どうでもいいことばかり言いたい
久しぶりの投稿です。
また、定期的に書いていきたいと思っています。
今を生きる
半年間、週1か2のペースで投稿していたのをやめて1か月弱。
最後に書いたのは「迷走中」というタイトルのモノです。
ここ2年くらいはずっと迷走中です。
主に自分の生き方について
コロコロ考えは変わるし、影響されやすいから、すぐ迷ってしまう。
僕のnoteの歴史を見れば、どれだけ自分が迷っているかが分かると思います。
読書感想文に、ビジネス系の投稿、エッセイなど、そもそも形式に迷いが出ているし、おそらく内容にも見比べてみると、矛盾がいっぱい出てくるような気がします。
note投稿は僕が自分で課していた課題でした。
他にも課題は色々作っていたのですが、半年くらいして息苦しさを感じ始め、一旦自分に対する課題をストップさせました。
僕はずっとなにをするにしても、意味を求めていました。
これに何の意味があるのか、何に役立つのか。
そこで息苦しさを感じてまでやる課題に意味はあるのか、とここでも意味を問い、やめました。
なんで息苦しかったのか、最近、「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」という本をよんで、気づかされました。
それは、僕が今を生きていなかったからです
人生を先延ばしにしている限り、われわれはどこにもいけませんし、味気ないモノクロームの日々が続くだけでしょう。「いま、ここ」は準備期間でしかない、我慢の時期だと考えているのだから。しかし、たとえば遠い将来の受験に向けて勉強している「いま、ここ」も、すでに本番なのです
嫌われる勇気の一節です。
未来のために生きるのでなく、「いま、ここ」を真剣に生きねばならない。どこに到達したのかでなく、どう生きたのかの刹那を見るべきだと記されてありました。
まさに自分に当てはまりました。
僕の課題は、全て未来に対する投資でした。
いつか役に立つから、○○を成功させるために必要だから、今は苦しくても続けるしかないんだと思ってやってきてました。
それは今の時間をすべて放棄していることと同義だった。
極論言えば、明日死ぬかもしれないのに。
それに気づいてから、僕は今の時間を今の自分が楽しめるものに使いたいと思いました。
もちろん、目標だってあるけれど、その過程も自分が「いま、ここ」を楽しみながら超えていきたい。
人は成長という過程に喜びを感じられる生き物だと思います。
少なくても、自分はそうです。
できなかったことができるようになる。
その感覚が僕は好きです。
だから、それがよく分かる数学が好きだったし、今練習しているギターも感覚的に毎日少しずつでもできることが増えていくのが楽しいです。
自分の願望に対して、今までそれに早く叶う方法、成果が出やすい方を選んで、途中で断念することが多かった。
だから、これからどうやったら、この願望に対するアプローチとして、今の自分が楽しめるか、について必死に考えていきたい。
わがままに
前まではインプットが定着するから、文章力がつくからという意味あるものだからやっていましたが、文章を書くのが楽しいから僕はnoteをやっていきたい。
僕の書く内容は、たぶん個人的なものだし、ためになるかなんか知らないし、誰かのためでなく自分のために書きます。
このスタンスは変えたくないです。
承認欲求を肯定して、それで色々やってきた自分が「嫌われる勇気」のもとになっている心理学者アルフレッド・アドラーの承認欲求を完全否定する思想に触れ、打ちのめされました。
1度はこれで行こうと決めた決心が揺れるほど、論理的でありながら、心揺さぶられる考えでした。
でも、その中に1つだけ、僕の考えと重なる所があって、
それが
利己を追求した先に利他がある
というものです。
利他のための利他でなく、利己のための利他
自分がしたいことした結果、誰かのためになっている。
はじめから他人のために生きない。
自分は自分のために生きる、というものです。
色々noteについて、迷ってきたけど、自分がその時書きたいこと、楽しいことを書いていこうと思います。
だから、読書感想でもあれば、哲学的なこと、エッセイ、小説、いろいろやっていきたいと思います。
かっこつけて書いてるもの、支離滅裂しているもの、一貫していない主張、突っ込みどころが満載かもしれません。
もちろん、そうならないよう努力はしますが、第一は自分が書きたいこと、言いたいことを発信すること。
そういうスタンスでこれからやっていきたいと思います。
どうでもいいことばかり言いたい
今日のnoteも、今までの投稿もたぶんこれからも、言ってしまえば、どうでもいい内容のモノです。
わざわざ書く必要もないし、僕が誰かに何かを啓発する権利も必要もありはしないから。
けれど、僕はなぜかどうでもいいことばかり言いたくなる。
自分の経験だったり、この本が良いとか、こんなこと思ったとか。
自分でもどうでもいいことだと思う。
最悪、それがなくなっても生きていける。
けれど、どうでもいいことに夢中になれるのはすてきだと思う。
だから、僕のどうでもいい思考とか、経験とかを救い上げて、夢中になって綴っていきたい。
そういう利己の先に利他があり、幸せがあると思う。
これからもどうでもいいnoteをよろしくお願いします。
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