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クリス・ゴスデン『魔術の歴史/氷河期から現在まで』

☆mediopos3332  2024.1.1

近代になると
合理性と客観性が追求され
魔術は胡散臭いものとして
社会の周縁へと追いやられているが

古代から魔術は
アニミズムを背景にしながら
あらゆる時代あらゆる場所で見出されてきた
そして今でも周縁では根強く生きている

クリス・ゴスデン『魔術の歴史』は
四万年以上の歴史をもつ魔術を振り返りながら
未来に向け人類の新たな可能性を開く文明論として
新たな魔術の可能性を論じている

過去の魔術を取りもどすということではなく
魔術の持つアニミズム的な世界観を再認識し
現代において私たちが直面している
さまざまな危機を乗り越えるにあたり
その可能性を新たな時代に向けて
展開させようとするものであり

その基本的な前提となっているのが
「人類史は総体として魔術、宗教、科学の
三重螺旋から成り立って」いるという認識である

「宗教は神や神々に焦点を置き、
科学は物理的リアリティの客観的理解を専らとする」のに対し
魔術は「人間と宇宙との繋がりを協調する」

その「三者の境界は曖昧で変動的であるが、
それら相互の緊張関係は創造的」なものとして
とらえる必要があるとしている

特に科学との関係でいえば
「科学は人間を世界から隔絶させ、世界の外に置き、
その結果、抽象的な用語を用いて物質の働きを観察し理解し、
しかる後にその知識を実用的な目的に当て嵌める」が
「魔術は、宇宙に於ける人間の参画を通じて作用する」

「深刻な生態系の危機を迎えた今日、
世界との物理的・倫理的繋がりの探求」にとって
魔術の「参画」というスタンスが重要となる

科学は対象から切り離すことで世界を扱うが
魔術は世界に「参画」し
その関係性において世界と交流しともに変容する

科学がともすれば機械論的な世界観において
「われわれはそれができるか」と問うのに対し
魔術は人間と世界との直接的な関係性のもとで
その営為を「為すべきか」と問うのである

そして魔術はアニミズム的な世界観のもと
生のあるなしの境界を越え
なにものをも平等にあつかいながら
すべてのものとともに生きるという視点を示す

魔術は「宇宙にある全てのものと共に生きる」いう
可能性を提供しうる世界観のもとにあるのである

それは仏教における縁起の世界観を
物質世界を含む全宇宙において
展開させることの可能な方向性だともいえるだろう

わたしはわたしという個でありながら
身体においても魂や精神(霊)においても
同時に常に世界に「参画」し
すべてのものと関係している
その視点は基本的に神秘学的なそれでもある

■クリス・ゴスデン(松田和也訳)
 『魔術の歴史/氷河期から現在まで』(青土社 2023/3)

(「第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか」より)

「私の魔術の定義は人間と宇宙との繋がりを協調する。すなわち人間は宇宙の営みに対してオープンであり、宇宙はわれわれに応答する。魔術はまた、他の二つの偉大なる歴史の索、すなわち宗教および科学と関係しつつ区別される。宗教は神や神々に焦点を置き、科学は物理的リアリティの客観的理解を専らとする。魔術は最古の世界観の一つでありながら、今なお絶えず更新される。故に現代の魔術は、深刻な生態系の危機を迎えた今日、世界との物理的・倫理的繋がりの探求に役立つ。

 過去数世紀に亘り、魔術は悪評を重ねて来た。ある意味ではそれは、胡散臭い使い手による誇大な主張の所為である。最も成功を収めた反魔術プロパガンダ・キャンペーンは、魔術の親戚である宗教と科学によって遂行された。しかしながら、また長く続く人間の行動の要素は何であれ、個人や文化にとって重要な役割を果たしているに違いないのだ。本書の目的は、魔術の奇妙かつ圧倒的な多様性を記録すること————魔術はあらゆる時代、あらゆる場所に見出されることから、これによって世界史に新たな次元が付加されることとなる、さらに私は、そのポジティヴな性質を探求し、次のように問いたい————今日の世界に対して、魔術は何を提供しうるか。」

(「第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか」〜「魔術とは何か」より)

「魔術に関する最初の問いはこれである————「それは何なのか?」。私が用いる定義は魔術とは参画perticipationであるとするものである。人間は直接的に宇宙に参画し、宇宙はわれわれに影響を与え、われわれを形作る。」

「魔術には極めて幅広い参画の形態があり、それぞれを細かく分類することは有用である。三つの参画の形態が考えられる————超越transcendence、変容transformationmおよび交流transactionである。超越的関係性は、宇宙は人間に影響を与えるが、人間が宇宙に影響することはできない場合に生ずる。超越の典型例は占星術であり、そこでは天体が人間の生活を形成するが、人間が恒星や惑星の運動に影響を及ぼすことはできない。中世および近世ヨーロッパの占星術に関する箴言「上なる如く、下も然り」には、影響力の明解な一方向性が示されている。人々は超越的な影響を適切に理解し、従い、反応することはできるが、それを変えることはできない。

 変容は参画の一つの位相である。例えば錬金術は鉛を黄金に変え、あるいは平凡な薬物を不老の霊薬に変えるかもしれない。魔術もまたしばしば強力な変容を取巻き、吹き込む。(・・・)人はまた自分自身をも変容させる。(・・・)シャーマンの参入儀礼ではしばしば、志願者は一度解体された後、新奇な力を持つ新たな形態に再構築される。オーストラリアのアボリジニによれば、景観は夢幻時の時代に祖霊、例えば虹蛇の活動によって変容し、それによって土地に力と危険が与えられた。人間は儀式によってそれに参加せねばならない。

 ここで変容は交流に溶け込んでいる。魔術の多くの形態に於いて人間は多様な形で宇宙と取引する。」

「超越、変容、交流はしばしば、相互作用の中に全てを同時に見出すことができる。例えば中世ヨーロッパでは、人々は主要な惑星の影響力を説く占星術を信じ、富を求めて錬金術を実験し、目出度き覚えを賜るために聖人に捧げ物をしていた。だが超越的関係性が支配的である場合、人々はこちらの影響力の及ばぬ宇宙に対して疎外を感じ、畏怖することになる。変容と交流を通じてより相互的な関係性が存立する場合には道徳的関係性がしばしば重要となり、それが適切な尊崇と気遣いある行動を採る動機となった。
 あらゆる文化が、世界の仕組みについて思いを馳せる。魔術は因果の観念に組み込まれ、その形成の一助となった。全ての因果律の体系には少なくとも解答と同じくらいの疑問が含まれるが、それはまた人間の状態の諸相とも対応している。魔術は他の二つの探求と行動の枠組み————即ち科学と宗教————と密接に繋がっている。」

(「第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか」〜「三重螺旋————魔術、宗教、科学」より)

「魔術は、宇宙に於ける人間の参画を通じて作用する。宗教では、人間根源的な関係性は唯一神もしくは多神とに間のそれである。科学は人間を世界から隔絶させ、世界の外に置き、その結果、抽象的な用語を用いて物質の働きを観察し理解し、しかる後にその知識を実用的な目的に当て嵌める。」

「人類史は総体として魔術、宗教、科学の三重螺旋から成り立っており、三者の境界は曖昧で変動的であるが、それら相互の緊張関係は創造的である。魔術、宗教、科学からいずれかを選択することは不健全であり、三者それぞれに歴史がある。しばらくの間、魔術と科学に注目すると、魔術はわれわれを、生命の有る無しを問わずあらゆる存在との繋がりの縺れの中に編み込む。科学はわれわれが宇宙の作用から独立し、それについて超然と客観的に思索することができるという強力な虚構を創造した。

(・・・)

 一見、極めて異なってはいるものの、魔術と科学には多くの共通点がある。いずれも世界の作用、およびその作用から人間が利益を得る方法を理解しようとする試みである。科学は世界を物質とエネルギーに分け、それを形成する力や、万物を動かす化学的・生化学的力学を追い求める。魔術は土地に精霊を見て、人間と動物の関係を考察し、誕生と死を巡る変容を理解しようとする。科学が定義する力は精霊が世界に生命を与えているとする魔術の主張と共鳴している。われわれの表層的な思考や議論の下にはわれわれと世界との関係に関する、より深い直観と欲望がある。魔術語科学が分岐するのはこの点である。魔術の実践と哲学は他の生き物、景観、諸天との親しさの感覚に由来する。魔術を通じてわれわれは相互性を探究することができる————われわれは如何にして宇宙と繋がっているのか。参画を通じて周囲のものに影響を及ぼすにはどうすれば好いのか。その中心的要素は倫理的関心である、科学の理解は抽象性に由来し、数学によって物質、エネルギー、力を定量化する。だが同時にニュートンの法則のような基本的出発点から論理的に推論し、世界の真の豊穣を探求する。科学は人間と世界との切り離すのに対して、魔術はわれわれを世界の中に容れ、科学とは異なるやり方でわれわれと宇宙との倫理的関係性を問う。」

「今日の魔術は旧き信仰の化石ではなく、宗教や科学と共に三重螺旋の一部として常に存在してきたものなのだ。この等位的な関係性の考察により、包括的な歴史という新たな観念が現出するのである。」

(「第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか」〜「魔術の概略」より)

「魔術、宗教、科学の関係性は力の均衡に関わるもので、力は世界のどこに存在するのかという問いを提起する。魔術は人間と世界との直接的な関係性を見る。人間の言葉と行為は事象と過程に影響を及ぼしうる。宗教はある程度、この魔術的な関係性から力を得ており、それを神々に帰すものの、渋々ながら人間の直接参画の余地を多少残している。科学の機械的宇宙論は人間の位置を根本的に変える————そこでは宇宙は神も人も必要とせず、自ら機能するのだ。宇宙とその諸力は人間に対して無頓着である。こうした機械的宇宙論の帰結を受け入れるなら、人間は疎外もしくは無規範の状態に陥る。過去二世紀に亘り、多くの者が冷淡な宇宙の真理いぇき・情動的帰結に取り組んできた。魔術はわれわれを取り巻く世界との豊かな相互の繋がりを約束するが、多くの者はそうした約束を迷妄、危険もしくは絶BH王的な夢の物語であると見做す。

 過去数世紀に亘り、全般的に力の均衡が魔術と宗教の側から外れ、物理的現象の中により効率的な因果関係を見出すようになってきた。だが世界の様々な場所でそれとは全く異なる歴史的軌跡を見ることができる。」

「魔術は宗教や科学よりも古く、それらの誕生を促した。これらの初期に歴史は現在では失われており、その再発見は急務である。普遍的であって魔術は、中東のような場所に組織化された宗教が登場すると、徐々にこれに乗っ取られることとなった。組織化された宗教は長きに亘って地球上の極く限られた地域————すなわち地中海中央部から南アジアまでの地域————にしか見出し得なかったという認識は重要である。仏教やキリスト教、ヒンドゥー教およびイスラムのような宗教が広まったのはたかだかここ二千年あまりのことに過ぎない。」

「太古の歴史に於いて人々は自らを世界の一部と感じ、その創造と破壊の諸力に参画していたが。その後はそのような諸力を神々として具体化した時代、さらには科学によって記述される客観的な宇宙の時代への遷移が見られた。だが魔術はこのような後記の流れと共存し、人間と調和宇宙(コスモス)との直接的な繋がりを監督してきた。魔術が支配的な社会は、宇宙との合一的のお蔭で調和的で平和的であったというわけでもない。そこにはかなりの暴力、社会の腐敗、分裂があった。それは間違いなく、たとえそれを望もうともわれわれが立ち返りうる状態ではない。しかしながら魔術は人類の長い歴史に連綿と続く流れである。それはわれわれとリアリティとの親しさを探究する。宗教と科学のように距離を置こうとする態度を補完し、釣り合いを取る上で重要な営為である。これらの三者から一つだけを選ぶのは、必要でもなければ望ましいことでもない。」

(「第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか」〜「現代の魔術」より)

「西洋文化は自らを魔術に対して否定的と定義する。近代化とは魔術を信じなくなることである。近代は産業革命、民主的な体制、合理的な科学の台頭、人間社会と世界の仕組みの分析に於ける合理性の重視等々を通じて実現した。魔術は近代性のあらゆる特質の対極に位置すると考えられた。」

「過去及び現在のほとんどの者は、宇宙には生命と知覚があるという深い信念を抱いていた。天体は純然たる質料と重力と速度によって定められた運動をする単なる光る岩の塊に過ぎないという時計仕掛けの宇宙の代わりに、人はわれわれが宇宙の中にあり、宇宙がわれわれの中にあるという信念を涵養してきた。アニミズムおよび知覚性に対するこのような普遍的な信仰については、立ち止まって良く考えねばならない。」

「二〇世紀の西洋に徐々に、リアリティと人間にとってのその意味に関する新たなモデルが出現してきた。一般相対性理論によって宇宙はより動的かつ可変的なものとなり、時間と空間、それに重力は聯関し影響を及ぼし合っていることが示された。一方、量子力学は宇宙をさらに奇妙なものにした。観察者が観察対象に影響を及ぼす可能性を提唱することで、かつては主観と客観に分かれていたもの同士が繋ぎ合わされたのである。リアリティ全体が何らかの形で意識を持ち、生物種は宇宙に瀰漫する、より全般的な知覚性の特殊な形態に過ぎないという可能性を提示することで、意識の本質とは何かというような問題が考察されるようになった。一方、生物学と社会科学では、人間であるとはどういうことなにかという観点が生み出された。そこでは身体とは別の理性的な精神というものは軽視され、身体の持つ知性、われわれの感覚と情動の状態に重きが置かれる。人間であることは、よりホリスティックな事柄となり、精神は身体の中に入り込み、身体の持つ技術は人が制作し使用する工芸品と結びつけられた。人間の知性のみならず、他の多くの生物が互いに交流し理解する能力を持っているという可能性もまた再考された。樹々には社交生活があり、蛸や鳥が創造性を示し、状況の変化に対応して新たな行動を採る。人間の知性はこの世界の幅広い知性の一つの要素に過ぎず、そこでは人は生物と無生物を問わず周囲の世界に対して間断なく反応することが求められる。このような観念はアニミストとの会話を可能とする。」

「最終章で論じるが、全世界的な魔術伝統のさまざまな位相と、さまざまな科学の位相の新たな発展を結集し、それによって世界の仕組みとその中にわれわれの位置に関する根強い前提を変えていくことは可能であり望ましいことである。(・・・)このような現代の魔術は物理的な意味でのリアリティの仕組みの観念を強力な倫理的次元に結びつける。魔術は人を、近縁性によって世界に結びつける。近しさには気遣いが必要であり。魔術はわれわれがそのような気遣いを涵養する手助けとなるのだ。」

「「魔術」という言葉の含意、意味の範囲は極めて幅広い。われわれの誰もが、そんなのは魔術的思考だと非難されることを望んではいない。一方でものごとが魔術のように捗ればこの上なく嬉しく思うのである。一つのパフォーマンス、芸術作品、景観に対して「魔法みたい(マジカル)」以上の褒め言葉はほとんど無い。魔術が被った酷い圧力にも関わらず、この言葉は多くの場合は肯定的に用いられる。私が本書で捉え、論じようとするのはこのような肯定的な位相である。魔術は軽信的で無教養で愚かな、あるいは狂った人が抱く時代遅れの信仰などではない。魔術は人々の最後のよりどころですらない。寧ろ多くの生命の傑出した特質なのだ。魔術は人間存在をホリスティックに見ることを促し、実際的・倫理的関係を通じて人と地球を結びつける。われわれがポジティヴかつホリスティックな、地球規模の思考を必要とする時、魔術は大いに有用である。」

(「第10章 現代と未来の魔術」〜「今日の魔術」より)

「環境が破局を迎えようとしている。」

「現在の多大なる危機には、行動と姿勢の真摯な対応が必要である。」

「魔術の根源にして中軸は参画である。参画とは神秘的状態ではなく、深い関与を意味する。熟練の自動車工がエンジンに対して行うような、あるいは料理人が食材を組み合わせる際に行うような関与。さらに、世界への参画とは必ずしも自然との幸福な調和への参与ではなく、ちょうど世界が人間の涵養と過剰な搾取に対してオープンであるように、世界の創造的・破壊的フェイズのいずれに対してもオープンであることである。」

「世界の多くの地域の現代の魔術は科学と対立している。今日の西洋魔術が受け入れられるためには、科学的な環境の中で成長せねばならない。科学こそが世界に対するわれわれの常識的な姿勢の多くを形成しているのだ。
(・・・)
 科学的・宗教的信仰を包含する現代思想の三要素は、新たな魔術にとって重要である。第一の要素は、再び人間を世界の中心に置き、人間の身体技能、その感覚と感情を強調し、人間とその周囲のもの、すなわちより良く生きるための道具とを区別しないこと。現代思想の第二、第三の次元は、生命のあるなしを問わず世界の知覚性を探求し、人間の知性と知覚性が多くの中の一つの形に過ぎず、他の多くの知覚ある存在との交流を通じて形と目的を獲得している可能性を提起する。これはまた、物質は何らかの形で知覚を持つという、物議を醸す可能性も提起する。われわれは現代の魔術のために、これらの可能性を起点として探究していく。

(「第10章 現代と未来の魔術」〜「知覚ある生命のネットワーク」より)

「われわれの知性は底レベルでも機能するが、それでもなお、日常的で当然のものと思い込んでいる活動、言葉、イメージを通じて知性を明示し発達させることが重要である。知性は身体かた離れた精神の中ではなく全身で起こるのであり、その身体は事物と近しく繋がっている。身体の感覚は、それが近しく関係している世界に同調しており、その繋がりはあまりにも強く、どこまでが身体でどこからが環境なのか、しばしば識別は困難になる。

 物質的なものはわれわれが世界を理解する際のパートナーである。何らかの活動————炊事、サイクリング、タイピング————を通じて、世界はわれわれにとって意味あるものとなる。それが意味を持つのはわれわれが感じ、関わるからだが、われわれの関係性の本質の一部は世界の事物から来る。」

「魔術とは、生命が隅から隅まで至るところに存在していることを認識するためのテクノロジーである。」

(「第10章 現代と未来の魔術」〜「物質は知覚を持つのか」より)

「現代物理学の最もチャレンジングな問題は、物質の持つ知覚、何なら意識である。物質とは何であり、それが霊や精神のようなものとどう違うのかということもまた多くの人が取り込んできた問題であり、多くのチャレンジングな答えが出ている。」

「アニミストにとって宇宙は常にアクティヴでエナジェティックである。しかもそれはしばしば人体のエネルギーと連続しており、人間と人間以外のものを相互に影響し合うパターンで繋いでいる。多くの集団は西洋人が生きていると見做すものと、不活性と見做すものを区別しない。このような繋がりは二世紀ほどの間、機械的宇宙論によって破壊され、命のない物質と人間の霊魂の違いは、あたかも物質とエネルギーの対照のようにされていた。物質に再びエネルギーが吹き込まれると、より連続的な宇宙が西洋思想の中に再参入できるようになる。新たなエネルギー論は、西洋思想を他の多くの文化に見出される人格化された宇宙へと近づける。」

(「第10章 現代と未来の魔術」〜「魔術の未来————参画と責任」より)

「気候変動と不平等という世界的問題のスケールと緊急性は、われわれの姿勢と活動の根本的な転換を必要とする程である。魔術には新たな可能性が含まれている。それは多くの文化では今も生きているが、西洋世界のような文化では周縁化されている。もしもわれわれがより魔術的な姿勢を採用すれば、世界はどのように見えるだろうか。どのような防御を魔術は提供できるだろうか。」

「この上なく深遠な魔術的世界観の中心には、気遣いの倫理がある。
(・・・)
 気遣いを強調する上では、生者と死者の関係性の均衡を取りもどさねばならない。」

「われわれは、それがあり得るあらゆる場所に知覚と知性を探究し始めた。(・・・)知覚性の最後のフロンティアは物質の中にある。ここでわれわれ西洋人は、生あるものとないものとの厳格な区別によって妨げられてきた。万物に意識が宿る可能性を追求すれば、間違いなく驚きがもたらされ、意識の定義は書き換えられるだろう。だが知覚ある宇宙の中で人間は自意識という奇妙な能力を見せている————そして自己という感覚と共に、他者の感覚も高度に発達し、次のように問うことが可能となっている。「宇宙は何を欲しているのか」、そしてそれに従って行動することも。」

「人間の感情とメンタル・ヘルスについても再考が必要である。これには二つの要素がある。第一に、多くの人間は物質的には満たされているにもかかわらず、世界から疎外される孤独を感じている。西洋世界では実用的な技能や関係性を身に付ける人はますます減りつつある。殆どの者は食糧やその他の物品は他者が作るものと考えているのだ。食事が他所で調理され、デリバリーされてくるほどに。直接的な身体的参画が減るほど孤立と不安の感覚は増える。両者は繋がっているのかもしれない。第二に、人間の感情的・心理的状態は現在、極めて狭量な形で定義されている。多くの社会は極めて幅広い心理状態に価値を置いてきたし、その中にはわれわれが精神病と考える状態も含まれている。多くのシャーマンは西洋の基準からすればどれほど控え目に言ったとしても奇人であり、彼らのポジティヴな貢献は周縁化され、黙殺されただろう。霊と話す人は現在のわれわれの言う正常の外側にいる。だが西洋にいるそのような人は、われわれが語らない重要な真実を語っているのかもしれない。このような真実は、たとえ語られたとしても、そのまま聞き流される。」

「全ての人間の文化は世界を変容させることで生きている。粘土を火に掛けて壺を作る、金属を交ぜて新たな形態を作る、食用に植物と動物を育て、その一部をちょうりする。その全てに何が可能か、望ましいか、必要かという熟練の判断が含まれている。西洋では変容は純然たる技術的問題と見做されてきた————正しい材料を用意し、正しい温度を用いる、等々。こうした要素も重要だが、多くの集団はこれらの活動に携わる者の倫理的・身体的状態に関する重要な問いを提起する。現代アフリカの鍛冶屋であれ、中世の錬金術師であれ、職人自身としばしばその道具や材料を浄化するために労力を注いでいる。熟練の製品にはその制作が可能か否かのみならず、その制作者が望ましく適切な人物なのかという問題も含まれていた。浄化の重要な副産物は、ある種の活動が必要か否かに人々の関心を集めることだった————それは今行うべきことなのか、そして金属、壺、食糧を作ることの、より広範な霊的意味や、生産性の低下は現在の成長追求とは正反対であり、全く異なる思考様式に由来している。時に生産が必要か否か、誰がいつそれを行うかを問うことは、管理者の責務について考え、未来の世代のために物資を節約するためには必須である。新たな素材を用いてこれを変容させることは、経済的な問題であると共に実存的な問題でもある。長期的にみて、自ら生産することを考えるのは、われわれの多くにとっては無縁のこととなってしまった。三十年後に家や家具を作るために今木を植えるという行為は、西洋世界ではどれほど一般的でああろうか。だがこれらの問題に関するわれわれの考えは急速に変わり始めているという感じもする。われわれの今日の行いは、来るべき世紀とその先に大きな影響を及ぼす。

 われわれは世界を理解し、変えるために科学を用い続ける。だが魔術には科学のエネルギーとそのテクノロジーを黙らせるだけの、兄としての力があり、お蔭でわれわれは科学の発見を応用すべき目的について考えることができる。宗教は人間を越える諸力に対する畏敬の念を奨励する。魔術は皆が共有する物質と世界との関係性を探究する一助となる。そして科学は、宇宙の物質的位相を操作するための隔たりと技術を提供する。魔術、宗教、科学はいずれもさまざまな人間の能力を示すためにわれわれの内部に到達した————魔術を通じてわれわれの共感的な性質に。宗教を通じて宇宙のスケールと美に対する畏敬の感覚へ。そして科学を通じてわれわれの技術と能力へ。魔術・宗教・科学の三重螺旋の全ての要素は必須である。何故ならそれらはわれわれが宇宙に到達し、さまざまな形でそれを探求し、それと繋がるのを助けてくれるから。どの一つの素も本来的に他の二つよりも重要ではない。そして間違いなく、魔術はこの三者の内の最底辺というわけではない。

 魔術は共同生活の可能性を提供する————宇宙にある全てのものと共に生きる生活である。このような関係性の転換が困難だが、賞金は高い————真にオープンな共同体の達成や維持は難しいが、地球の温暖化を防ぎ、平等な状態で生きることはまさに急務。これに失敗すれば地球上の生命の脆弱なネットワークに破局がもたらされ、多くの知覚性の索を脅かす。魔術は、生のあるなしを問わず、万物との近しさの感覚をもたらす。そして近しさがあれば先人も生ずる。家族や友人に対して感じるのと同様の責任である。科学が「われわれはそれができるか」と問うところ、魔術はこう問うのだ、「為すべきか」と。」

□目次

第1章 魔術とは何か、それは何故重要なのか
第2章 超古代の魔術(紀元前4000年頃-6000)
第3章 都市の魔術-メソポタミアとエジプト(紀元前2000年頃-現在)
第4章 中華の魔術-深遠なる参画(紀元前2000年頃-現在)
第5章 ユーラシア・ステップのシャーマニズムと魔術(紀元前4000年頃-現在)
第6章 先史時代ヨーロッパの魔術伝統(紀元前10000年頃-0)
第7章 ユダヤ、ギリシャ、ローマの魔術(紀元前1000年頃-1000)
第8章アフリカ、オーストラリア、南北アメリカの魔術
第9章 ヨーロッパ中世と近代の魔術(1500-現在)
第10章 現代と未来の魔術
年表-世界魔術史
翻訳者あとがき

○クリス・ゴスデン
オクスフォード大学ヨーロッパ考古学教授、ヨーロッパ考古学研究所所長。英国アカデミーおよび古代学会の会員。

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