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【短編】ラストシーン


   つい3日前退勤中のわたしの元に、病院に行ってくれた弟から連絡があった。

「母さん、K-POPアイドルのライブ見たいからやっぱり死ぬのやめるってよ」

 一週間前には、さっさとあの世に行って早逝した韓流はんりゅうスターに会いにいくんだと三途の川方面にアクセル全開な気持ちでいたが、乙女心はまったくきまぐれオレンジロードである。彼女の体調を見なくてはならない病院のスタッフさんに感謝と申し訳なさが少し込み上げてくる。
 そんな矢先だった。今日正午過ぎ、母が亡くなったと、電話があった。



 弟に連絡を入れると、速攻で既読がついて電話をかけてきた。向こうはこの時間は仕事のはずだが、やはり緊急事態ということもあって迷わずかけてきたのだろう。お医者さんからはそろそろだと、あらかじめ言われていたから、慌てふためいたり動揺で変な感じになることはなかった。ただ、死亡診断書を出してもらうこと、葬儀を取り仕切らなければならないこと、相続や年金の手続きを早めにしておいた方が良いだろうということなど、人が死んだ時に山のように降ってくる事務的なタスクがやけに頭に浮かんできた。そのことについてまた弟に確認しようと携帯を開く。ふと、思いついたことがありそのことを含めて連絡をした。返事は、すぐに帰ってきた。





 バタバタと擬音ぎおんが目に見えるのではと思うくらい急いで準備をし、病院のウソみたいに真っ白なベッドに横たわる母の寝顔を覗く。

「お母さん、来たよ」

そっと手に触れると、冷たい、と感じるほどではなかったがやはり体温的な温かみは無くなっていた。この半年間、母の病室には常に医療機器の音が鳴り響いていた。
その音は別の部屋からも聞こえてきて、両手で耳を塞ぎたくなるような気持ちになり、建物を出るとその静かさにいつも安堵をしていた。それを思い出すと、この部屋の静寂と簡素な雰囲気は何かの欠乏を感じさせた。足りないのは、母か、それとも別の何かなのか。有機的な存在が自分のみであるこの状況が、目の前の女の死と、背中合わせのように自分自身の生を実感する。母の手をゆっくりと離し、元の位置に戻す。カバンの中に入れてきた、いつもより多めに入った化粧ポーチを取り出して再び母の眼前に立った。今から、母に最後の化粧をする。


 生前の母は、とてもおしゃれな人だった。それはそれは自他ともに認めるファッショナブルな女であり、流行りにも人一倍敏感だった。年齢に関わらず、時代に沿ったスタイルを取り入れるのが上手く、ヘップバーンカット、バブルのコンサバスタイル、細眉やスキニーなウェアもどれも似合っていた。まだ意識がはっきりしていた1年前は「オレンジメイクとオーバーサイジングがキテる」とまで言ってて、もう大きい子どももいる息子に服装指導をしていた。そんな様子を見て、母の見舞いに行くたびに顔を拭いて、わたしが持っている化粧品で軽く化粧をしてあげた。終わると、「まぁ悪くない」といい嬉しそうな顔をしていたのだから、きっと意味はあった。その後、「ボサボサのまま旅立っていくのはちょっと悔しいわね」なんて言っていたことをなんとなく覚えていたのだ。

 死化粧しにげしょうは、故人が亡くなってから納棺するまでの間に行う。全身の清掃と着替えは病院でやってもらったが、化粧はどうしてもしてあげたかった。善意の押し付けかもしれないが、母は死んだのだからわたしがしたいことをする。時間が経つと、体温がない肌に馴染みづらくなっていく。わたしはポーチからコットンと化粧水、保湿クリームを取り出した。ゆっくりと、全体に馴染むように塗っていく。ベースの下地を重ね、ハンドプレスをして浸透させていく。いつもより濃い色のファンデーションを置き伸ばす。元々色白な人であったが、今は青くも見える。美しくいて欲しかった。チークを慎重にのせて、アイメイクに移る。キリッとした一重瞼はわたしではなく弟に遺伝し、彼の息子———母の孫にも見られる。これからは、弟や甥の目を見るたびに母の姿が重なるのだろうか。アイシャドウで印象を与えて、マスカラを控えめに。
 最後は、口紅。母は、いつも真っ赤な紅をさしていた。赤ではなく、真っ赤。叔母さんが「多分人でも食ってきたのよ」なんて冗談を言うくらいにはいつも真っ赤で、小さい頃に見た、コーヒーカップの縁についた紅を、ゴシゴシと拭く指の滲みがおもむろに思い出される。この為に買った、デパートのちょっと良いリップを丁寧にひいた。

「出来た。ふふ、お母さん、綺麗よ」

 化粧道具をしまい、そろそろ行かねばと振り返る。程よく色味の乗った母の顔は、少しだが笑ってみえた。





 通夜、葬儀と告別式は家族や親戚の手伝いもあり何事もなく終わった。まだ平均寿命より少し若いが、それでも十分長く生きたからか、来てくれた人はみんなどこか穏やかな顔をしていた。久しぶりに会った人もいて、人が死ぬことの意味が想像より分厚いと感じた。

 今は少し時間が経って、母の死を改めて受け止めている。それは、簡単に言葉にしたり、何かに例えて形容できるものでもなく、ただ少しだけ彩度の低い時間と向き合っていた。棺の中の母を見て、弟が呟くように言っていたことを思い出す。

「なんか、骨の上に皮が張り付いているみたいだな。ああ、もう、母さんはここにはいないんだ」

 日々は変わらない。今日は曇りで、明日は晴れる。明日、明後日と仕事に行って、そしたら休日。それが明けたらまた仕事。
 金曜は、夜の街で、キャッチのバカな勧誘に乗り酒でも飲もうか。よくわからないけど、それが良い気がした。

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