す表情なのではないでしょうか。
 池上/イタリアでは、ベルジーノ以前と、三巨匠(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ)以降では、肖像画の描き方がガラッと変わりますが、そこで〝微笑〟がはっきりとあらわれる。《ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)》が典型ですね。
 マリ/私は、ヴェネツィア篇で描いたとおり、レオナルドはアントネッロの絵を観て、彼を通して北方の影響を受けたと思いますから、その中には微笑もあるんじゃないかしら。
 池上/レオナルドへの北方の影響は明らかですから。ただイタリアにはヴィターレ・ダ。ボローニャなどの微笑表現の先行例もあるので、アントネッロのような画家たちがイタリアと北方の伝統を融合したのかも。
 
(特別対談 ヤマザキマリ×池上英洋「画家たちが〝職人〟だった時代」〜「ヴェネツィア派さまざま」より)

「池上/ベッリーニとマンテーニャの関係性も面白かった。義兄のマンテーニャがものすごく偉そうなの(笑)。
 マリ/良い意味で、偉そうな人だっただろうなと思ったんですよ。
 池上/エレミターニ教会の連作を描いている場面には泣けてきました。あの壁画は第2次世界大戦で爆撃されて、大部分が失われてしまうので・・・・・・。ベネツィア派のほとんどはベッリーニ工房から出ていますが、マンテーニャだけは異質なんですよね。ベッリーニとはあんなに近しい関係なのに、画風がまったく違うのが不思議です。
 マリ/マンテーニャはどこかの流派に属するのが嫌だったのかもしれない。一匹狼。
 池上/それもあって、宮廷画家としてマントヴァに行ってしまったのかもしれませんね。
 マリ/マンテーニャの作風にも軽快な洒落と遊び心がありますね。変人ではあるけど、豪快な人だったんじゃないかな。
 池上/しかも、カンヴァスや油絵具が手に入るのに、最後まで主にテンペラで描いています。
 マリ/すごく知識も教養もあるけれど、新しい技術を信用しない。あそこまで頑なで保守的な人が親族にいたら大変だろうな、
 池上/確かに。そういえば、マンテーニャが考古学調査をやるというセリフがさらっと出てくるでしょう。実際、彼は古代彫刻のすごいコレクターだったんですよ。最初に言ったとおり、至るところに、こういうトリビアが鏤められているのが本当にうれしいですね。アントネッロの《受胎告知》をレオナルドがヴェネツィアで見るという設定もすごい。
 マリ/この絵の忠実な模写がヴェネツィアのアカデミア美術館にあるんです。かつては本人が描いたコピーの可能性も考えられていたんですけど、おそらく彼の甥による模写ではないかと言われている。いずれにせよ、アントネッロとヴェネツィア派の交流があったと推測できる重要な手がかりです。
 池上/そしてエピローグは年老いたボッティチェリと、彼を支え続けるフィリッピーノ、大家となったレオナルドが再会する場面。
 マリ/盛期ルネサンス、つまり三巨匠の時代になると、画家たちが、陰で社会を支える「アルティジャーニ」ではなく、芸術家として扱われるようになっていきました。ですから、ここで、この物語はおしまいです。
 池上/自分たちを「職人だった」と語るラストのレオナルドのセリフが印象的でした。それにしても、このレベルの高さ。このマニアックさ。ぜひとも広く世に知らしめたい漫画ですね。
 マリ/お褒めいただき嬉しゅうごさいます。」


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