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カル・フリン『人間がいなくなった後の自然』

☆mediopos-3166  2023.7.19

「人間がいなくなった後の自然」もまた
環境問題である

ほんとうの意味での「手つかずの自然」は
地球上にはほとんど残っていないが
人間が見捨て放棄した土地は残っている

その土地はいったい
その後どうなっていくのだろうか

著者は二年間をかけて
戦争の緩衝地帯
かつての産業の衰退地
放射能汚染地域
災害跡地
経済崩壊に見舞われた地域などを旅する

そしてそれら荒廃した土地の自然が
自発的に「再野生化」することで
新しい環境として遷移し
地球上のほかのどのエリアとも異なった
豊かな場所となっていることを見出していくが
その範囲は膨大なものとなりさらに拡大しつつあるという

放棄された場所には驚くべき生命力があり
とくに生物多様性の観点からすれば
人為的に保護され管理された場所よりも
豊かであるばあいがあり
むしろ人為的な介入は害となることさえある

著者はそれをこんな比喩で表現している

「荒れた土地で馬を走らせるときには
手綱を伸ばして、馬に自由を与えるのと似ている」

こうした観点での自然環境の保護には
さまざまなむずかしい問題が含まれているだろうが
「大規模で計画的な自然保護プロジェクトだけでなく、
あなたの家の近くにある
放棄され損壊した駐車場も有効である」という

重要なのは小さな場所からでも
生物多様性をできるだけ豊かなものにするために
過剰な人為的介入を避けるということなのだと思われる

現在はその逆に災害防止やクリーンな環境の推進等により
むしろ生物多様性を激しくスポイルしてしまう傾向にある

現代は特に先進国では出生率の低下と
都市部への人口流出から過疎地の空き家も増え続け
さまざまな地域が放棄されようとしている

「人間がいなくなった後の自然」を
生物多様性に満ちた場所としていくために
なにができるかを考えるのは喫緊の課題でもあるだろう

■カル・フリン(木高恵子訳)
 『人間がいなくなった後の自然』(草思社 2023/5)

(「はじめに スコットランド、フォース諸島」より)

「本書で、私たちは地球上で最も無気味な場所、最も荒涼とした場所へ旅をする。レーザーワイヤーで囲まれ、四〇年間放置された旅客機が、滑走路で錆びついている無人地帯、ヒ素で汚染され、どんな木も育たない森の中の空き地。くすぶる原子炉の廃墟の周りに急造された立ち入り禁止区域、砂浜が砂ではなく、かつてそこの海で泳いでいた魚たちの骨でできている、後退し縮んでいく海のさびれた海岸。

 これらの異質な場所をつなぐ共通点は、打ち捨てられた廃墟であるということだ。戦争のせいなのか、あるいは災害、病気、経済の衰退のせいなのか、それぞれの場所は何年間もあるいは何十年間も放置されたままである。時が経つにつれて、自然の力が自由に働くようになり、絶えず変化する環境を理解する上での貴重な手掛かりとなっている。

 もし本書が自然をテーマにしている本であるとしても、手つかずの自然の魅力を熱狂的に語るものではない。本書はある意味での必要性に迫られて書かれた。世界には、真に「手つかずの自然」が残っていると主張できる場所はほとんどない。最近の研究によれば、南極大陸の氷床や深海の堆積物からもマイクロプラスチックや有害な人工化学物質が発見されている。アマゾン川の流域の空撮で、森林におおわれた土塁が発見された。それは、はるか昔に滅びた文明の最後の遺跡である。人為的な気候変動は、地球上のあらゆる生態系、あらゆる景観を変容させるおそれがある。そして耐久性のある人工物は、消えることのない私たちの署名を地質記録に刻んだ。

 (・・・)

 廃墟が増えている理由の一つは、人口動態の変化である。先進国では出生率が低下し、農村部の人口が都市部へ流出している。世界の国の約半分で、出生率が人口置換水準(人口が増加も減少もしない均衡した状態)を下回るようになってきた。人口が、二〇四九年までに一億二五〇〇万人から一億人以下に減少すると予測されている日本では、土地(建物)の八件に一件はすでに廃墟となっており、二〇三三年には全住宅の三分の一近くが廃墟になると予測されている(日本人はこれを「空き家」と呼んでいる)。

 もう一つの理由としては、農業形態の変化である。集約農業は・・・・・・環境上多くの難点にもかかわらず・・・・・・少ない土地で多くの生産ができるため、効率的である。膨大な量の「限界的」農地は、特にヨーロッパ、アジア、北米では野生の状態に戻すことが許されている。(・・・)

 私たちは広範で自発的な再野生化の真っ只中にいるのだ。なぜなら、放棄するということは、非常に純粋な意味において、再野生化するということであり、人間が退くと、自然は、かつては自分たちのものだったものを取り戻すからである。それは、人が見ていない間に壮大なスケールで行われてきたし、現在も行われている。これは胸躍る将来の展望だと私は思う。最近の研究成果を発表した著者たちは次のように書いている。「世界中で回復しつつある生態系は、膨大で範囲も拡大しつつあり、六番目の大量絶滅を緩和するのに役立つ前例のない機会を提供している」

「次の章からは、世界の各地から一二の地区の物語をお届けする。各地区は、それぞれが放棄に至る異なった経緯と自然の再生を体現している。これらの地区はそれぞれがまったく異なる気候、文化、歴史を持っており、独自の哀愁と希望を感じさせる。これらの地区が語るのは、すべての場所は、どんなに荒廃していようとも、それなりに回復していくもので、そしてまた、人為的な影響がいかに長く尾を引くかということでもある。それらの場所が使われなくなってから数ね、数十年、あるいは数世紀もの間、人為的な影響は影を落とすことがあり得る。」

「第一部では、人間の不在はいかに自然を回復させるかを象徴する四つの場所について考えたい。」

「広範に放棄された場所の住民で、とりわけ目立つのはデトロイトの街に住む人々である。彼らは自分たちの苦境を美化するようになった。社会的文脈のない、両面映えする写真をボワーヤリズム(voyeurism)として、あるいは「廃墟ポルノ」として発表しているのだ。第二部では、このような人間的な側面に焦点を当てる。」

「第三部では、私たちが死んでいなくなった後でも長く消えずに残る私たちの遺産のある場所を訪れた。これらの場所は「私たちが去れば、自然は戻ってくる」というような単純な話ではないことを明確に語っている。私たちは地球のDNAに私たち自身を書き込んだ。地球に人類の歴史を刻み込んだのだ。すべての環境は、過去のパリンプセスト(重ね書き羊皮紙)を内包している。すべての森林は、それ自体の「生態学的記憶」を列記した葉や微生物で作られた回顧録である。もし望むなら、その読み解き方を学ぶことができる。私たちを取り巻く世界がどのようにして現在の状況に至ったかを読み解くのだ。」

「第四部では、打ち捨てられた二つの場所について研究したい。これらの場所は私の目には、そしておそらくあなたの目にも、時を超えて未来の姿を垣間見せているように映る。その未来では、気候変動や人類のその他の遺産によってまったく異質な世界が作り上げられているのだ。」

「私は二年間かけて、最悪のことが起きてしまった場所を旅した。戦争、原子炉のメルトダウン(炉心溶融)、自然災害、砂漠化、毒化、放射能汚染、経済崩壊に見舞われた風景である。世界の最悪の場所ばかりを次々に並べる本書は暗黒の書というべきかもしれない。しかし実のところ、本書は救済の書なのである。地球上で最も汚染された場所……石油流出で窒息し、爆弾で吹き飛ばされ、放射性降下物で汚染され、天然資源が枯渇した・・・・・・このような場所がどのようにして、生態学的プロセスを通じて再生できるのだろうか。最も人為的攪乱が多い土地に発生する人里植物はどのようにして足がかりを見つけ、コンクリートやがれき、砂丘にさえも定着するのだろうか。コケが黄金色の草になり、ポピーやルピナスの鮮やかな色の花になり、低木になり、樹木になるとき、生態遷移の色彩はどのように変化するのか。ある場所が見違えるほど変わってしまい、すべての望みが絶たれたように見えるとき、どのようにして別の種類の生命の可能性を育むのだろうか。」

(「第一部:人間のいない間に」〜「第一章 荒地:スコットランド、ウエスト・ロージアンのファイブ・シスターズ」より)

「荒地のような見た目の悪い場所が私たちに教えてくれることは、自然環境に対する新しい、より洗練された見方である。絵のように美しい景色かどうかでも、手入れが行き届いているかどうかでもなく、生態学的な力強さに注目することである。そうすることで、世界はまったく違って見えてくる。一見すると「醜い」あるいは「価値のない」場所でも、実は生態学的に重要な場所であることがわかるようになる。その醜さ、無価値さが打ち捨てられたままになった理由かもしれないが、その醜さや無価値こそが、再開発や過度な「管理」、すなわち破壊からこれらの場所を救ったのだ。」

(「第一部:人間のいない間に」〜「第二章 無人地帯:キプロスの緩衝地帯」より)

「キプロスで見られるような膠着状態や、地雷原のような戦時中の残存物がある場合、厳重な保護区と大して違わない状態になる。そこは野生動物の保護や天然資源の搾取を停止するための立ち入り禁止区域となるのだ。このような成果はもちろん、極めて不幸な状況の中での福次作用としての小さな幸せに過ぎない。しかし、このことは私たちに貴重な教訓を与えてくれた。

(「第一部:人間のいない間に」〜「第三章 旧農地:エストニア、ハリュ 」より)

「耕作地放棄地の変身物語は、生態学の核心となる概念の典型例である。「遷移」————裸地がやがていつかは、森に姿を変える過程————は、生態学の分野では中心的な存在となっている。一般生物学で、進化が学問の中心的存在であるのと同じである。」

(「第一部:人間のいない間に」〜「第四章 核の冬:ウクライナ、チョルノービリ」より)

「チョルノービリは放射能に汚染された荒地か、それとも安全な楽園か? 答えは両方だ。原発事故直後は、電離放射線が急増した。しかし、放出された放射性元素の多くは非常に不安定だった。時には数秒で自己崩壊した。中には数週間かかったものもあった。核分裂の生成物のうち、健康への影響という点で最もおそれられているのは、体内に容易に吸収されるヨウ素一三一である。(・・・)
 しかしヨウ素一三一の半減期はわずか八日である。つまる、放射能は最初の一か月で元のレベルの一六分の一にまで減衰し、同じ割合で減り続ける。一九九〇年代半ばには、この地域の総放射線量は、原発事故直後の一〇〇分の一以下になった。現在では、この地域のほとんどで、放射線は航空機内宇宙線、あるいは医療診断のスキャンを受ける際に経験するのと同じレベルにまで低下している。現在、最も懸念されているのは、セシウル一三七とストロンチウ九〇という放射性核種である。」

「野生動物がいっせいにこの地に戻ってきたことに議論の余地はないようだ。」

「突然変異は、がんもそうだが、自然に起こる。問題は、それがどのくらいの頻度で起こるかだ。」

(「第二部:残る者たち」〜「第五章 荒廃都市:アメリカ合衆国、ミシガン州デトロイト 」より)

「都市という状況の中で廃墟の問題を考えるのは有益だと思う。正しく照準を合わせるために、何をもって廃墟とするのかを考える必要がある。たとえその周りに人々がいたとしても、あるいはそこに人が住んでいたとしても、廃墟である場合がある。デトロイト市は、行政上の理由から、独自の定義を設けなければならなかった。廃墟として分類されるには、空き家であることと同時に、「外見上の荒廃の兆候」があると表現されることが必要である。」

(「第二部:残る者たち」〜「第六章 無秩序の時代:アメリカ合衆国、ニュージャージー州、パターソン 」より)

「都市環境において、放棄された空間に入ることは、地図から飛び出すことに最も近い。公園や庭園で暗黙のうちに求められる秩序や人の偏在がなく、匿名性があり、緑豊かな空間がある。都市の廃墟は、暗い森に入り込んだり、嶮しい山頂に登ったりするのと同じような効果を心にもたらすかもしれない。そして私たちは同じような理由でその野性的な要素を求めるのかもしれない。崩れかけた工場、黒々とそびえ立つ煙突、産業界の巨人たちの骨格の残骸の中で、私は胸の奥に火が灯り、魂が揺さぶられるのを感じた。崇高なものの影が頭上を通り過ぎていく。」

(「第三部:長い影」〜「第七章 不自然な淘汰:アメリカ合衆国、スタテンアイランド、アーサー・キル」より)

「人類の産業は世界を変えてきたし、今も変え続けている。もしも、明日、全人類が地球上から姿を消したとしたら、工場は沈黙し、発電機は震えながら停止し、貨物船は漂流し、衝突し、海底に沈み、土砂を舞い上げるだろう。それでも、私たちは、地球上の生息するほとんどすべての種の遺伝子構成に作用し続ける進化の力を発動させたのだ。彼らは予測できない方法で、そして間違いなくコントロールできない方法で、変身し、変態し、変化し、適応していく。彼らはできることなら生き延びたいと思っているのだ。」

(「第四部:エンドゲーム」〜「第一二章 大洪水と砂漠:アメリカ合衆国、カリフォルニア州、ソルトン湖」より)

「廃墟には驚くべき生命力がある。素人目には放棄されて朽ち果てたように見える場所にも意外な活力がある。また、生物多様性の面では、入念に手入れされた保護区を凌駕するものもある。介入は、その前に行われた出血と瀉血のように、益よりも害をもたらすことがある。私たちは自制心を身につけなければならない。そして、地球が制約なく自由に行動できるようにする最善の時期を見極めなければならない。荒れた土地で馬を走らせるときには手綱を伸ばして、馬に自由を与えるのと似ている。

 偉大な生物学者E・O・ウィルソンは、将来の災害に対する防波堤として、地球の表面の半分を自然に明け渡すことを提案している。そうすれば、そこは生物多様性の貯蔵庫になるだろう。これは、島の生物地理学の理論から導き出されたものである。この理論では、面積が大きければ大きいほど、その土地に生息する生物種の種類は多くなる。彼はまた、「島」を隠喩的な意味で捉えている。彼の画期的な発見は、現代の再野生化運動によって大きな刺激となった。現代では「景観規模」で目標を設定している。
 しかし、本書に登場する廃墟の島々は、次のことを思い出させてくれる。野生を取り戻すためには、大規模で計画的な自然保護プロジェクトだけでなく、あなたの家の近くにある放棄され損壊した駐車場も有効である。その駐車場は、世界中に広がる群島にある小さな島だと考えて欲しい。種が失われた土地に再びコロニーを作るための足がかりである。」

「地球上で起きたすべての大規模な絶滅現象は、進化的な創造性の爆発によって引き継がれてきた。これまで取るに足らなかった種が、隕石や気候変動や超巨大火山によって絶滅した種の役割を担うようになり、急速な多様化が進む。世界の種の半分が絶滅しても、その代わりに新しい生物が育つだろう。しかし、それには一〇〇万年以上かかるかもしれない。私たちは、個人としては、それを見ることはできない。おそらく、種としても、見られないかもしれない。」

●目次
はじめに:スコットランド、フォース諸島
第一部:人間のいない間に
第一章 荒地:スコットランド、ウエスト・ロージアンのファイブ・シスターズ
第二章 無人地帯:キプロスの緩衝地帯
第三章 旧農地:エストニア、ハリュ
第四章 核の冬:ウクライナ、チョルノービリ

第二部:残る者たち
第五章 荒廃都市:アメリカ合衆国、ミシガン州デトロイト
第六章 無秩序の時代:アメリカ合衆国、ニュージャージー州、パターソン

第三部:長い影
第七章 不自然な淘汰:アメリカ合衆国、スタテンアイランド、アーサー・キル
第八章 禁断の森:フランス、ヴェルダン、ゾーン・ルージュ
第九章 外来種(エイリアン)の侵略:タンザニア、アマニ
第一〇章 ローズコテージへの旅:スコットランド、スウォナ島

第四部:エンドゲーム
第一一章 啓示:モンセラトの首都 プリマス
第一二章 大洪水と砂漠:アメリカ合衆国、カリフォルニア州、ソルトン湖

◎カル・フリン(Cal Flyn)
作家・ジャーナリスト。サンデー・タイムズ紙とデイリー・テレグラフ紙の記者であるほか、ザ・ウィーク誌の寄稿編集者でもある。オックスフォードのレディ・マーガレット・ホールで実験心理学の修士号を取得。著書にオーストラリアの植民地問題を扱った「Thicker Than Water」がある。

◎木高 恵子(きだか・けいこ)
淡路島生まれ、淡路島在住のフリーの翻訳家。短大卒業後、子ども英語講師として小学館ホームパルその他で勤務。その後、エステサロンや不動産会社などさまざまな職種を経て翻訳家を目指し、働きながら翻訳学校、インタースクール大阪校に通学し、英日翻訳コースを修了。訳書に『ビーバー: 世界を救う可愛いすぎる生物』(草思社)がある。

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