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尹雄大 イリナ・グリゴレ「ままならない私たち 生きづらさを身体から考える」(ウェブ・マガジン「だいわlog.」)/グレゴリー・ベイトソン『精神と自然』

☆mediopos3225  2023.9.16

大和書房のウェブ・マガジン「だいわlog.」で
尹雄大とイリナ・グリゴレの
「ままならない私たち/生きづらさを身体から考える」という
「往復書簡」(現在第2回目までが掲載)が始まっている

この両者とはまったく異なったありようと
理解の仕方ではあるかもしれないが
ぼくも生まれてこの方
じぶんの「身体」と「言葉」の齟齬感を
感じながら生きているところが多分にある

少なからず「教育」の影響も大きいだろうが
おそらく半ばは本来的に
じぶんの「身体」や
じぶんの使っている「言葉」への違和感があり
その「身体」と「言葉」の関係もまた
どこかうまく噛み合わない

ぼくには日本語以外の外国語を
うまく使いこなせはしないのだが
じぶんの使っている日本語もどこかぎこちなく
なにかから下手に翻訳しているという感覚は去らない

それが意識の底にある別の言葉なのか
言葉にする前の思考からなのかはわからないが
とにかくどこかでなにかが
稚拙な翻訳をしている感覚がある
そしてそれは身体ともズレている

別の言い方をすれば
じぶんが言葉を使っているとき
その背後でそれを観察をしているじぶんがいて
そのあいだでズレが生まれている
それは声そのものでもあり
また言葉そのものでもある

だれかと話したりするときにも
そうした違和感に充ちたじぶんの身体と言葉が
エイリアンでしかないような相手の身体と言葉とで
疑似コミュニケーションを試みているようだ

もちろん表面的には通常のコミュニケーションであり
おそらく外から見ればとくに変なわけではないだろうが
ひょっとしたらぼくはほんらい
表面的な身体や言葉ではなく
別の方法を使ってコミュニケーションを
おこなっているのかもしれないようにも感じている

そういう意味では
ぼくはじぶん自身との対話も含め
(じぶんもまた他者である)
だれかとやりとりしているときには
そうした「別の方法」で
感受し思考しているといえるかもしれない

それは「ベイトソンがいうように、
一瞬で分かることがいろんなビートの重なりの現象で、
それは詩のような、音楽のようなもの」として生じ
それらがいわば「翻訳」されて
思考や言葉やコミュニケーションという形を
とっているということでもあるだろうか

したがってお互いの「別の方法」が近しく
その両者が共振したとき
瞬時にして共有することができるが
それがまったく異なっているばあい
表面的に意思疎通できているように見えても
まったく接点がなくなってしまう
身体としても言葉としても
そしてその背後にある生のありようとしても・・・

「ままならない私たち」の「生きづらさ」も
そうしたほんらいてきなズレからもくるだろうし
さらに「教育」によって「しつけ」られ
ズレがさらに大きくなってゆくのではないだろうか

■尹雄大 イリナ・グリゴレ
「ままならない私たち/生きづらさを身体から考える」
 (大和書房 ウェブ・マガジン「だいわlog.」)
■グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
 『精神と自然/生きた世界の認識論』(岩波文庫 2022/1)

(「この連載について」より)

「前へならえ」と言われたら、すぐにできるように「身体をしつけて」しまった私たちは、いつしか身体の声が聞こえなくなっているのかもしれません。
「小さく前へならえ」ができずに体が硬直してしまった経験のある尹さんと、社会主義国家による身体活動によって尊厳を傷つけられたと感じたグリゴレさん(その後チェルノブイリでの被爆体験も…)。
2人の身体は、自分の意識ではコントロールできない領域で、もっと敏感に色々なことを感じているようです。
自分だけのものだと思っていた「身体の違和感」をもっと見つめてみたら、生きづらさが和らぐかも。
そんな願いから、往復書簡がスタートしました。」

(「01 はじめまして 尹雄大より」(2023年9月1日掲載)より)

「この企画は、イリナさんと往復書簡をしてみたいとある日急に思い立ったことが始まりでした。私からの最初の便りですから、ことの発端についてまずは書こうと思います。

 きっかけは、イリナさんの書かれた『優しい地獄』を読んだことにありました。この本に描かれたルーマニアと日本の情景の描きぶりに、「こんな日本語を読んだのは初めてだ」という驚きが読んでいるあいだずっと続いていたのです。もちろん、それは「外国人でありながら日本語が達者だ」というような次元のことではありません。もっと根源的なことです。

 イリナさんの視界があり、捉えている世界があって、その見えている世界の縁にはさまざまに入り混じった感情が滲み出ている。そこに私は魅了されたのだと思います。」

「『優しい地獄』で描かれている世界は、日本からは遠く離れたルーマニアでの体験も多く書かれており、イリナさんの身体に生じた痛みを伴う体感もあるがゆえに、咀嚼するには難儀するはずです。

 ですが、普段の暮らしの中で、誰もがここでは当たり前のように口にする日本語が用いられているせいでしょうか。綴られている日本語が水のようにすっと身体に染み渡っていくのです。とても不思議でした。ただ、飲み慣れた軟水とは違う味わいではあるのです。見知ったはずの日本語が使い慣れた音をまるで奏でていない。美しい和音の不穏な響き。

 読み進めることは、飲むことをやめられないのにも似て、ごくごくと飲んでいきます。すると満ち足りるのではなく、自分の中に飢えがあったのだということに気付きます。イリナさんはこう書いています。

「私がしゃべりたい言葉はこれだ。何か、何千年も探していたものを見つけた気がする。自分の身体に合う言葉を」

「きっと新しい言葉を覚えたら身体が強くなる。日本語は、私の免疫を高めるための言語なのだ」

「身体に合う言葉」「身体が強くなる」という表現に出会ったとき、この島では誰もが話せて当然と思われている日本語ではあるけれど、その同じ言葉を「違ったもの」として語ることへの、自身の飢餓感に気付いたのです。そのようなものとして日本語を話し、聞き、書きたい。

 あるいは「日曜日、村の古い修道院の礼拝に連れられて、礼拝の音や光を浴びた私の身体が懐かしい」という一節にばったりと出会ったときもそうです。

「懐かしい」で済ますのではなく、「私の身体が懐かしい」というところに、日本語が日本語としてくっきりと立ち上がる姿を見るのです。日本語が日本語によって縁取られている気配を感じるのです。それは日本語が自分の外にあり、身につけるべきものであったという体験なしに生じない感性だと思うのです。」

「勝手な想像ではあると思いながら、当て推量を下地にして私の日本語体験について述べます。ある時期を境に、私は「日本語をしゃべっている」という自覚が備わりました。

 私は在日韓国人の三世で、祖父母が半島から渡ってきました。両親とも韓国人ですが、韓国語は話せません。バイリンガルの家庭ではなかったので、体得すべき言語は日本語以外にありません。誰しも生まれたら、自然とその土地の言葉を身につけます。私もまたそうです。

 ですが、決して自然なものにしてはならないという掟が私の中に作られたのです。自然に身につけた日本語を我が身から引き離す感覚は、日本語を自覚的に喋らないと自分の身を守れない。それこそ身体が強くはなれないという切迫さと裏腹でした。そんな捻れた構えをある時期からとるようになったのです。そのときのことははっきりと覚えています。」

「日本語とは親密な間柄ではあるけれど、「身体が強くなる」ためにも日本語と私が癒着することを警戒しなくてはいけない。ここで生きていくには、迂闊にも日本語が私そのものであると勘違いしたら弱くなってしまう。それだけではなく、きっとしっぺ返しを喰らうに違いない。例としてふさわしいかわかりませんが、完全にドイツに同化したと思っていたユダヤ人が1933年を境に平手打ちを喰らったように。日本は平和な国なのになぜそんなことを想像する?と思うかもしれません。これについては機会を改めて書くかもしれません。 

 先ほどイリナさんの綴る日本語について「見知ったはずの日本語が使い慣れた音をまるで奏でていない」と述べました。同じものが違ったこととして用いられる。日本語に同化するのではなく、日本語を異化する。これはコミュニケーションの可能性につながるのではないかと思います。

 「生きづらい」がこの島で強い共感を得ています。確かに苦しい状況はあるでしょう。一方でそれは聞きなれた、見慣れた通りに日本語を自覚なしに用いている状態ではないかと思うのです。

 生きづらさという閉塞した時代という感覚を多くの人が共有している中、同じ言葉を別の形で用いるとき、互いが抱えている困難さを「生きづらい」という慣れた言葉に委ね、同化させるのではなく、解き明かす共通言語として働かせることができるのではないか。そんなことをイリナさんの書かれた本から感じています。」

(「02 尹さんへ イリナより」(2023年9月15日掲載)より)

「本当に私に言葉が必要だったかどうか謎です。育った村では一生文字を読みかきしない人たちがたくさんいたので考えてみれば私もその一人だった確率がとても高いのです。祖父母も自分の名前以外は読み書きできませんでした。私が小さかった頃、祖母が描いたウサギと熊の絵を最近見つけて、その線をなぞれば今でも同じような絵が描けます。ルーマニアの田舎で畑と草の中、森で遊んでいた自分が文字ではなく、イメージと音に一番反応するので、書き言葉ほど辛いことはないと思う毎日です。それでも、私は文字を書き続けるという不思議な行動をしているのです。それは、このお返事もそうですが、自分の身体にとっては必要なものではなく「遊び」のような行為です。

子供の頃、庭にあった花梨の木とプラムの木の間に棒を置いて、鉄棒のような遊びをしていました。その遊びに夢中になり、全身を使って飛んでいるような感覚なのですが、私にはそれだけの楽しみではなくて、鉄棒遊びしながら歌を歌っていたのです。その歌は自分で歌詞も新しく作って、曲も自分で作って次々と言葉と音楽が自分の身体から産まれ続けた感覚を今でも覚えています。鉄棒で全身を曲げながら、歌を歌うという不思議な修行を自分で考えたのかもしれません。あるいは、実験のようなものだとも言えます。昔から、自分が自分の後ろに一歩引いて、観察をするのが得意なのです。尹さんも『聞くこと、話すこと。』の中で、人の声、音のズレの話をされていますね。私たちは普段からお互いのことがわからない、理解し難い生き物ですが、お互いの声に注目すると必然と身体同士で伝わることがあります。それは怖がらずに他者になる経験の一つです。そして、私にとっては外国語で文書を書くことも他者になる実験の一つなのです。

祖父母の話に戻ると、彼らは文字を読めないかわりに、たくさんの知恵と能力が詰まった身体で生きていました。そういう自然の中で生きる経験が私を人類学へと導き出す――これはどこの先住民もそうですが、自然と共に生きる人々へのロマンだけではなく、私自身もこういう経験をしていたので、あえて文字で伝えることがあるとしたら、ベイトソンがいうようにメタローグという言葉を超えたコミュニケーションでしかやる価値がないものです。『優しい地獄』はそのつもりで書きました。ベイトソンへのオマージュとして。ベイトソンの本と出会ってから私の全てが変わったのでした。彼が生きていた頃からまだ理解されてない部分が多く残されているのですが、哲学者のドゥルーズとガタリの『千のプラトー』のプラトーという言葉は実はベイトソンから来ています。これはバリ島の人々がプラトーという感情の変化がない状態を維持するメカニズムについての論文で生み出した用語です。20世紀のすごいマインドの二つ、ドゥルーズとベイトソンが繋がっていることがわかったときに身体に響きました。新しい民族誌を書きたいと思い始めた頃でもあったので、自分を他者にする、自分が他者であることの気づきともつながりました。ベイトソンも自分の娘との対話でさまざまな発見をしたのと同じく、自分もそのタイミングで母親になって産後鬱を乗り越える一つの方法が子供の声を全身で聞くことでした。二歳児は自分自身を母親と同じ身体だと認識しているそうで、子供の声を自分自身がすでに忘れた声として受け入れる感覚でした。自分が他者であると受け入れる瞬間その時まで知らなかった世界が開かれると尹さんも同じような経験されたようですね。海を見る瞬間も。どうせ口から何かが出るとすれば歌がいいと書いてあったので、未来の言語について考えを巡らせました。

人類の初期、私は言葉ではなく、踊りでコミュニケーションしていたと思っているので、これからの人類の言語は言葉とは限らないと考えたいです。」

「ベイトソンの『精神と自然―生きた世界の認識論』からの引用を入れましょう。第3章の「世界の復習のバージョン」では、リズムのビートによる「モアレ」現象の話が出てきます。ベイトソンは、自身で定義した「モアレ現象」を通して、生き物が一瞬で互いを理解できると言い切ります。

「美的経験の性質に関しては、他の疑問も生じる。詩、ダンス、音楽、その他のリズム現象は明らかに非常に古風で、おそらく散文よりも古い。それはさらに、リズムが絶えず変調されているというアカイックな行動と認識に特徴的なものである。つまり、詩や音楽は、それを受容する生物が「重ね合わせ比較」によって数秒ほどの記憶のうちに処理できる素材が含まれているのである。」

――筆者訳(Bateson, Gregory 2002. Mind and nature: a necessary unity pp.75. Hampton Press, Inc.)

私にとって文章を日本語で書くことは、さっきの鉄棒遊びをしながら新しい歌を作り出していたあの経験に似ています。それはある類の音楽、リズムであるとわかった瞬間から意図的な行いでした。

言い換えると、私はドゥルーズの言う「すでに翻訳されたような言語」を目指していたのです。私は祖母に似て人間の声にとても敏感なので、一瞬でその人がどんな人なのかわかる。尹さんの声を私はまだ聴いてないですが、文書のビートで読み解けることがたくさんあるのは確かです。尹さんの日本語には家族へ想いのビートが入っていたと最初から気づいていました。ぜひもっと聞かせてください。私は手紙と手紙への返事がとても苦手ですが、逃げないようにします。私の調査先の女性は、昔の恋人の手紙を見せてくれたのですが、その瞬間に苦い液体を飲み込んだような感覚がありました。ベイトソンがいうように、一瞬で分かることがいろんなビートの重なりの現象で、それは詩のような、音楽のようなものなのでしょう。」

◎尹雄大(ゆん・うんで)
1970年、神戸市生まれ。テレビ制作会社勤務を経てライターになる。主な著書に『つながり過ぎないでいい』『さよなら、男社会』(ともに亜紀書房)、『異聞風土記』(晶文社)、『体の知性を取り戻す』(講談社現代新書)など。身体や言葉の関わりに興味を持っており、その一環としてインタビューセッションを行なっている。

◎イリナ・グリゴレ
1984年ルーマニア生まれ。2006年に日本に留学し、2007年に獅子舞の調査をはじめる。
一時帰国後2009年に国費留学生として来日。弘前大学大学院修士課程修了後、東京大学大学院博士課程に入学。主な研究テーマは北東北の獅子舞、日本で生活する女性の身体とジェンダーに関する映像人類学的研究。現在はオートエスノグラフィー、日本における移民の研究を始めている。

◎尹雄大 イリナ・グリゴレ
「ままならない私たち/生きづらさを身体から考える」
 (大和書房 ウェブ・マガジン「だいわlog.」)
https://daiwa-log.com/magazine/yun_irina/life01/

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