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ティム・インゴルド『応答、しつづけよ』/『たぐい』(vol.1〜vol.4)

☆mediopos-3127  2023.6.10

人類学が元気だ

奥野克巳と近藤祉秋が中心となって編集されていた
『たぐい』(vol.1〜vol.4)が
「人間の「外から」人間を考える
ポストヒューマニティーズ誌」とされ発刊されていたように

「人類」学はいまや
「人類」の「外から」もふくめ
あらゆるものどうしの「応答」にアプローチしている

いってみれば仏教における「華厳」的な観方が
具体的な世界のなかにおける生成の現場として
実況中継されているようだ

象徴的な存在が人類学者のティム・インゴルドである

10年近く前に邦訳刊行された
『ラインズ————線の文化史』(2014年)は
「歩くこと、物語ること、歌うこと、書くこと
生きることは線を生むことだ」と
「線」をめぐる世界の生成が語られていたが

それ以降も
『メイキング————人類学・考古学・芸術・建築』(2017年)
『ライフ・オブ・ラインズ————線の生態人類学』(2018年)
『人類学とは何か』(2020年)
『生きていること』(2021年)
そして今回の『応答、しつづけよ。』(2023年)と
随時翻訳刊行されている

その著作に象徴されるように
人類学はそれまでの専門領域を軽々と超えながら
「具体的な世界の現実からできるだけ離れることなく、
世界の中で考える」刺激的な視点を与えてくれている

学問が専門領域のなかでますます専門化され
自らの専門領域の「外」から
隔てられ見えなくなってきているからこそ
ティム・インゴルドのような
自由な表現で領域横断的にアプローチする仕方が
注目されるようになっているのだろう

新刊(原著は2018年)『応答、しつづけよ。』には
二十七篇のエッセイが収められているが
これは「外側に立つことによってではなく、
差異化する世界の内側で、
モノとの「応答」を通じて物事を知ることを探る
「内側から知ること」」と題されたプロジェクトの成果として
刊行されている

解説にもあるように
「世界が切り分けられ、実体的に取り出された時、
モノは死んでしまう。
生きるとは、世界と応答しつづける過程そのものである。」

その観点から
本書で扱われているテーマは
「火、樹木、山、飛行、地面、時間、石、絶滅、線、糸、
言葉、手書き、頭字語、色など多岐にわたっている。」

本書の基本的な観点については
最初の章「招待」で概観されているので
そこからいくつかひろってみる

「考え」「思想」は「思いがけずやって来」るもので
「古くからの考えの諸断片を
新しく並び替えたり組み合わせたりする」ようなものではない

世界には「孤立して存在するものは何も」ない
すべては互いに関係し合っている

生も知識もすべては「同時に進行している
応答しつづけることのもつれあった網であり、
それは互いに、そしてその周囲に織り込まれてい」る
その「対話的な関わり合い」のなかで
それらが生まれる場において「生け捕り」にする必要がある

「真の学者は皆、アマチュア」であり
キャリアのためではなく「愛するがために」研究し
その中で「世界における彼の生き方全体と調和する
生き方を見つける」

「理論的な仕事は、他の技巧の振る舞いと同じように、
住まわれた世界の素材や力に根ざしている」
それは「アーティストの仕事」のように
「真実を具体化する」ものでなくてはならない

以上のように
「人類学」はいまや
世界の生成そのもののなかで
世界にあるモノと「応答」しつづけるよう方向づけられている

それは決められた道を覚え
その道を正しく歩むような
「予定調和」へと向かうものではなく
「応答」と「生成」のプロセスそのものである

狭い専門のなかに閉じ
定義に縛りつけられ
概念をスクエアな箱に押し込めるような発想は
生きた世界のなかでの「応答」をスポイルしてしまう

■ティム・インゴルド(奥野克巳訳)
 『応答、しつづけよ』(亜紀書房 2023/5)
■『たぐい』(vol.1〜vol.4)
 (亜紀書房 2019/3〜2021/10)

(「招待」〜「心のこもった手紙」より)

「考えは思いがけずやって来ます。もし思想があなたの精神にとって予期された訪問者であり、アポイントを取ってノックして来るのだとすれば、そんなものは、そもそも考えなのでしょうか? 思想が考えであるためには、落ち葉の山を吹き抜ける一陣の風のように乱し、不安にさせるものでなければなりません。それを待ち受けていたとしても、やはり驚きとして考えはやって来るのです。しかしできるだけ早くAからBに行くことを目指している人たちには、待っている時間などありません。そういった人たちにとって、考えとは招かれざる客であり、道をすっかり見失わせるとはではいかないまでも、道を踏み外させてしまう恐れがあるのです。でも、考えがなければ、私たちは閉じ込められてしまいます。精神生活は、何ら新たしいものが生まれることなく、すでにある箱を並べ替えるだけのごまかしへと封じ込められるでしょう。今日、そんなふうに創造性を考えるのはあたりまえになってきています。つまり、古くからの考えの諸断片を新しく並び替えたり組み合わせたりする以外に、新しい考えなど存在しないと考えてしまうのです。」

(「招待」〜「人間以上(モア・ザン・ヒューマン)」より)

「いったいこれまで哲学者は何をしていたのだろうかと時々思います。世界は人間を中心に回っているのではないし、またあらゆるたぐいの人間以外の存在が互いに関係し合って互いにとって意味さえ持つのは、それらが人間にどのように用いられたり知覚されたりするかに、さらには人間存在そのものにも全く関係がないのです。そんなことをごく最近になって、あたかも驚くべき発見のように言う哲学者が現れたのです。植物や動物生態学、地形学、土壌学などの領域の研究者たちがそのような諸関係を何世代にもわたって研究してきた事実は、哲学者たちには見過ごされてきたようです。」

「実は、人間以上の世界では、孤立して存在するものは何もありません。人間は非人間とこの世界を共有していますが、同じように、石は石でないものと、木は木でないものと、山は山でないものと世界を共有しているのです。」

(「招待」〜「存在と生成」より)

「モノを物語として理解して初めて、私たちはモノと応答し始めることができます。そのため、読者のみなさんは、本書を読み始める前に、この見方を練習しておいてほしいのです。私たちは、モノを後ろ向きに捉えること、モノがすでに形やカテゴリーに収まってしまってから、一瞬遅れてモノを捉えることに慣れっこになっています。「がるまさんがころんだ」遊びのように、世界は私たちの背後に忍び寄り、振り返って見ようとした瞬間にフリーズしてしますのです。応答するには、舞台裏に行って、忍び寄る者たちに加わって、彼らとともにリアルタイムで動くことが必要なのです。そうするとすぐに、鬼が像としてしか見ていなかったものに、鮮やかに命が吹きこまれます。像はすでに投じられているのですが、忍び寄っていく者は投げ入れることの中に生きているのです。彼らのスタンスは、あるのではなく、なるというスタンスです。それらに応答するには、哲学者が言うように、存在論から発生論への移行が必要です。存在論とは、ある事物が存在するために何が必要なのかということですが、発生論とは、ある事物がどのようにして生み出されるのか、その成長と形成に関するものです。さらに、この移行には、重要な倫理的意味がります。というのは、事物は互いに閉じていて、それぞれが独自の、究極的に入り込めない存在の世界に包まれているというわけではないからです。それどころか、事物は基本的に開かれていて、すべてが一つの不可分な生成の世界に参加しているのです。複数の存在論は複数の世界を意味するのですが、複数の発生論は一つの世界を意味します。この世界の事物は、その成長や運動において、互いに応答するので、それはまら責任を負うことにもなります。そして、私たちのこの一つの世界では、責任はある人にあって、他の人にないというものではありません。責任はすべての人が背負わなければならない重荷なのです。」

(「招待」〜「知ることの無駄」より)

「あらゆる知識はがらくたです。代謝反応の廃棄物です。それは、教育機関であれ、企業であれ国家の職員であれ、とにかく私たちの主人たちから課される知識生産のモデルから必然的に導かれる結論です。このモデルによれば、大量のデータを収集し、それを機械の中に送り込んで、この「入力」を消化あるいは処理し、「出力」とも呼ばれるその結果を排泄することによって、知識が生産されるのです。この排泄物は、知識経済の市場性のある通過です。その生産プロセスに人間が関与している限り、その人間は、機械に仕える、つまり機械を供給し、動作可能な状態にしておくためのオペレーターや技術者です。理想的には、人間の存在と活動は、機械の動作を保証することを超えて、結果には何の影響も与えてはならないのです。入力されたものが出力され、その間に起こることは、特に重要ではないのです。そして、結果が積み重なって、知識の排泄物の山が容赦なく膨らんでいくと、生それ自体は周縁に追いやられてしまって、産業規模でのデータ処理の蓄積された廃棄物の中から拾えるものをあさる運命にあるのです。」

「森の木であろうと、群れの中の獣であろうと、共同体の中の人間であろうと、すべての生も知識も本質的に社会的なものです。社会的な生は、一つの長い応答なのです。より精確にはそれは、すべてが同時に進行している応答しつづけることのもつれあった網であり、それは互いに、そしてその周囲に織り込まれています、それらは、流れの渦のように、あちこちでトピックを紡ぎながら走っているのです。そして、それらには三つの特徴的な性質があります。第一に、あらゆる応答はプロセスであり、それは続いているのです。第二に、応答は開放系です。そては、言われることや行われることが後続を招くため、目的地や最終的な結論を目指さないのです。第三に、応答は対話的です。それは、孤立したものではなく、二者あるいは多数の参加者同士の間で行われます。知識が継続的に立ち現れるのは、こうした対話的な関わり合いからです。応答するとは、考えることは思想という形にまさに安定しようとしている場面にいつでもいることです。それは、考えが流れに洗われて永久に失われてしまわないように、その初期段階の発酵の中で、その場で考えを生け捕りにすることなのです。」

(「招待」〜「アマチュアの厳密さ」より)

「真の学者は皆、アマチュアであると私は信じています。文字通り、アマチュアとは、プロフェッショナルのように、キャリアを積み上げていくためではなく、関心、個人的な関与、責任の感覚に突き動かされて、愛するがためにそのトピックを研究する人のことです。アマチュアは、応答する者です。そして研究の中に、世界における彼の生き方全体と調和する生き方を見つけるのです。」

(「招待」〜「アートの方法」より)

「私は、しばしば「理論」と呼ばれる考えることの実践が、超抽象の成層圏へと飛び立たなければならないこと、あるいは、自らの起源である経験という基盤から遠く離れてしまった概念と想像の中で混ざり合い、その基盤との繋がりを失わなければならないこと、を意味しないということを示したいと思っています。それとは全く逆に、理論的な仕事は。他の技巧の振る舞いと同じように、住まわれた世界の素材や力に根ざしているのです。住まうことの様式として理論を実践することは、自らの思考の中で、世界の質感と混ざり合うことです。これは、こう言ってよければ。文字通りの真実を比喩的に受け取るのではなく。比喩的な真実を文字通りに受け取ることです。理論家は、詩人になれます。(・・・)

 しかし、比喩的な真実を文字通り受け取ることは、詩の方法だけではなく、アートの方法でもあります。というよりも、たぶん何よりもアートの方法なのです。アーティストの仕事は、そのような真実を具体化することであり。それらを私たちの目の前に提示し、私たちがそれらをすぐに体験できるようにすることです。」

(「訳者解説」より)

「本書は、Tim Ingold 2018 Correspondences.Cambridge:Polity.の全訳である。本書に収められた二十七篇のエッセイは、外側に立つことによってではなく、差異化する世界の内側で、モノとの「応答」を通じて物事を知ることを探る「内側から知ること(Knowing From the Inseide=KFI)と題するプロジェクト(二〇一三年から二九一八年にかけて欧州研究会議から子音提供された)の成果である。

 世界が切り分けられ、実体的に取り出された時、モノは死んでしまう。生きるとは、世界と応答しつづける過程そのものである。こうしたアイデアに拠りながら、本書が取り上げる分野は、人類学、アート、建築、デザインに及んでおり、随筆、アート批評、寓話、詩など。それらが時には混ざり合った、多様な形式で、扱っているテーマも、火、樹木、山、飛行、地面、時間、石、絶滅、線、糸、言葉、手書き、頭字語、色など多岐にわたっている。

 人類学の欠片さえ確認できないほど、ティム・インゴルドの書くものは、もはや人類学でなくなっているように思われる。本書を、そもそも人類学関連の本であると想定できないし、する必要もないのかもしれない。インゴルドも述べているように。学術的なペルソナを捨てて、大いに楽しんで書いている。だが、具体的な世界の現実からできるだけ離れることなく、世界の中で考えるという人類学的な世界理解に深く根ざしていることもまた確かである。かつて、「参与観察」を通じてマリノフスキーが、「構造」を介してレヴィ=ストロースが、人が世界に生きる仕方を語ったことが、後々人類学の中にしだいに定着していったように、今後インゴルドの思想やスタイルが、人類学だけでなく、人文科学も中に浸透していくような予感がする。」

【目次】

◆序と謝辞
◆招待

森の話
 ■はじめに
 ■北カレリアのあるところで……
 ■真っ暗闇と炎の光
 ■樹木存在の影の中で
 ■Ta, Da, Ça, !

吐き、登り、舞い上がって、落ちる
 ■はじめに
 ■泡立った馬の唾液
 ■登山家の嘆き
 ■飛行について
 ■雪の音

地面に逃げ込む
 ■はじめに
 ■じゃんけん
 ■空へ(アド・コエルム)
 ■私たちは浮いているのか?
 ■シェルター
 ■時間をつぶす

地球の年齢
 ■はじめに
 ■幸運の諸元素
 ■ある石の一生
 ■桟橋
 ■絶滅について
 ■自己強化ための三つの短い寓話

線、折り目、糸
 ■はじめに
 ■風景の中の線
 ■チョークラインと影
 ■折り目
 ■糸を散歩させる
 ■文字線と打ち消し線

言葉への愛のために
 ■はじめに
 ■世界と出会うための言葉
 ■手書きを守るために
 ■投げ合いと言葉嫌い
 ■冷たい青い鋼鉄

◆またね

◆原注
◆訳者解説

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