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増野 亜子『声の世界を旅する』

☆mediopos2631  2022.1.29

本書は民俗音楽学者の増野亜子氏が
モンゴルのホーミーなど世界各地の声の世界から
テクノロジーがつくりだしたボーカロイドまで
声の文化をさまざまに旅し分析・考察したものだが

その旅の最初に確認されているのは

「声は人間の身体から出る音」であり
「身体の内部で燃えるエネルギーや
呼吸と不可分に結びついてい」て
「一人ひとりが異なった声をもつ」ということ

そして同時にまた
「声は後天的に、文化的に、社会的に獲得された
身体技法によって形成されるもの」であり
「個としての声のあり方と、
その声のもつ文化的・社会的な側面の両方が、
分かちがたく結びついていること」である

それゆえに
声の源は私たちの内側だけにあるのではない
身体の外側にある世界のさまざまによって
私たちから引き出されるものでもある

つまり「声によって私たちは自分と他人、
自分と世界をつなぎ、関係づける」のである

このことは声の力について考えるときにも
重要な観点となる

ことばを発するということは
その声の力やエネルギーによって
他者にそして世界に働きかけて変化させる
と同時に
働きかけたことによって
ことばを発したひとも働きかけられ変化する

言語機能のひとつに
約束したり宣誓したりする
発話行為が行為そのものとなっているような
行為遂行的な働きがあるが
まさにことばを発することそのものが
力となって働きかける行為となっている

そうした行為遂行的言語行為の極北にあるのが
天地を創造し
「光あれ」ということで光を創造する
神のことばである

人間のことばは神のことばのように
世界そのものをつくりだしたりではできないが
発した言葉どおりになる「言霊」の力のように
ことばは単なる概念をもった記号ではなく
それそのものがなにがしかの力を有している

「呪文」「ことばの魔術的な力」というのも
そうした「言霊」の働きのひとつだともいえる

ことばはその意味において
働きかけそしてまた働きかけられもするが
意味のよくわからないような呪文というかたちでも
働きかけそして働きかけられもする

それが良きことをもたらすこともあり
また悪しきことをもたらすこともあるが
意識的なものであるだけではなく
多くは無意識から働きかけられるものでもあるため
その働きについて無頓着であるのは危険である

現代において強力な魔法のことばのひとつが
「科学的である」という睡眠を誘う呪文だろう
どんなに非科学的なことでも
マスメディアで流され公にされ教育効果をもつことで
強力な呪符のように働き
多くの人を昏睡状態にさせる力をもっているからだ

■増野 亜子『声の世界を旅する』
 (オルフェ・ライブラリー 音楽之友社 2014/7)

「声は人間の身体から出る音、人間が身一つで出すことのできる音である。」
「声は身体が発する他の音、たとえばお腹が鳴る音やおなら、あるいは足や手をたたいて生み出す音よりも、こまやかで複雑で多様な表現ができる。声は人間にとってもっとも根本的な音であり、人の生物としてのかたちやあり方、身体の内部で燃えるエネルギーや呼吸と不可分に結びついている。
 声は息とともにあり、呼吸とともに生まれる。」
「声を発することは人の内側と外側をつなぐことでもある。体の内と外で空気のやりとりをすること、つまり呼吸によって人間は生きている。そして声もまた、私たちの中と外を接続する。私たちは自分の中から外へ向かって声を投射し、そして耳から入ってくる他人の声を内側に取り込む。」
「一人ひとり骨格が異なり、背格好や顔の造作が異なるように、一人ひとりが異なった声をもつ。身体や顔のかたちを自分で選べないのと同じように、声も選べない。それは基本的にあらかじめあたえられたものである。声は取り替えのきかない、自分だけのものなのであり、自分の声から逃げることはできない。そしてまさにその固有の響きのために、声は他の誰でもない自分の存在を力強く表す音になるのだ。
 しかし同時に、声は後天的に、文化的に、社会的に獲得された身体技法によって形成されるものでもある。身体の使い方に熟達すれば多様な声音、音高を出すことができる。」
「声の響きには私たちが生まれもったものと、文化や歴史によって培われた美学や技法の両方が鮮明に刻印されている。どのような時に、どのように話し、どのように歌い、どのように泣くのか。声の表現が興味深いのは、この世に一つしかないその人自身の個としての声のあり方と、その声のもつ文化的・社会的な側面の両方が、分かちがたく結びついていることである。」

「声が生まれる源は私たちの内側だけに存在するわけではない。身体の外側、自分の外側に広がる世界のさまざまなできごとが、私たちから声を引き出す。自然現象や他人のことば、目にしたり聞いたりしたものごとが私たちの身体や感情に作用し、それに反応して身体が動き、声が出る。誰かの声を聞いて、自分もまた声で返す。声は世界に対する働きかけであると同時に応答でもあり、声によって私たちは自分と他人、自分と世界をつなぎ、関係づける。」

「声に出されたことばには現実の世界に作用する潜在的な力がある、という考え方は、よく考えるとそれほど奇妙ではない。難題にぶつかった時に、自分や他人に言いきかせるように「大丈夫!」と言ってみたり、自分に発破をかけるために「絶対○○をやる!」と宣言したりすることには、なにがしかの効果がある。」
「ことばが未来を決定するとはではいわなくても、現実の世界に対していくばくかの影響を与えるという感覚は、非化学的で非合理かもしれないが、なんとなく切り捨てがたいところがある。心の中に抱えた思いや考えはもやもやとした形のない何かであるが、いったん声に出すと思いはことばとして形をなし、声として響きをもつ。そして声のエネルギーによって自分にも他人にも働きかけ、世界に作用し、変化を引き起こす。ことばを発することは本来的に人や世界に対して働きかけるものなのだ。

 古代インドの神話的叙事詩〈ラーマーヤナ〉や〈マハーバーラタ〉の世界では、ことばは神聖な力に満ちている。そこでは神々や王、聖人たちが発することばは、未来を変える力をもつ予言・呪言となり現実に働きかけてしまう。一度口に出したことばの実効性は本人にも取り消せない。古代叙事詩において物事のなりゆきを決めるのは過去の出来事の因果応報(カルマ)であり、予言や呪言とその成就が物語の展開を決める重要な歯車になっている。」

「声に出して言うことが力をもつのは神話の世界だけではない。ことばは声として発せられ、他人に聞かれることによってある種の社会的な効力をもつ。その顕著な例は、裁判における宣誓や判決の宣言、オリンピックの開会宣言などである。「真実を話すことを誓う」と声に出すことが、それに続く未来のできごとにおいて「真実が話される」ことをあらかじめ決定する。声に出されたことばの内容は実現するという前提に立っているのだ。
 このような発話は、すでに起きたできごとの伝達や報告とは異なり、これから起きるできごとを方向づけるものである。言語学者のジョン・L・オースチンは、発話行為自体が、その内容以上に重要な意味や効力をもつ場合、つまり「その発現をすることがとりもなおさず、何らかの行為を遂行すること」になる場合、そのような性質を行為遂行性、パフォーマティヴィティperformativityと呼んだ。宣誓においては声に出して言うという行為自体がこれから起きることを規定し、ことばは現実的に未来に働きかける。」

「声に出して発せられた時にもとも強い力を発するのは神のことばであろう。キリスト教の世界で神のことばの力が最大限に発揮されるのは、なんといっても旧約聖書の〈創世記〉冒頭で、天と地を創造した神がことばによって光と闇、そして昼と夜を作り、分ける場面である。
(・・・)
 新約聖書の〈ヨハネによる福音書〉第一章には「はじめにことばありき」、つまり世界は神のことばから始まったと書かれている。「光あれ」ということばが、光そのものよりも先に発せられ、実体としての光はそのことばから生み出される。」

「ことばが世界に働きかける神秘的な力を、S・J・タンバイア S.J.Tambiahは「ことばの魔術的な力the magical power of words」と呼んだ。呪文の詞は意味が明瞭なほうがいいこともあるが、往々にして詞自体は意味がなかったり、難解であったり、異言語であったりして意味がわからないことも多い。そして多くの場合、日常会話とは異なる非日常的な抑揚たリズム、発声法を用いる。必ずしもことばの意味ではなく、むしろ声の響きや、声に出すという行為自体に魔術的な力が宿っていることもある。
 仏教やヒンドゥー教の真言(マントラ)は神聖な力をもつ特別なことばである。」

「意味のわからないことばは表面的で即時的な理解を拒むから、いっそう私たちの好奇心を刺激する。わからないからこそ、よけいにそのことばの奥に深遠な意味があると思うのではないだろうか。「ちちんぷいぷい」とか「脂かタブラ」といったたわいのない呪文にも、理解不能なもの、非日常的な要素が未知ゆえにもつ不思議な魅力、異界性というべきものが感じられる。」

「魔法の呪文のことば〈アブラカタブラ〉や〈ビビディ・バビディ・ブー〉のように、意味をなさないことば、音節をでたらめに並べたものを英語ではジベリッシュgibberishという。タモリの得意ネタであったデタラメ外国語や、外国人に聞こえる日本語のイメージから生まれたハナモゲラ語も、意味のない音節を外国語風に話すジベリッシュである。まったく意味がない音を、まるで意味があるように話のが面白くて笑ってしまう。
 「無意味」に聞こえることばの中にはどこからどうみてもナンセンスな場合と、もともとは意味があるのに、聞き手がその言語を理解できないために、意味が通じない場合がある。ビートルズに曲のタイトルで、サビにも登場する〈オブラディ・オブラダ OB-LA-DI,OB-LA-DA〉というフレーズは、アフリカのヨルバ語で
「なるようになる」という意味である。しかしヨルバ語を知らない大多数のリスナーにとってたジベリッシュと同じだ。」

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