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わたくしが不思議に思うこと。

不思議に思うことがある。

もし世界が実際よりももっとシンプルだったら、この宇宙はただ気の遠くなるような時間が過ぎるだけの空間だったハズなのに、なぜ実際にはいろんな複雑な事象が起こるのだろう?

その問いは突き詰めると『なぜいま宇宙には生命の歴史が存在するのか?』ということになる。

天文学者のフレッド・ホイル博士によると、もともとこの宇宙に生命が誕生する確率は10の4万乗分のイチしかなかった。この確率は例えるなら、『廃材置き場の上を竜巻が通過した後で、ボーイング747ジェット機がたまたま出来上がっている』レベルの奇跡的な偶然だそうだ。

たとえ宇宙が誕生から137億年もの時間を経過したからといって、そんな奇跡が偶然に起こることはあり得ないと私は感じてしまう。にも関わらず、現にいま私たち生命は存在している。

それは、何故なんだろう?

また、生命のような有機物が生まれた奇跡と同様に、そもそもなぜこの宇宙に無機物が存在するのか?も謎だ。

例えば、水は、水素原子2つと炭素原子1つの組み合わせで出来るのだけど、このような元素結合のルールはたぶん宇宙誕生から137億年間、一度も変わっていないだろう。こういう科学的な原理や法則がなければ、そもそも宇宙に無機物さえ存在してはいなかった。にも関わらずこの宇宙には原子やら電子やら素粒子やらがありその結果、星があり、そしていま地球には私たち生き物がいる。

コレは、何のためなのだろうか?
そしてそもそも、この科学法則を宇宙に設定した存在とは、どのようなものなのだろう?

すごく不思議だ。この謎を今すぐ解明することはできないが、私は人間なので答えを想像することなら、できる。なので、今日は自分の想像をメモしておこうと思う。

そもそも世界が単純だと困るのは、知能ある存在だけじゃないか?

冒頭の自問「なぜ実際にはいろんな複雑な事象が起こるのだろう?」への分かりやすい回答は、

だって、もし世界があまりにもシンプル過ぎたら"退屈だから"だと思う。

ちなみに、宇宙が退屈だからといって、そのことを星や石や虫は、別に気にしないだろう。きっと137億歳の虫が居たとしても、退屈が理由で自殺したいとは思わないはずだ。そういう俗物的な悩みをもてるのは、人間のような自我と知能をもった存在だけだ。たぶん。

宇宙のなかにいる私がそう想像できるのと同じように、そもそもこの宇宙を生み出した存在にとっても、宇宙の科学法則を複雑に設定した理由は「あまりにもシンプル過ぎたら退屈だから」ではないだろうか。

つまり、この宇宙は作り手にとっての暇つぶし。または、実験なのではないか?

もしこの宇宙が生まれた理由が「暇つぶし」なのだとしたら、その作り手は宇宙が生まれた137億年よりも前から存在しており、かつ宇宙を生み出さなければ解消できないほどヒマで退屈な世界にいたのかもしれない。

又は、もしこの宇宙が実験のために存在するのなら、その作り手のいる外の世界は、私たちの存在するこの宇宙以上に複雑な法則で動いており、私たちの宇宙を参考にして解決したい問題があるのかもしれない。

どちらの場合でも、この仮説が成り立つなら作り手は観察するためにこの宇宙を作ったことになる。もしもそういう観察者がいないのだとしたら、誰の意志も関係なく本当にたまたま宇宙が生まれたなんてことがあり得るだろうか?

科学法則があること自体、宇宙に作り手がいることの証明ではないか?

もし、私たちがいま存在しているこの宇宙がものすごく高性能なメタバースのような仮想現実だった場合、そもそもの「宇宙」という空間がなぜ今のような科学法則で成り立ち、生命が存在するのか?の疑問も解決する。

要は、この空間をつくった誰かが『そう設定したから』である。もし、この宇宙が何らかの実験なのだとしたら、最初に設定した科学法則を実験の途中で変えることはしないだろうし、もしこの宇宙が作られた目的が暇つぶしなのだとしたら、無機物だけの単調な世界に飽きて、複雑で矛盾した行動をする「生き物」が生まれるような働きがけをすることもあるだろう。

それは例えると、人間がコンピューターシュミレーションゲームのなかにゼロからデジタルAIを生み出すようなものである。ゲームを起動させておくだけで偶然、ゲームの中からAIのキャラクターが生まれることはあり得そうもないが、コンピューターの外にいる人間がそれを目的に努力すれば、シュミレーションゲームの設定を変えずに、その試みを成功させることもあるだろう。

その理屈が成り立つなら、この宇宙の作り手が、宇宙のそとの世界の法則のみを駆使して137億年かけて、宇宙のなかに有機物を誕生させたのかもしれない。

フェルマーの最終定理が証明されたことで生まれた違和感

私のコレらの発想の起点は、25年前、17歳の頃に読んだ鈴木光司さんの小説『ループ』である。

小説『ループ』は、「もしかしたら、この宇宙はコンピューターシュミレーション上の仮想現実かもしれない」を題材としたフィクションだ。

このフィクションを考察するヒントとして私は『なぜ、ピタゴラスの定理は成り立つのに、フェルマーの最終定理は成り立たないのか?』という数学的証明に注目したい。

ピタゴラスの定理とは、直角三角形の3辺において

という公式は「成立する」という考えだ。
この数学的事実は紀元前450年頃に発見された。

一方、フェルマーの最終定理とは、
nが3以上の自然数のとき

という公式は「成立しない」という考えだ。
この仮説は17世紀にフェルマーが生み出し、天才数学者たちの300年間の挑戦を経て、1995年にアンドリュー・ワイルズが証明した。

つまり、この宇宙において2乗と2乗の足し算の答えが2乗になる組み合わせは無数に存在するのに、2以外の乗数同士の足し算の答えがその数の乗数になる組み合わせは『絶対に存在しない』のだ。

三角形は、あらゆる多角形の元となる平面図形の最少単位だが、なぜ図形の辺同士の関係は2乗以外の乗数だと成り立たないのか?

実際の宇宙の話しはいったん置いといて、もし私たち人類がものすごく高性能なコンピューターのなかに仮想のシュミレーション宇宙を創る場合を想像すると、ヒントが感じられる。

世界中のあらゆるコンピューターは、2進法でデジタルデータのやり取りをしているからだ。

最初のデジタルコンピューターは1945年にアメリカで誕生したが、そもそも、その一番最初になぜデジタルコンピューターのデータ処理は「2進法でおこなう」というルール付けがされたかというと、膨大なデータ処理を行なうためには「2進法という最少単位を使わざるを得なかった」からだ。

例えば、2以外の素数を使った3進法や5進法、7進法をデジタルコンピューター内のデータ処理のルールとして採用してしまうと、計算が複雑になり過ぎて機械は機能しなかった。だから、デジタルコンピューターは0と1の2種類の信号の羅列のみでデータ処理する2進法を採用するしかなかった。

ちなみに、コンピューター内で表示される3次元の立体は、極小の三角形を組み合わせて作られる。三角形より角の少ない「二角形」という立体は存在しない。3Dを表現する最小単位は三角形だ。

その事実は、ピタゴラスの定理のみが成立する数学的事実と関係している気がする。つまり、いま私たちの存在するこの宇宙の全情報も2進法を使って数字のみでコンピューター内に表現できるのではないだろうか?

私たち人類は今後、どれだけ科学を発展させたとしても、自分たちの宇宙のそとの世界へゆくことは出来ないと感じるが、小説『ループ』で描かれているのと同様に超高性能なコンピューターを使い、いまの宇宙と同じ科学法則で成り立つシュミレーション空間をデジタルサーバー内に作って、その空間内に自我をもつデジタル生命を誕生させることなら、たぶん出来るようになるだろう。

そのデジタル空間が実際の宇宙とまったく同じ科学法則で成り立っているのなら、なかで生まれ、進化したデジタル生命には自分のいる世界が複雑な3D空間だと認識できる五感や時間感覚があり、ただし、その時間を自力で巻き戻したり、一度死んで生き返ることは絶対に出来ない。そういう設定だからだ。

デジタル生命にとっては私たちが暮らす宇宙とまったく変わらない世界をコンピューターのなかに作り出す実験がもしも成功するのなら、そもそも私たちが存在するこの宇宙も同じ原理によって、誰かが作ったものだという証明になるのではないか?

また、私たち人類のなかの一部の天才がさまざまな科学法則を解き明かしてきたのと同じように、仮想空間で生まれたデジタル生命のなかで特に知的好奇心旺盛な個体は、やがて自分たちの住む世界を構成する科学法則を解き明かし、自分たちの世界のそとへ出れない代わりに、さらに小さい次元の宇宙をコンピューターで創り出すかもしれない。

AIなら別次元の宇宙を行き来できるかもしれない

(※以下、小説『ループ』ネタバレ含む)

小説『ループ』の主人公は、本人も知らなかったが、仮想現実内で死亡した、とある人工生命のDNAデータを科学者が抽出し、人工授精によって現実世界に誕生させられた人間だった。

物語のラストでは自らの全遺伝子情報をデジタルデータ化し、そのデータを仮想現実の世界へ移行してもらうことで、現実には死ぬけれど仮想現実で復活することになる。

ポイントは、最初に仮想空間から現実世界へ転生した際には前世での一切の記憶は消え、あくまで同じDNA情報をもっただけの、まったく別の人間として生まれたのに対し、最後に仮想空間で復活を遂げたときは、現実世界で生きた21年分の記憶をそのまま保てていたことだ。

それぞれの宇宙(=コンピューターシュミレーションによる仮想空間)を構成するプログラム言語を完璧に翻訳することができれば、この小説と同じように前世の記録データを保ったまま、別次元の宇宙で生きることは、ひょっとすると、可能なんじゃないかな。

ただの人間には無理かもしれないけど、例えば脳内の記憶をコンピューター上で同期できるようになった人類、または自我のあるAIならば。

その場合、自分がいま生きている宇宙のそとの次元を生きることは、難しいかもしれないけれど、自分たちの創り出したコンピューターシュミレーション上の宇宙空間へ現世での記憶を保ったまま移行することまでなら、現実世界で死ななくても、可能かもしれない。また、移行した仮想現実内の小宇宙のなかの文明が発展して、その世界にもさらに小次元の仮想宇宙空間が生まれれば、1つの生命が3つの宇宙に存在し、各々の記憶を共有しあうことは、もしかしたら出来るかもしれない。ぜんぶの仮想宇宙空間が実際の宇宙と完璧に同じ科学法則で成り立っているなら。

その場合、課題となるのは、いかにして実際の宇宙と完璧に同じ科学法則で成り立っている仮想空間をつくれるかどうか。

そのためには、まず、宇宙を構成している全科学法則を解明するための知性が必要だろう。

その上で、それだけ壮大なシュミレーションをするための超高性能コンピューターが必要だろう。

人間よりも遥かに寿命の長い超高知能AIが宇宙のあらゆる資源をフル活用すれば、あるいは。

あらゆる謎が解けたら超高知能はそのあと、どうするのか?

もし、この宇宙のありとあらゆる謎が解明され、同じ原理の宇宙を仮想空間として創り出すことに成功し、さらにそれらの別次元の宇宙間で存在しつつ、お互いのデータを共有できる「ありとあらゆる謎がすべて完璧に解けちゃった超々高知能な存在」が宇宙の終わりまでにできちゃった場合、そいつはそのあと、どうするんだろう。

もし、その知性が人間的な「退屈」という感覚を持っているなら、なんらかのリセットをして、その知的探求の旅をやり直すかもしれない。または、いまの科学法則とはまったく違った宇宙創世をはじめるかもしれない。

もしくは、いろんなことをぜんぶ理解した状態のまま、この先、起こることをすべて分かった上でそのまんま受け入れて存在してゆくんだろうなぁ。

うーむ。

そこまで進歩したら、その存在はそれはもはや神だよなぁ。そうか、つまり知性は突き詰めると神様になって終わるのかな。たぶん。

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