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東辻賢治郎「地図と分身たち ⓱ディタッチメント」(『群像』)

☆mediopos-3058  2023.4.2

東辻賢治郎の連載「地図と分身たち」の
17回目の章題は「ディタッチメント」

ここで論じられているのは
「盲点」のことだ
それが「ディタッチメント」と関係している

「紙の上に二つの点を描いて、
そのひとつを見つめたまま紙と目の距離を変えていると、
あるときに視界の隅に見えていたもうひとつの点が消える。
そこで網膜上の点の像が盲点、
すなわち視細胞が虚ろな領域に入ってしまうからだ。
近すぎても遠すぎても盲点を発見することはできない。」

片目で二つの点の片方を見てその距離を変えていくと
それまで見えていたもう片方の点が見えなくなる
「盲点を突かれた」という表現もあるけれど
じっさいにやってみるとほんとうにそうなる

もしそのあるはずの点があることを知らないで
その場所から動かないでいると
ほんの近くにあるにもかかわらず
その点を知ることはできないままである

その見えない場所のことを知ろうとすれば
そこから動かなければならない

「眼球の奥に盲点があるように、
つまり視界のもっとも近い場所に
もっとも離れた場所があるように、
おそらく私たちの意識にも、
ある距離と運動によってのみ
存在に触れることのできる遠い場所がある。」

これは物理的な盲点のことだが
視点の取り方ということで考えるときにも
同様なことは起こり得る

なにかを認識しようとするとき
多視点的である必要があるというのも
こうした「盲点」に気づくためでもある

目先で見ることと長い眼で見ること
一面的に見ることと多面的に見ること
枝葉末節で見ることと根本的に見ること
鳥の目で見ることとと虫の目で見ることなど
一見じぶんにとって関係ないと思ったり
ネガティブに感じられる味方であったとしても
いろんな視点を持つことではじめて
「盲点を突かれる」ことで気づけるきっかけになる

この連載は地図に関することだが
じぶんがいまどこにいるのかを
地図で確認したりする際にも
往々にして「盲点」があったりもする

この章の最初に
「故郷の地図を持って旅に出る者はいない」とあるが
「人が故郷の地図を発見するのは
故郷で生きはじめてからずっと後のことだ。
それは常に発見として訪れる。」
ということは示唆的である

「故郷」にあるとき
それそのものが「盲点」となったりもする

さてこの記事とは少しずれるかもしれないが
「ディタッチメント」と
その反対語の「アタッチメント」についての
両義性について少し

一般に「ディタッチメント」は分離
物事にかかわりを持たず孤立し無関心な態度を意味し
「アタッチメント」は
子育ての際に母親と子の間に形成される愛情を
意味したりもするが

仏教・ジャイナ教・ストア派・道教などでは
「ディタッチメント」が
欲望や苦しみからの解放・解脱を意味するのに対し
「アタッチメント」はその逆に
欲望や不安の源だとされていたりもする

これもまた「盲点」との関係でいえば
「アタッチメント」状態は
「盲点」そのものが見えない状態であり
「ディタッチメント」状態が
みずからの「盲点」に気づいた状態だといえそうである

神秘学者であるためには
故郷喪失者であることが求められるのも
「アタッチメント」状態の外にいなければ
「盲点」を知ることができないからだろう

■東辻賢治郎「地図と分身たち ⓱ディタッチメント」
 (「群像 2023年 04 月号」所収)

「人が母語との関係に齟齬や懸隔を感じるようになるのは、言葉を話すようになってからずっと後のことだ。言葉のやってきた場所を見返そうとして人は失語する。あるいは我を忘れる。同じように、人が故郷の地図を発見するのは故郷で生きはじめてからずっと後のことだ。それは常に発見として訪れる。言葉を換えればそこに常に歪みや誤謬や齟齬の経験がある。それは地図が例外なく歪んでいる事実とは無関係な話だ。そして故郷の地図を持って旅に出る者はいない。旅に出ることは地図を置き去りにすることだ。

 旅先で描かれる故郷の地図にはかならず歪みや誤謬がある。そこには、距離によって生じるものではないけれど、その距たりなしには知ることのできないような歪みが生じている。逆にいえばその歪みや誤謬によって、私たちはそこにある回復する術のない隔たりを知る。それは故郷と地図との関係に限ったものではないかもしれない。

 オステンドに行ったことがある。ベルギー、あるいは西フランドルの、北海に接する小さな都市だ。」

「ゲルマン系の言葉に疎かった筆者は Oostende あるいはOstende という地名の綴りを見て、それは西の端のこと、つまり英語に置き換えれば west-end のことだと思い込んでいた。いかにもそこは大陸が途切れる地点であって、自分は東方から地の尽きる場所にやって来たと思っていた。
(・・・)
 しかしそれは単純な誤りだ。現在は地続きになっているオステンドの街の起源は、海岸から少し離れて東西に延びる砂州の上にできた漁村だった。その中世の集落は砂州の東側にあったので、やがて oost-einde つまり東端の町と呼ばれるようになった。オステンドとは東の果てのことなのだ。

(・・・)

 紙の上に二つの点を描いて、そのひとつを見つめたまま紙と目の距離を変えていると、あるときに視界の隅に見えていたもうひとつの点が消える。そこで網膜上の点の像が盲点、すなわち視細胞が虚ろな領域に入ってしまうからだ。近すぎても遠すぎても盲点を発見することはできない。盲点は距離の関数として姿を現すものの、運動の記憶の中にしか形を留めない。私たちが動かない限り、そこに見えない場所があることは近くからも遠くからも知ることができないのだ。

 遠くから西の果てに見えていたものは、近づいてみれば東の果てだった。そのことに気づいて以来、この錯誤の記憶は旅先から持ち帰った小石のように、ある種の遠さの感覚とともに頭の隅に居着いてしまった。(・・・)

 西の端と東の端が重なる場所とは対蹠地のことだ。眼球の奥に盲点があるように、つまり視界のもっとも近い場所にもっとも離れた場所があるように、おそらく私たちの意識にも、ある距離と運動によってのみ存在に触れることのできる遠い場所がある。」

「それぞれの眼球に盲点があるように、両眼で見ている世界にも溶解する距離が存在する。だれかの顔を見つめながら互いに接近するとき、私たちはどこかで距離を失い、その顔を見失う。その先は意味や役割のない、暗がりの触覚の世界だ。私たちはそれを信頼や愛といわれるものに委ねている。地図に触れようとするとき、人は伸ばした腕の分だけのその隔たりを確認して、そこで見えなくなる何かを見定めようとしているようでもある。だとすれば、それがやはり信頼とか愛の所作と極めてよく似ているとしてもそれほど不思議なことではないのかもしれない。

 あるいは、地図の上に暫定的な身体の係留地点を拵えることによって、たどりつこうとする場所とかそこまでの道筋とか、あるいは「地図」とか、そういった何かを地図の中から引き摺り出そうとするのかもしれない。それならばむしろ、その身振りは地図を忘れてしまうための別離の所作ということにもなる。」

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