見出し画像

堀江敏幸「中庸、をめぐって」 (『正弦曲線』)/柳宗悦「「中」について」(『宗教とその真理』)/計良龍成『中道を生きる 中観』

☆mediopos3369  2024.2.7

堀江敏幸のエッセイは
おりにふれて読み返すことも多いが
かなり前の著作『正弦曲線』をめくっていると
「中庸、をめぐって」が目にとまった

それは「どっちつかず」からはじまっていて
やわらかくユーモラスな内容であるかに見えながら
その実「最も過酷な過ごし方」としての
「積極的などっちつかず」について語られ
「永久磁石としての苛烈な中庸の力は、
そこでこそ試されるのだ」で終わっている

なぜ「どっちつかず」が「最も過酷」で
なにが「そこでこそ試される」のか

それは「振れるべき針を振れさせないような
きびしい磁場を選んであえて均衡を保とうとする」
そんな「異常」な「踏ん張」りだからだという

なにかを考えるときや行動するとき
「右か左か、上か下か、前か後か」
あるいは白か黒かイエスかノーか
そうすることが苦になるどころか
常にはっきりした態度をとるひともいるだろうが

わたしたちは往々にして
どちらかを選ぶことができないままに
「どっちつかず」になってしまうことがある
その「どっちつかず」は面倒な状況ではあるが
「過酷」だったりはしない

しかし「どっちつかず」を積極的に
徹底しておこなうとすれば話は別である

いうまでもなくふつう使われているような
「どっちつかず」という言葉はふつう
「中庸」や「中道」といった儒教や仏教
アリストテレスやデカルトまでが
それらを「徳」として用いたような意味ではないのだが

堀江敏幸の語る「積極的などっちつかず」は
まるで「修行」のようにおこなわれる
「どっちつかず」のようだ

ただどちらかが決まらないということと
どちらかを決して決めないということは
似て非なる態度である

どちらかを決めても決めなくても
どうでもいいようなことであれば
決めないでいても面倒でなければどうでもいいのだが

どちからを決めるように強く求められ
そのことが認識においても行動においても
じぶんにとって切実なまでに決めたくないときは
その「積極的などっちつかず」は
たしかに「過酷」であり得るだろう

話はすこしばかり飛躍するが
その「中」をいわば「行ずる」ことでしか
得られないような智慧や徳もあるはずで

それが『論語』では
「中庸の徳たるや、それ至れるかな」となり
それが「民に少なくなって久しい」ともされ

仏陀は八正道という「中道」を説き
龍樹やその後の仏教者は「中観」を極め

西欧においては
アリストテレスによって倫理学上の一つの徳目とされ
デカルトも情念を制御する高邁な精神だとしている

以下の引用で紹介したのは
比較的最近「中」に関係して参照したものだが
(柳宗悦『宗教とその真理』/
 計良龍成『中道を生きる 中観』)

「中」は行じがたく困難なものであるにもかかわらず
重要な人類の叡智であることが示唆されている

そうした叡智については
ひとそれぞれそれらが
どこまで理解し実践できるかどうか
ひとぞれぞれだろうが

いまわたしたちにとって重要なのは
安易にどちらかを選ぶことで
じぶんをそのどちらかに属させる安易さではなく

必要であれば
ひとからの批判さえあり得るような
「積極的などっちつかず」のままでいられるような
「中」という態度かもしれない
そうすることでしか拓けてこない
そんな「世界」もあるはずだから

■堀江敏幸「中庸、をめぐって」
 (堀江敏幸『正弦曲線』中公文庫2013/11)
■柳宗悦「「中」について」
 (柳宗悦(若松英輔:監修・解説)
  『宗教とその真理』亜紀書房 2022/9)
■計良龍成『中道を生きる 中観』
 (思想としてのインド仏教 春秋社 2023/5)

*(堀江敏幸「中庸、をめぐって」より)

「どっちつかず、という言い方は、たいてい否定的なものである。右か左か、上か下か、前か後か、とにかくはっきりさせなさい、自分の意見を持たないで人の話を聞いてからさあどうかしようなんて考えている輩は、いつまでたっても決断の時を掴めないまま、煮え切らない人生を悔やむことになりますよ、と耳もとでだれかがささやく。この世界で生きていくかぎり、他者の影響をまったく受けない個でありつづけるのは不可能である。精神面でどんなに自立しているところを見せても、身体的、経済的には、外の世界とつねに結ばれ、外の空気のふるえを意識しながら生きているのであって、何から何まで、心の問題までも自分ひとりで解決することなど、夢に等しいのである。かりにそんな馬鹿げた夢を完遂しようとすれば、ある日突然虫になり、周囲のだれからも理解されずに死んでいくカフカの小説の主人公のような救いと笑いを見出すほかなくなってしまうだろう。

 いろいろな場所で自分自身に言い聞かせるように繰り返してきたことだが、すでにつけられている印のどれかを選んだり、周囲を顧みず定められた範囲をはみ出るほどの勢いに身をまかせ、万人が認める狂いの軸のほうへ精神の針を動かしてやろうとする感覚は、きわめて自然なものだ。この世に留まらないという決意すら正常に映るのが、不可視の甲虫の、固く醜い着ぐるみを着た私たちの世界であり、そこではむしろ、振れるべき針を振れさせないようなきびしい磁場を選んであえて均衡を保とうとする連中のほうが、よほど異常に見える。なぜそんなところで踏ん張ろうとするのか、おそらく周囲の者はだれも理解できないだろう。人は、いつか死ぬ。生きることがゆるやかに死んでいくことに等しいなら、最も過酷な過ごし方は、そのゆっくりを全うするための、積極的などっちつかずなのではないか。」

「私たちはだれもが、虫になったグレゴール・ザムザの道に片足を踏み入れている。両脚を取られずその縁で留まりうるかどうか。みずからの異変を異変として明確に意識し、近親者の内側に眠っている残酷な笑いの種を見つめられるかどうか。永久磁石としての苛烈な中庸の力は、そこでこそ試されるおだ。」

*(柳宗悦「「中」について」より)

「東洋の宗教思想において「中」の観念は重要な位置を占める。ここに実在を示す哲理が託されたのみならず、これはしばしば実践の目標とさえ考えられた。

 仏教において特に八宗の始祖と仰がれる龍樹は彼の思想の根本を「中」の観念に説いた。彼の主要な著書は「中観論」と呼ばれている。この「中論」は後に「百論」及び「十二問論」を合わせていわゆる「三論」を形作り、遂に支那において「三論宗」拠依の典籍となった。
(・・・)
 しかし「中道」はただ三論宗に限られたのではない。台家においても「中諦」は厚く説かれた。むしろ「中」の意義を一個の教理にまで進めたのは天台宗においてである。いわゆる「三諦円融」は天台が説く最も根本的な教理であった。三諦とは空、仮、中の三諦である。また法相宗においてもその教相判釈によって中道を最後の仏説とみなした。いわゆる「第三時教」がその中道教である。法相宗は自らを中宗と呼んだ。

 仏教においてのみならず、老子も「中」の意味を深く見ぬいた・しかし何人も思い起こすのは四書のうち最も哲学的に見て深い「中庸」である。子思は彼の思想の根底をこの「中庸」の意味に託した。彼は「中」の観念を深く反省することによって徳教としての儒教を哲理の上に安定させた。」

*****

「「中庸」は本来過不及のないというがごとき相対的意味ではない。ただちに天に即する宗教的行為である。「中」は躊躇いではない、鋭さである。遅疑ではない、直指である。即如との直下の融合である。絶対の即するのが「中」である。

 ある者は左右の平均に「中」を認めている。しかしかかる思想は「中」をある条件に依存させたに過ぎぬ。自律な「中」の面目はかかる意と何の関わるところがない。「中」はそれ自身の「中」である。左右を許さぬ「規範的中」である。すでにこれを測ることすらできぬ。「中」に対して用うべき秤はないのである。また在る者はこれを中心Centreとして理解する。しかしこれも遂に相対の意に終わるであろう。周囲にあっての中心に過ぎぬ。聖ベルナールであったか「神は至るところに中心を持つ、しかしいずこにも周囲を持たぬ」と言った。この言葉には驚くべき鋭さがある。「中」について言い得る最後のひとつは周囲を許さぬ中心とのこの言葉であろう。この矛盾にすべての神秘が包まれている。「中」は真に現存する、だがその四方はどこにもないのである。

 ひとつの比較によって導くなら右の意はさらに明らかになるであろう。すべての神秘家の時間に対する宗教的理解は「永遠の今」ということに帰着する。一般に現在とは過去と未来との中間であると考えられる。しかし真の現在の意義すなわち永遠の現在とは、時間的加算または未来への無限な延長という意では決してない。絶対時とは前後に過去と未来を許さぬ現在との謂である。歳月の離脱である、その追加ではない。「永遠の今」とは過去と未来とを許さぬ規範の意がある。Sollenの時間である。前後を持つ時間はいかに無限に進むも畢竟相対的時間に過ぎぬ。「中」はこの例証によっていっそう鮮やかに書かれるであろう。上下を持つ「中」はただ分析の所産に過ぎぬ。真の「中」はそれ自らの「中」である。二元を考えずして一元が観じられるとき、真の一元は理解されるのである。二元に対する一元はなお一種の二元に過ぎぬ。「中」が純に「自律」の「中」として認識されるとき、真の「中」を心に活かし得るのである。(一九一八年六月稿)」

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「序論 中観思想を理解するための予備知識」より)

「縁起説は、中観思想にとって、仏陀の説教中、最も重要なものと言えるだろう。縁起とは、「(物事が原因に)依拠して生起する」というほどの意味である。原因に依拠して結果が生じるのだから、縁起は、一般的に言うならば、「物事の因果性」として理解することができる。

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「第一部 中観思想史/第一章 初期中観思想」より)

「ナーガルジュナが『中観』により果たした役割」

役割①
「彼は『中論』によって初期の八千頌系の般若経の思想を根拠付け、一切諸法が「空」であり、「無自性」であり、「不生・不滅」であることの証明に努めた。」

役割②
「空性の意味と空性の有用性(効用・目的)を彼が明らかに説いているところである。「空」という語の意味は、自性(縁起したものではなく、恒常不変の本性)を欠如していること、即ち無自性である。そして事物が空であること(空性)・無自性生は二諦説の導入により、世俗としてではなく、勝義として理解されるべきことと説明される。世俗と勝義という二諦の区別を正しく理解し、世俗としてではなく、勝義として空性を理解する者が、仏陀の深遠なる教説における真実を見るのである。ゆえに、ここから、空性とは勝義であり、真実であると理解することができる。」

役割③
「彼が、「空性」を、仏陀が悟り明らかにした「縁起」に他ならないと考え、「空性」は仏陀の教説(伝統説)に基づくことを強調し、そのことの証明を試みていることである。」

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「第一部 中観思想史第二章 中期中観思想」より)

「中期中観思想は、四〜五世紀にかけて成立した瑜伽行唯識学派からの思想の影響とその思想に対する批判という文脈のもと、バーヴィヴェーカが学派としての中観派を確立した六世紀から後期中観思想が成立する八世紀までの思想である。」

「瑜伽行唯識学派は、「この三界は心のみ(唯心)である」と説く『十字経』等の「唯心」の教えを。外界の非存在を意味する説として解釈する。中期中観思想のバーヴィヴェーカとチャンドラキールティはいずれも、瑜伽行派の「唯心」解釈を批判して受け入れない。彼らは、教典の「唯心」の教えを別様に解釈し、「世俗としては、認識作用(心)と同様に、外界の対象も存在する」と言うのである。」

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「第一部 中観思想史第三章 後期中観思想」より)

「八世紀以降の後期中観思想の中心となるのは、仏教論理学派のダルマキールティの正しい認識手段の理論の影響を受けた、ジュニャーナガルバ、シャーンタラクシタそしてカマラシーラの中観思想である。彼らは、後にチベット仏教において、インド東方(ベンガル地方)出身の後期中観思想の最も重要な三人の師として「東方自立の三」と呼ばれている。」

「ジュニャーナガルバによると、二諦の区別を正しく理解する者は、仏陀の教えを誤解せず、功徳と智慧の集積を築き上げ、自利と利他を完成し、一人の仏陀に成るという目標・彼岸に到達する。一人の仏陀に成るという大乗仏教の理想実現のためには、二諦の区別を正しく理解することが必要なのである。」

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「第二部 中道思想としての中観思想/第一章 縁起思想」より)

縁起と二諦
「縁起は勝義と世俗の二側面を持つと理解されなければならない。両者をそのように理解することは、世俗として原因に縁って結果が生起するところの縁起、即ち原因に縁って生じた事物それ自体が、勝義としては不生起であると理解することである。つまり、勝義という真実は、世俗として縁って生じた事物、即ちこの現実世界から乖離・離存する仕方で考えられているのではない。勝義とは、現実世界から乖離した天界のような理想世界ではなく、縁って生じたこの世界において理解され確立されることなのである。」

*(計良龍成『中道を生きる 中観』〜「第二部 中道思想としての中観思想/第二章 中道思想 」より)

「カマシーラは、縁って生じた事物の勝義と世俗との両側面の理解を中道の中心思想として確立し、世俗の中道と勝義の中道のどちらもその中心思想かた理解すべきことと考えた。この場合、彼の中道思想は世俗の真実と大悲から切り離されているという批判は、この中心思想ゆえに、起こらないであろう。勝義の中道は、その中心思想の一部として理解されるのである。
 この中道の中心思想は、カマシーラに、無住処涅槃だけではなく仏陀の一切智も中道として成立すると説明することを可能にしている。それゆえ、その中心思想は、彼に、彼の中観思想を、中道を完成するための道として組織化することを可能にしたのである。
 さらに、カマシーラは、中道の直接的な認識はどのように成立するのかを説明している。非日常的な無分別の智慧の直後に得られる有分別の智慧(概念知)、即ち後得知を有する菩薩の直接知覚は、事物を、勝義の本性を持たず、世俗として原因や条件に依存して生じる幻のようなものとして、見ることができるのである。
 非日常的な無分別の智慧は、その後得知が成立するための必要条件である。そうであるから、菩薩たちにとっては、その非日常的な智慧を確立することは必須である。しかしながら、後得知の成立無しには。中道の直接知覚は成立しない。カマシーラは、彼の中道思想において、、その非日常的な智慧とその後得知はどちらも等しく重要なのだという自身の立場を明確に示しているのである。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?