見出し画像

山尾悠子『迷宮遊覧飛行』/『夢の棲む街』/『仮面物語/或は鏡の王国の記』

☆mediopos-3076  2023.4.20

山尾悠子の初のエッセイ集成『迷宮遊覧飛行』には
二〇代のころから現在までに書かれた
全八〇余編が収められている
(Twitterで知ったのだが一つだけ抜けていたそうだ)

山尾悠子はぼくよりも二つほど年上だがほぼ同年代で
その作家デビューにあたる第一短編集
『夢の棲む街』(ハヤカワ文庫)以来
途中作品のでていない時期があったものの
ずっと親近感を感じてきた作家である

本書の最初に興味深い「読書遍歴」が
書き下ろしで載っているが
やはり同時代というだけあって
澁澤龍彦の名が筆頭にあがっている

そして「澁澤龍彦・倉橋由美子・金井美恵子・
塚本邦雄・高橋睦郎といった特別な〈神々〉に対しては、
永久拝跪せざるを得ない。」とさえ言っている
御意である(笑)

こうした作家になにがしか傾倒する経験のないまま
道徳的宗教的な表現の作品傾向を好むばかりだと
感覚的についていけないところがあるのだが
やはり山尾悠子は山尾悠子である

さて作家デビュー当時の作品である
文庫『夢の棲む街』
長編『仮面物語/或は鏡の王国の記』では
両者ともあの荒巻義雄が解説を書き
(一九七八年・一九八〇年)

「近年輩出した数多い二十台女流新人作家の中でも、
山尾悠子の将来性は大きいと推定する。」

「この才能豊かな新人作家の成長を、
長い眼で見守るとともに、
彼女の成熟する日を期待するのである。」

とその将来性を嘱望しているが
その眼はたしかだったようだ

しかしあらためてふりかえってみると
一九七〇年代から一九八〇年代
SF界はとても豊かで多様な稔りの時代だったことがわかる

ところで第一長編作である『仮面物語』だが
これは『山尾悠子作品集成』(2000年)にも未収録である

著者がその若書き故に拒んでいたのだそうだが
近々にやっと豪華本として再刊されることになっている
(画像で紹介しているのは手元にあるかつての初版)

「読書遍歴」の最後には
卒論でとりあげもしたという泉鏡花について
ふれられているが
本書には数年前に国書刊行会から刊行された
「澁澤達彦 泉鏡花セレクション」全四巻に
収められている解説も収められている

「この先個人的に読み込んでいく予定の作家を
ひとりだけ選べ、と言われたら、
やはり迷わず鏡花になると思う。」
ということだが

泉鏡花の作品は
その豊かな日本語表現が味わえることもあり
ぼくとしてもここ数年手の届くところに
常にまとめて並べていたりもするくらいなので
山尾悠子が泉鏡花を「消化」することで
生まれてくるだろう作品が楽しみである

■山尾悠子『迷宮遊覧飛行』(国書刊行会 2023/1)
■山尾悠子『夢の棲む街』(ハヤカワ文庫JA 早川書房 昭和五三年六月)
■山尾悠子『仮面物語/或は鏡の王国の記』(徳間書店 1980/2)

(山尾悠子『迷宮遊覧飛行』〜「読書遍歴のこと 序文にかえて」より)

「文を描き始めてから馬齢のみ重ね、ほぼ半世紀近くになる。途中で長い休筆期間もあり、そもそも仕事量も少なく、ここでようやく初のエッセイ集を上梓するこよになった。
(・・・)
 今回、せっかくの機会なので新たに自身の〈読書遍歴〉について書き、エッセイ集の補いとしてみては、と提案を受けた。」

「手当たり次第に大量に読み、決定的な多くの出会いがあったのはやはり高校から大学生時代、主に七〇年代のこと。国内作家で言えば澁澤龍彦・倉橋由美子・金井美恵子・塚本邦雄・高橋睦郎といった特別な〈神々〉に対しては、永久拝跪せざるを得ない。そしてこれは何度も言っていることだけれど、大学図書館で真っ黒な想定の『澁澤龍彦集成』に出逢い、天使や両性具有や世界の終わりについての頁を開いたこと。それがすべての始まりであり、何もかも澁澤経由で教わった、という世代でもある。特に美術方面についての影響は大きくて、澁澤没後、お墨付きでなく新規に知った画家を好きになっても大丈夫なのだろうかと、はっきりそう意識した訳でもないけれど、しばらく不安感があったことを覚えている。」

「高校では倉橋由美子の布教活動に励み、大学ではコレットの布教に励んでいた。などとたまにじょうっだん半分に言うことがあって、でも本当のことだったので仕方がない。」

「『夢の浮橋』以前の倉橋由美子、休筆期間に入るより前の〈初期倉橋〉にはリアルタイムよりは遅れて出会ったが、まあ高校生のころとにかく好きで好きで、当時、女子高生の目から見れば「お姉さまイカしてる、素敵」と思えるような存在で(・・・)その頃の日記を見ると〈初期倉橋風片仮名書きの文〉が滅多やたらと頻出しているのだった。」

「初・金井美恵子は、高校生のころに出た文庫『愛の生活』以来ずっと変わらず、〈天才少女〉への憧れのイメージが基本となっている。大学に入って、現代詩文庫『金井美恵子詩集』からはリアルタイム。単行本『夢の時間』と詩集『マダム・ジュジュの家』も書店にあり、それから小説集『兎』と大型の薔薇色の詩集『春の画の館』がほぼ同時に出て大感銘を受け、特に後者からは直接影響を受けて、私は〈処女作〉「夢の棲む家」を書くことになった。」

「次は、中学時代、詩の暗唱をするのに凝っていた時期があったという話。三好達治とか白秋とか、わかりやすいものを、さらに高校・大学では三島の美文の暗誦をしていた。文庫『獅子・孔雀』(・・・)は、高橋睦郎解説を含めて当時の大切な一冊だったが、特に巻頭の「軽王子と衣通姫」の美文に耽溺し、書写でなく暗記・暗誦の方法へ行ったのだった。」

「何もかもに憧れ、魅了されてしまう青春時代、食事を抜いてふらふらしつつ高価な新刊書を買う、という経験をした相手が塚本邦雄だったこと。これは今まで何度も言及した。初・塚本は『連弾』で、歌集でなく小説から入ったのだが、とにかく毎月毎月続々と箱入り豪華本の新刊が出ていた時期のことで、書店へ行くたび心悸亢進し、アドレナリンが出まくったのだ。大学図書館にはちょうど出たばかりの『現代短歌大系』全巻がずらりと並び、でも周囲には現代短歌を好む者はひとりもおらず、何やら自力でこっそり金の鉱脈を掘り当てたような気がしていた。」

「書き忘れた鏡花のこと。こても懺悔のうちに入るかもしれない。鏡花については卒論を書いたという小さな縁はあったものの、ずいぶん年取ってからようやく発言の機会を得て、喜び勇んで初期偏愛作について語ることができた。しかしほんとうに好き嫌いで読んでいるだけなのであって、特に、最晩年の渺渺たる世界に到達するまでの過程などまるで読み込めていない。この先個人的に読み込んでいく予定の作家をひとりだけ選べ、と言われたら、やはり迷わず鏡花になると思う。」

(山尾悠子『夢の棲む街』〜荒巻義雄「幻想の種袋————解説に代えて————」より)

「二十代作家の山田正紀、かんべむさしと輩出したSF作家第二世代のなかで、山尾悠子が文句なしにひときわ新鮮にみえるのは、この女流がSF界の領土を新たな局面に拡大した最新人だからである。そしてこの新領土に新しい芽を萌やした彼女が、ともかくここに作家としての最初の根をおろし、極めて許容範囲の広い日本SF界という土壌の中でどのように育っていくか、大いに楽しみである。筆者の私見だが、この山尾悠子の処女作品集にみられる凝縮された文体がその可能性を暗示していると思う。
 だが、その将来の可能性ということも、山尾悠子が今後、(・・・)他の作家と同様に、書く幅を広げ得るか否かにかかっている。」

「書架の片隅でひっそりと睡りつづけるであろうこの一冊の本が、俄然意味を持ちはじめるのは、作者山尾悠子が将来のあるとき、幾冊かの長編幻想小説(SFも含めて)を世に問うた暁であろう。
(・・・)
 そしてあなたは、本作品中の随所に鏤められた宝石のような語彙が、一斉に開花していることに気づいて、目をみはるに違いない。それがまぎれのない種であったことに気づくはずだ。
 またそれが筆者をしてこの解説文に、〝幻想の種袋〟と命名させたゆえんでもある・・・・・・。
 昭和五十三年五月」

(山尾悠子『仮面物語/或は鏡の王国の記』〜荒巻義雄「右半球の復権を目指して————解説に代えて————」より)

「山尾悠子はこうしたSFの、八十年代へ開かれた明るい展望を背景として、登場してきた。
 彼女の持つ特異な感覚は、そのスタイルが伝統的な文学形式であるところの幻想文学であるにもかかわらず、やはりSFのものである。」

「さて、この刊行された処女長編『仮面物語〈或は鏡の王国の記〉』は、必ずしも読みやすいものではない。しかし、最初の、プロローグおよび第一章の壁を通過するならば、我々はもはや彼女の右脳がつむぎ出した怪しき鏡都市の一住民となっている自分に気づくことだろう。」

「とまれ、新人らしからぬ豊かな表現力を持った新作家の誕生だ。彼女の出現が、八十年代の冒頭を飾ったこと自体に、何か象徴的な意味さえ感じられる。なおこれは筆者個人の感想だが、近年輩出した数多い二十台女流新人作家の中でも、山尾悠子の将来性は大きいと推定する。
(・・・)
 我々SF側としては、この才能豊かな新人作家の成長を、長い眼で見守るとともに、彼女の成熟する日を期待するのである。
 一九八〇年二月」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?