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荻原井泉水「星を拾う」・「「層雲」小史」/ブレイク「無垢の予兆」/武満徹「私たちの耳は聞こえているか」

☆mediopos3354  2024.1.23

mediopos3351(2024.1.20)で
自由律俳句を提唱し
俳句雑誌「層雲」を主宰した
荻原井泉水をとりあげたが
ここでは『春秋草子』(一九三四年刊行)に収録された
「星を拾う」から・・・

井泉水は「層雲」の
『層雲自由律俳句選集』の選をしていたとき
夜空をながめながら
「つくづく人間というものの小さく、
その中でも自分というもののいと小さく、
又自分の仕事というものの殊に小さい事を思う」

そして膨大な数の句のなかから句を選ぶ体験を
「大きな宇宙の中の、小さな地球の上の、
小さな日本の国で、この国より外には通じない芸術で、
一番小さな詩形といわれている俳句というものに、
自分の精根をそそいでいる」ことだと思い至りながらも

ある詩人の次の言葉を思い出す

「人生というものは塵芥の中から
   宝石を見出すという事である」

そして「ほんとうに美しい星を私は拾い上げて、而して
それを一つの層雲の星系として運動づけたい」

「この時に、私はもう、自分というものが如何に小さく、
又自分の仕事というものが殊に小さいものだ
という事なぞは考えてもいないのである。」
と記している

俳句という小さな小さな詩形
しかも自由律俳句という
さらに小さな自由律俳句・・・

しかしそれはウィリアム・ブレイクが
「一粒の砂にも世界を
 一輪の野の花にも天国を見、
 君の掌のうちに無限を
 一時のうちに永遠を握る。」
という詩で表現しているように

そのミクロコスモスのなかで
世界を無限を永遠をも「握る」ことができる
いわゆる「握一点開無限」の芸術だともいえる

そのことを井泉水は
層雲の第二句集「生命の木」の
「芸術より芸術以上へ」という宣言において

「我々の俳句は生命の木の葉の一つ一つに過ぎない。
我々に大切なのは此の葉の一つ一つではない。
生命の木の幹である。
即ち、佳い句を作ることではなくして、
佳い人間として生きることである。
我々が句作の究竟するところはここにある。」
と記している

実際の自由律俳句が
その「芸術より芸術以上へ」ということを
表現としては達し得てはいないとしても

「生命の木」としての
ミクロコスモスとしての言葉が求めているものは
現代のわたしたちが見失おうとしているものに
気づかせてくれる重要な契機ともなるのではないか

それは俳句においてではないが
音楽において武満徹が
「私たちの耳は聞こえているか」というエッセイで
示唆していることとも通じている

私たちは「個々の想像力が自発的に活動することが
出来難いような生活環境」において
「見出したり、聴き出したりする能動的な行為を、
人間が、外の機械的手段(技術)に委ねてしまった」ために
「眼や耳は、生き生きと機能せず、
この儘、退化へ向かってしま」いかねない

現代は武満徹の生きた時代よりもさらに
「外の機械的手段(技術)に委ね」ることになってしまい
眼も耳も「発見と喜びに満ちた、確かな、経験」から
つまりは「生命の木」からますます離れようとしている

しかしながらミクロコスモスとしての言葉が
ただの「石」ではなく生きた「星」であり得るように
人間の生もまた
無限を永遠をも開き得る「生命の木」たり得る

そのことを忘れてしまったとき
わたしたちはただ閉塞していくだけの
奴隷機械のような存在になりかねなくなる

■荻原井泉水「星を拾う」(一九三四年)
 (『日本近代随筆選 1 出会いの時』岩波文庫 2016/4)
■荻原井泉水「「層雲」小史————「それより六十年」————」
 (『俳句(荻原井泉水追悼特集)』昭和五十一年八月号 角川書店)
■ウィリアム・ブレイク「無垢の予兆」
 (松島正一編『対訳 ブレイク詩集』 岩波文庫 2004/6)
■武満徹「私たちの耳は聞こえているか」
(小沼純一編『武満徹エッセイ選————言葉の海へ』ちくま学芸文庫 2008/9)

(荻原井泉水「星を拾う」より)

「書斎の窓を開いて、斯うした時、私はつくづく人間というものの小さく、その中でも自分というもののいと小さく、又自分の仕事というものの殊に小さい事を思うのだった。私の外にあるところのものは、この夜の空が何と大きく、又何と限りなく博く、又そこに無数にかかっている星が何れも一つ一つの世界である事を考える時に————。その大きな宇宙の中の、小さな地球の上の、小さな日本の国で、この国より外には通じない芸術で、一番小さな詩形といわれている俳句というものに、自分の精根をそそいでいるだけの私————。」

「この夏の半ばから、私は層雲の句集の選にかかっている。選むべき句は二年間に亙って、その貼り込みは積んでかなりの高さがある。その一枚一枚を、いや一行一行を、いや一字一字を丹念に見てゆくのだ。」

「私は或詩人の云った言葉をふと思い出したのである。
————「人生というものは塵芥の中から宝石を見出すという事である」————
 この言葉は私の心の底に勇気を注射してくれたような気がする。————そうだ、人生というものがそういうものなのである、こうした事の外に人生というものはないのである。
————私は自ら惰気を鞭打って、再び朱筆を執る。私は心を潜め、思を冴えしめて、又しても茫漠たる砂漠の中に眼をさらしてゆく————。
  無い・・・・・・・・・
  無い・・・・・・・・・
  これはどうだ————————
  これはいい————————
 そうだ、これこそ星のように光る宝石だ。いや、宝石のように光る星というべきであろう、この句はたしかに一つの世界をもっている、ひとつの宇宙的存在としての輝きをもっている。
 私は一つの星を拾ったという事に微笑むのだ。
  又、一つの星。
  又、一つの星。
 斯うしてこの新しい句集に編まれてゆく。」

「ああ、私は、この夥しい層雲の貼り込み帖の中から既に幾百という数の星を拾うてある。だが。それ等の星の中いんはほんとうに大きな星もあろう、又、比較的に小さな星もあろう。それを私は改めて鑑別しなければならない。而して又、星に似て実は石であるものはないか、それを改めて審査しなくてはならない。敢えて数を多く拾おうと心掛けているのではない。ほんとうに大きな星を、ほんとうに美しい星を私は拾い上げて、而してそれを一つの層雲の星系として運動づけたいのである。
 私は窓を閉じて、また机の上にある貼り込み帖に向かいつつ、その一行一行に、いや一字一字に、秋の夜の眼をさらしつづけるのだ。この時に、私はもう、自分というものが如何に小さく、又自分の仕事というものが殊に小さいものだという事なぞは考えてもいないのである。」

(荻原井泉水「「層雲」小史」〜「はじめに」より)

「層雲はいままでにして六十年。明治、大正、昭和の三代にまたがる。明治は四十四年(創刊)から四十五年七月(改元)までだから僅かに一年間にすぎない。けれども、層雲の理念を初めて俳壇に宣言した年として、重視せらるべきである。大正は十五年。明治の長さ(四十五年)と昭和の長さ(今日までですでに四十五年)との間にはさまれて、一般の歴史の上から見れば、明治と昭和とをつなげる橋わたしのようなものであるが、層雲の歴史としては最も重要な時期だったのである。俳壇の〝新傾向〟と称せられたものから離れて、層雲が層雲俳句という体質を打ち出したのは、大正期のはじめである。創刊以来、関係の深い碧梧桐と離れて、層雲の自主性を打ち立てたのは此の時期である。層雲第一句集〈自然の扉〉の出版が大正三年。此の集には新傾向の作風が多分に残されてはいるものの、新しい時代を指示する自由な作品も載っているし、次の層雲第二句集〈生命の木〉(大正五年刊)になると、まつたく。層雲の性格が判然と打ち出されている。しかも、この「生命の木」にある「芸術より芸術以上へ」という宣言のごとく、生命の木の作品は新鮮な生命に満ちたものである。此の点では昭和四十五年の今日にあって、層雲は再び大正初期の「生命の木」の原点に立ちかえるべきではないかということも考えられるのである。」

(荻原井泉水「「層雲」小史」〜「八 生命の木」より)

「第二句集「生命の木」が発行されたのが大正六年十二月。・・・・・・第二句集ははじめて作家別とした。俳句界全般を含めて結社としての句集が作家別になつたのはこれが嚆矢である。生命の木は層雲第四巻第五巻第六巻の選集である。

 第二句集「生命の木」には「芸術より芸術以上へ」という一論を載せてある。・・・・・・
 我々の俳句は生命の木の葉の一つ一つに過ぎない。我々に大切なのは此の葉の一つ一つではない。生命の木の幹である。即ち、佳い句を作ることではなくして、佳い人間として生きることである。我々が句作の究竟するところはここにある。」

(ブレイク「無垢の予兆」より)

「一粒の砂にも世界を
 一輪の野の花にも天国を見、
 君の掌のうちに無限を
 一時のうちに永遠を握る。」
 (『ピカリング稿本』より)

(武満徹「私たちの耳は聞こえているか」より)

「今日の私たちの生活は、無制限に送られてくる人工的な情報を受け容れることに多忙で、それを咀嚼することにさえ倦んでいる。私たちは、いま、個々の想像力が自発的に活動することが出来難いような生活環境の中に置かれている。眼や耳は、生き生きと機能せず、この儘、退化へ向かってしまうのではないか、という危惧すら感じる。
 今日、文明先進国から、嘗てのようには、強い個性をもった芸術が多く現れていないのは、見出したり、聴き出したりする能動的な行為を、人間が、外の機械的手段(技術)に委ねてしまったことに由るのではないだろうか。勿論、新しい技術は、有効に用いられれば、私たちの想像力を拡げるに違いない。だが、だいじなのは、そこに人間の手を通すことだろう。」

「詩の起原が、永劫の時間を不可視の痕跡に封じた古代の巨石や、砂壁に遡れるように。世界の至るところに詩は書かれ、歌はうたわれていた。目を凝らし、耳を澄ませば、その総てのうたやことばを読みとることが出来るはずだが、怠惰が私たちを盲目にしている。世界に、既に書かれうたわれ、描かれたものたちは、未だに私たちの周囲に息を潜めて、見出され、読み解かれることを待ち期んでいる。バッハやベートーヴェンは。また、ダ・ヴィンチやミケランジェロは、それらを新しい人間的価値として見出すことができたのだ。
 私は、作曲という仕事を。無から有を形づくるというよりは、むしろ、既に世界に遍在する歌や、声にならない呟きを聴き出す行為なのではないか、と考えている。音楽は、紙の上の知的操作などから生まれるはずのものではない。音符をいかに巧妙にマニピュレートしたところで、そこに現れてくるのは擬似的なものでしかないように思える。それよりは、この世界が語りかけてくる声に耳を傾けることのほうが、ずっと、発見と喜びに満ちた、確かな、経験だろう。
 だが、そのためには、私の耳(感性)は、現在より、もっと撓やかで柔軟でなければならない。」

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