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田中純『イメージの記憶』・『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』/唐木順三『中世の文學』/稲垣足穂『一千一秒物語』/九鬼周造「小唄のレコード」/世阿弥「遊楽修道風見」

☆mediopos3449  2024.4.27

田中純『イメージの記憶』第6章
「無の色気————デヴィッド・ボウイから世阿弥へ」

今回とりあげるのは
章題となっている「無の色気」についてである
それは「色即是空 空即是色」の
「空即是色」ゆえの
「無」の香りだともいえるだろうか・・・

田中純は『デヴィッド・ボウイ————無を歌った男』
というボウイの作品論を上梓しているが
その副題の英訳は The Man Who Sang Nothing

「何も歌わなかった男」とも訳せるが
「無を歌った男」としたところに
著者の描こうとした
「ボウイ像のパラドクシカルな核心」があるのだという

「無の色気————デヴィッド・ボウイから世阿弥へ」は
無を歌ったというボウイの作品に触発され
「無」をめぐる思想を逍遙した軌跡である

それはポルトガル詩人フェルディナンド・ペソアの代表作
「煙草屋」冒頭の詩句
「おれは無だ」(おれは何者でもない)という宣言から始まり

W・H・オーデンの詩
「W・B・イエーツを偲ぶ」第二部に登場する
「詩は何も引き起こさない〔無(ナッシング)を引き起こす〕」へ

さらに詩における「無の場」として思い起こされる
ステファヌ・マラルメの『骰子一擲』へ

そこから日本の詩歌における
「無」「ないこと」の美学へと向かう

唐木順三の『中世の文學』からは
無をめぐる中世文芸の系譜が
「西行の歌や鴨長明『方丈記』の「すき」から鎌倉仏教を介し」
「兼好法師『徒然草』の「すさび」へと移り、
世阿弥および松尾芭蕉の「さび」に達」し
それらが「時折フリードリヒ・ニーチェの永劫回帰や
マルティン・ハイデガーの哲学と交錯するさま」を見る

唐木は「兼好が語った「つれづれ」という時間性のうちに、
花や月や祭りを見るに際しても
つねに「無を媒介にした有をみる」ような、
「すべての価値が平均化し、無聊索漠とした時間が、
空転している世界」を認め、それを
歴史なき時間としてのニーチェ的永劫回帰と引き比べ」ている

そして「「つれづれの無為」という
一種の形而上学的ニヒリズムを脱却し、
文化や歴史を甦らせ、無為に代わる行為を開拓せんとした」のが
世阿弥の「さび」であるとしている

「世阿弥の「さび」における「空即是色」は、
「色即是空」の極点をなす兼好的な「すさび」という
ニヒリズムの克服だった」というのである

重要なのは次の点である

「空即是色の色は、色即是空の色と同一であって同一ではない。」

「歴史や文化、総じて人間の営為は
このなまの色から枯れた色への変貌において、
単に気晴らしや、vanitéや、また情識の「すき」としてではなく、
充実した時間の内容として復活してくる可能をもつ」からである

世阿弥の「遊楽修道風見」では
「色即是空」は
「苗・秀・実の三段の階梯を完了し、
安定しきった芸境にまで到達」した境地だとしながら
「空即是色」について
「「破格の芸だ」とわかっていながらも、
あまりのおもしろさに、善悪の批判もうかばないという芸位」
「もはや是と非との対立はありえない」とされている

稲垣足穂の「美のはかなさ」も
唐木が「平安時代の「はかなし」という言葉から
その後の無常観に至る、王朝から中世への
文芸・思想の歴史を論じていることに通底し」

九鬼周造が「小唄のレコード」といったエッセイで
小唄を聴きながら「無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて
住んでいる人間」だと感じたことにも通じている

「空即是色」ゆえの「無の色気」が
深く感じとられたのだろう

この世のさまを「空」とするだけでは
「無の色気」は生まれない
「空」なるこの世のさまのなかにあって
それを「色」としてとらえるところに
生きられた「無の色気」は出来する

九鬼周造のいう「いき」というのも
その「無の色気」に近しいといえるのかもしれない

「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」
という高杉晋作の都々逸や
「白だ黒だの 喧嘩はおよし 白という字も墨で書く」
という都々逸もあるが
そうした唄から匂ってくる「空即是色」・・・

■田中純『イメージの記憶(かげ) 危機のしるし』(東京大学出版会 2022/4)
■田中純『デヴィッド・ボウイ————無を歌った男』(岩波書店 2021/2)
■唐木順三『中世の文學』(筑摩叢書56 昭和40年11月)
■稲垣足穂『一千一秒物語』(新潮文庫 1969/12)
■九鬼周造「小唄のレコード」(九鬼周造『九鬼周造随筆集』岩波文庫 1991/9)
■世阿弥「遊楽修道風見」(小西甚一編『世阿弥集』筑摩書房 1970/7)

**(田中純『イメージの記憶』〜「第6章 無の色気————デヴィッド・ボウイから世阿弥へ」より)

*「二〇二一年二月に『デヴィッド・ボウイ————無を歌った男』(岩波書店)という書物を上梓した。ロック・ミュージシャンであるボウイの作品論である。副題の英訳はThe Man Who Sang Nothing————これは「何も歌わなかった男」とも訳せる。音楽スタイルをさまざまに変え続けながら、五十年以上に亘って活動したボウイを「何も歌わなかった」と呼ぶのはいかにも矛盾しているが、邦題が表すように、この英文を「無(ナッシング)を歌った」ととらえるところに、拙著が示そうと試みたボウイ像のパラドクシカルな核心はある。そして、「無(ナッシング)」はボウイ自身が、たとえば代表作のひとつ〈「英雄たち(ヒーローズ)〉の歌詞で幾度も用いた、その作品世界の鍵となる言葉だった。(・・・)

 ここでは、ボウイの作品に触発され、同様に「無」を主題に書かれた文学作品や「無」に関する思想を逍遙したわたしの思索の軌跡を記すことにより、ボウイ論の外部に拡がる思考の可能性を粗描することにしたい。」

*「自著の劈頭に置くべきエピグラフを探していた折り、音楽家・久保田翠さんから頂戴した新作アルバム『later』(ombrophone records)の私家版CD附属冊子のなかで、「あらゆる詩はいつも翌日に書かれる」という、ポルトガル詩人フェルディナンド・ペソアの詩の一節に出会った。それはわたしに、ボウイが長いブランクののち、秘かに準備して二〇一三年に突然リリースしたアルバム『その翌日(ザ・ネクスト・デイ)』のタイトルを想い起こさせた。調べてみると、先の一節は詩「不眠」のフレーズである。さらにペソアの代表作である「煙草屋」冒頭の詩句が次のようなものであることを知る————

  おれは何者でもない
  けっして何者にもならないだろう
  何者でもないことを欲することはできない
  それを別にすれば、おれのなかに世界のすべての夢がある

  Não sou nada.
Nunca serei nada.
Não posso ser nada.
À parte isso,tenho em mim todos os sonhos do nundo.

 nadaはnothingにあたるから、「おれは無(ナダ)だ」という宣言から始まるこの詩には、ボウイの歌詞に通じる「無(ナッシング)のパラドックス」がある。この詩句との出会いは、「無」を主題としたヨーロッパの近現代詩をめぐるあてどない散策のきっかけになった。次に発見したもは、W・H・オーデンの詩「W・B・イエーツを偲ぶ」第二部に登場する次の詩句である。

  For poetry makes nothing happen:it surveives

 ここではこれを「なぜなら、詩は何も引き起こさない〔無(ナッシング)を引き起こす〕からだ。それ〔詩〕は生きのびる」と解したい。この第二部の詩節は次のように終わる————

  [...]it surveives,
A way of happening,a nouth.

 すなわち「それ〔詩〕は生き延びる/ひとつの起こり方、ひとつの口として」。偉大な詩人イエーツを追悼する詩はここで、「無(ナッシング)」こそが生じる、その「起こり方」のうちに、詩が「生き延びる」あり方を見ている。「ひとつの口」とは、そこから詩の言葉が溢れ出てくる、虚ろな穴のイメージだろうか。じつは先行するit surveivesにはIn the valley of its making[...](それを生み出す谷のうちに)という詩句が続いていた。この「谷」と「口」が呼応し合っていることは明らかだろう。詩はおのれが生き延びる「無(ナッシング)」の場をそれ自身によって作る。

 詩における「無の場」としてただちに思い浮かぶのが、ステファヌ・マラルメの『骰子一擲』である。」

*「ここで眼を転じて、日本の詩歌における「無」「ないこと」の美学について語ろうとすれば、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり裏のとまや秋の夕ぐれ」が思い起こされよう。しかし、唐木順三は『中世の文學』のなかで、日本中世の文芸において主軸をなす「すき」から「すさび」を経て「さび」に至る観念転換の根幹に作用した仏教的「無」の契機は、先の歌においても所詮は題詠の枠内にとどまった定家にはなかった、と説いている。その断定の是非は措き、一九〇四年生まれの京都学派の流れを汲む哲学者である唐木のこの著書(一九五四年刊)において、西行の歌や鴨長明『方丈記』の「すき」から鎌倉仏教を介して兼好法師『徒然草』の「すさび」へと移り、世阿弥および松尾芭蕉の「さび」に達する、無をめぐる中世文芸の系譜が、時折フリードリヒ・ニーチェの永劫回帰やマルティン・ハイデガーの哲学と交錯するさまを見せることは興味深い。そのような知的背景が、無によって駆動された観念の転換をダイナミックに描き出すことを可能にしている。たとえば唐木は、荒涼とした殺風景が支配する自由狼藉世界を生きた兼好が語った「つれづれ」という時間性のうちに、花や月や祭りを見るに際してもつねに「無を媒介にした有をみる」ような、「すべての価値が平均化し、無聊索漠とした時間が、空転している世界」を認め、それを歴史なき時間としてのニーチェ的永劫回帰と引き比べる。そして、この「つれづれの無為」という一種の形而上学的ニヒリズムを脱却し、文化や歴史を甦らせ、無為に代わる行為を開拓せんとしたのが、世阿弥の「さび」であると展望する。「空即是色の至芸」としての世阿弥の能をめぐって唐木はこう書く————「空即是色の色は、色即是空の色と同一であって同一ではない。変貌を経ているのである。〔中略〕歴史や文化、総じて人間の営為はこのなまの色から枯れた色への変貌において、単に気晴らしや、vanitéや、また情識の「すき」としてではなく、充実した時間の内容として復活してくる可能をもつであろう」。唐木にとって世阿弥の「さび」における「空即是色」は、「色即是空」の極点をなす兼好的な「すさび」というニヒリズムの克服だったのである。

 唐木の世代の哲学者が「無」を念頭においているのは、ハイデガーの『形而上学とは何か?』だったに違いない。そこでハイデガーは、人間を無(Nichts)に直面させる気分が不安(Angst)であると説く。」

*「このようなハイデガーの思索の反響を、われわれは唐木とほぼ同世代の或る作家の作品に見いだすことができる。一九〇〇年生まれの稲垣足穂である。垂穂は一九五二年のエッセイ「美のはかなさ」のうちに、こんな挿話を記している————旧友が或るお昼休みの教室で、黒板にチョークですばやく「六月の夜の都会の空」と書き留めた。彼はその九文字を白墨拭きでかき消し、「いや何でもない、何でも無い。でも、何かがここにありやしないかい」と言う・・・・・・。足穂の代表作『弥勒』にも登場するエピソードである。」

*「足穂の「美のはかなさ」後半はほとんど、ドイツの哲学者オスカー・ベッカーの論文「美のはかなさと芸術家の冒険的性格」の要約に終始している。足穂の無をめぐる思考は。美の「移ろいやすさ」や「フラジャリティ(脆さ、壊れやすさ)」への関心と密接に結びついている。このあたりについても、唐木が『中世の文學』ののちの著書『無常』で、平安時代の「はかなし」という言葉からその後の無常観に至る、王朝から中世への文芸・思想の歴史を論じていることに通底していると言えるかもしれない。それはまた。ヨーロッパ留学中にベッカー、ハイデガー、サルトルの三人と相知った九鬼周造が『「いき」の構造』をはじめとする著作で苦心しながら論じようとした、きわめて繊細で脆くはかない感性にも通じているように思われる。その探究の可能性は、概念化の形式性が目立つ『「いき」の構造』よりもむしろ、「音と匂い————偶然性の音と可能性の匂」や「小唄のレコード」といったごく短いエッセイ————小唄のような?————のほうによりいっそう強く感じられる。「小唄のレコード」で九鬼は、秋の夜に作家の林芙美子たちと小唄のレコードを逸しに聴いた思い出を語っている。「小唄を聴いているとなんにももうどうでもかまわないという気になってしまう」と林がつぶやき、同席の皆がそれに同意して、全員の眼に涙がにじみ出た————「わたしはここにいる三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだと感じた」。このエッセイの末尾、「どうせこの世は水の流れか空ゆく雲か・・・・・・」という小唄の一節に続けて引かれるのが、次のようなフランス語の死苦である「Avalanche,veux-tu m'emporter dans ta chute?(雪崩よ、汝が落下の裡に我を連れよかし)」。これはシャルル・ボードレール『悪の華』に収められた詩編「虚無の味(Le Goûte du nésant)」の最終行である。ハイデガーの言う「滑落(entgleiten)」を如実に表すイメージではないだろうか。」

*「ボードレールからハイデガー、そして、九鬼、唐木、足穂まで、あるいは世阿弥からマラルメ、ペソア、オーデンまで、ここでたどってきたのは、詩を生み出し、舞台上に一瞬の花となった咲き、端唄や小唄の一節を通して魂を震撼させる「無の色気」だった。「ぼくらは何ものでもない〔ぼくらは無だ〕(We're nothing)」という〈「英雄たち」〉のフレーズを歌うボウイの声には、それに似たものがたしかに宿っているように思う。この曲が収められた同名のアルバムののちボウイは「能」を含意するNoというアルバムを制作しているという噂が飛び交った。その数年後にレコーディングされ、宝焼酎「純」のテレビCMに使われた曲は〈クリスタル・ジャパン〉と題されている。そのCMの中で、滑らかな肌触りを感じさせる白いシャツを身に纏い、髪を綺麗になでつけた姿のボウイは、銀閣寺の向月台をじっと見つめていた。いささか型に嵌まった気味がなくはないにせよ、それは抗いがたい「無の色気」の魅力を湛えた、水晶のように結晶化して無時間的なアイコンとなったイメージだった。」

*(世阿弥「遊楽修道風見」より)

*「『般若心経』に「色即是空、空即是色」という句がある。芸能の諸道においても、色の相当するものと空に相当するものとがある。苗・秀・実の三段の階梯を完了し、安定しきった芸境にまで到達して、その演ずる曲すべてが演者の心に描かれた表現意象を完全に具現している境地、それは「色即是空」と言えるであろう。しかしながら、この芸境をこれ以上どうする余地もないものだと位置づける見解は————まだ空即是色の残されている境地であるから————早合点だというべきであろう。そういうわけで、「意識しない所に生ずる欠点への批判」に対しては、まだ安心しきれないわけである。ところが、このような用心の必要がなくなり。どんな演出をしても壮高な芸となり、たしかに「破格の芸だ」とわかっていながらも、あまりのおもしろさに、善悪の批判もうかばないという芸位、これこど、「空即是色」と言えよう。是も非も、共にすばらしいならば、もはや是と非との対立はありえないわけであり。従って、意識外の是非に対する用心も、必要を失うわけである。」

◎David Bowie - Heroes

◎David Bowie • Crystal Jun Rock • The Garden Version • Japanese TV Ad • March 1980

◎【都々逸】高杉晋作
「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」

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