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【特集】無駄を生きる 〈対談〉吉村萬壱×藤原麻里菜「追いかけると、逃げていく『無駄』」 (文學界2023年1月号)

☆mediopos2944  2022.12.9

発明家という肩書きを掲げ
「無駄づくり」を続ける
株式会社「無駄」代表の藤原満里奈と

その藤原氏に発明してほしいものを
作家や文筆家たちがアンケートに回答する
という形でリクエストした11名のなかの一人
作家・吉村萬壱との対談

吉村萬壱がリクエストしたのは
「楽々鼻呼吸且つ死ぬ気で執筆マシーン」で
これが藤原氏によってじっさいに製作されている

そのマシーンは
「鼻が詰まっている時に口にくわえて呼吸する
鼻型の呼吸マシーン兼執筆マシーン。
作家たるもの死ぬ気で執筆するんが本分なのに、
一年を通してよく鼻が詰まり、仕事中に集中できないので、
いつでも鼻で楽に呼吸できる、なおかつ仕事もはかどる
鼻呼吸マシーンを作ってほしい」との回答から

こうした「無駄」なマシーンという回答を提出した話から
「無駄」についての決して「無駄」ではない対談ははじまる

「無駄」なものを考えてそれをつくるというのは
「無駄」が目的になり
その「無駄」に価値が生まれてしまうこともあり
「純粋な無駄」ではなくなってしまうように

「無駄って何なのか、その何が無駄なのか」と
考えはじめると「無駄」がわからなくなる

対談のなかで興味深く感じたのは
吉村氏の語ったユングの「創造的退行」について

「ユングに創造的退行っていう言葉がありますけど、
真に何かを創造するには、赤ちゃんに戻るみたいに
退行して何もしない時間が必要だと」
「それがないと無意識の領域が動き出さない。
自我と無意識とが統合されてこそ真の創造がなされる」

創造的な「無駄」があり
結果的に創造的ではない「効率」がある

その意味では
効率的なものに創造は求められず
無駄なものにこそ創造は求められるともいえる

それは「間」や「無」とも関係している
「間」や「無」こそが創造の場となるということ

器をからっぽにしなければ
そこには何も容れることができず
なにかを摑もうと握りしめるのではなく
手のひらを開いたときにこそそこに訪れるように

■【特集】無駄を生きる
 〈対談〉吉村萬壱×藤原麻里菜「追いかけると、逃げていく『無駄』」
 (文學界2023年1月号 文藝春秋 2022/12 所収)

「吉村/無駄を考えるの、難しかったです。無駄って何なのか、その何が無駄なのかと考え始めると、なかなかぱっとは出てこなかった。」

「吉村/無駄っていうのは、目的にならないじゃないですか。つい無駄になってしまう感じやと思うんですけど、その無駄を目標にしてものを考え始めるっていうのは、やったことがなかったですね。もともと非効率とか馬鹿馬鹿しいことを考えるのは好きなんですけど、それをあえてひねり出すのはしたことがなかったので、それを仕事にされている藤原さんはすごいなと思いました。
 無駄って普通は、排除して効率よくしましょう、無駄なやりましょうと、捨てられる部分やと思います。その無駄をすくい上げて何かを作るのは、アプローチとしては非常に面白いなと思うと同時に、すくい上げた途端に、それが無駄じゃなくなってしまうような気もするんです。余剰物をピックアップして目的化すると、無駄のよさがちょっとなくなっていくところが難しいんじゃないですか。

藤原/そうなんです。無駄に価値が生まれてしまうというか、作ったものに価値が出てしまうことが結構あって、純粋な無駄を作りたいんですけど、なかなかつくれたためしがないですね。」

「吉村/日常生活で我々が笑ったり、楽しくなったりっていうのは、効率とは関係ないですものね。僕は一番の名文は、人を笑わせる文章やと思っているんです。悲しませることは意外と簡単にできるんですよ。人間は辛い記憶をたくさんストックしていますから、それをちょっとつねればいい。でも人を笑わせる文章や発明は、多分一番レベルが高いと思うんです。」

「吉村/ユングに創造的退行っていう言葉がありますけど、真に何かを創造するには、赤ちゃんに戻るみたいに退行して何もしない時間が必要だと。ソファーに寝転がって一日中うだうだしているのは、客観的に見ると無駄と言えるんですけど、それがないと無意識の領域が動き出さない。自我と無意識とが統合されてこそ真の創造がなされるというわけです。従ってそういう無駄なく何かを生み出している人は、半分何かを取り逃がしているとも言える。だから、ぼーっとしたりするのは、僕も大事にしています。
 藤原さんはもう十年近く無駄づくりされてるんですよね。やっぱり変わってきたところはありますか。

藤原/そうですね。だいぶ変わりました。最初は自分のネガティヴな部分からものを作ることが多かったんですけど、最近は無駄って本当はなんだろうとか、純粋な無駄を追い求めてものを作ったりしている気がします。」

「藤原/たまに無駄づくりではなく、「マジづくり」というのをしています。「甲乙リング」は契約書を読んでいる時に、自分が乙なのか甲なのかわからなくなるので、甲と乙がどちらか矢印で示してくれるリングです。これはちょっと効率的すぎたなと思いましたが(笑)。

吉村/いや、結構無駄だと思いますけど(笑)。でも効率的すぎるっているのは、また難しい表現ですね。文字の世界だと、文字数が少なければ効率的だとは言い切れない。例えば俳句は、すごく少ない文字数で、でも少ないが故に広がる世界は大きい。反対に、充分な枚数を使って何も漏らすことなく書かれた文章は。物事に文章がきちんと対応しているという意味では。効率的で無駄がないと言えるかもしれないけれども、冗長で退屈であったりする。
 また、僕は小山田浩子さんの作品が好きなんですが、小川さんは短編しか書いていないんですね。非常に的確に、全く無駄のない言葉で構成されているにもかかわらず、書かれてある内容は効率とはかけ離れていて、どっちかというと無駄の領域だと思うんです。我々が普段見えていない細部に注目して、この世界の中の皮膜みたいなものを見せてくれる。無駄とは何か、も難しいけど、効率とは何か、も難しい話ですね。

藤原/最近、ミニマリストの無駄を削いだ部屋とかを見て、その空間こそが無駄だと思うことがあるんです。物がいっぱいある家も好きなんですけど、それより物が全くない家の方が無駄を感じて、好きですね。文章もそうで、だらだら冗談を言うんじゃなくて、端正に変なことを言っている方が好みだったりもします。無駄がない方に無駄を感じるので。

吉村/それはわかる気がします。的確に無駄であって欲しいんですよね。無駄づくりに無駄があったら、せっかくの無駄が台無しになってしまうというか。」

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