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身体拘束について~ケアマネ見聞録

※介護保険制度において基本的なことを書いています。特別なことは書いておりません。
介護保険制度では、制度開始時期から身体拘束は原則禁止とされています。
あ、ここは「きれいごとぬかしてんじゃねえよ」というそのスジの方はさておいて、とりあえず制度的なところを書きますね。


11項目について

介護保険制度において、次の11の項目は「身体拘束」として掲げられています。

  • 徘徊できないよう、車いすや椅子、ベッドに体や手足を縛る

  • ベッドからの転落防止目的で、ベッドに体や手足をひもで縛る

  • ベッドから自分で降りられないよう柵で囲む

  • 点滴や経管栄養などのチューブを抜かないよう手足を縛る

  • 点滴や経管栄養などのチューブを抜かないため、また皮膚をかきむしってしまわないようにミトン型の手袋を着用させる

  • 車いすや椅子から落ちてしまったり、立ち上がったりしないようY字型拘束帯や腰ベルト、車いすテーブルを付ける

  • 立ち上がれる人を自由に立ち上がらせないようにする椅子を使用する

  • 服を脱いでしまう人やおむつを外してしまう人に介護衣(つなぎ服)を着用させる

  • 他人への迷惑行為を防止するためにベッドなどに体を縛る

  • 落ち着かせるために向精神薬を過剰に服用させる

  • 自分では開けることのできない部屋などに隔離する

また、言葉によって行動を制限する行為も「スピーチロック」とされ、身体拘束の一つとみなされることがあります。

身体拘束を行うことの弊害

  • 身体的弊害 手足、体をベッドなどに固定すると、当然ながらケガの原因になります。動かさないことによる筋力低下や関節の拘縮、同じ部位が長時間圧迫されるわけですから、床ずれ・褥瘡等が発生する可能性が高まります。床ずれや褥瘡は重篤な表皮組織の損傷や敗血症を引き起こすことがあります。

  • 精神的弊害 身動きを取れないようにするわけですから、精神的にも悪影響が考えられます。精神症状の発症や悪化が懸念されます。精神症状が激しくなる場合も考えられますが、体が動かない事などから意欲低下につながることも懸念されます。

  • 社会的弊害 考えてみてほしいところですが、誰だって老いが来るわけで、その時に何かあったら身体拘束される可能性がある制度や施設を使いたいでしょうか。また、実際に拘束されている現場を見た職員や家族は介護に対して良い印象を持てないのではないでしょうか。 更に、身体拘束を行ったことによる医療費や介護費用の増大が考えられます。

身体拘束を行わざるを得ない場合

介護保険制度では、次の3つの条件を掲げています。

  • 切迫性 ・・・身体拘束をしないと本人の生命等を著しく損ねる等

  • 非代替性・・・身体拘束の他に手立てがない

  • 一時性 ・・・身体拘束は一時的なものである必要がある

上記の3つの視点から身体拘束の必要性がある場合において、十分な説明を行い、同意を得た上で、決められた期間に限って、身体拘束を行うことが可能となります。
さらに、特に介護保険施設等では身体拘束解除に関する指針を設定し、担当者(委員会等)を設置し、一定の頻度で会議等を開催することが求められています。
※かなりざっくり書いていますが、施設や居住系サービスの方々は特に詳細に理解をしておくことをお勧めします。

身体拘束は必要か

個別のケースでは、各々の担当者でしっかり議論をして決めていけばよいと思われますが、制度上は明らかに「禁止」です。
自治体によっては、すべての出入り口に施錠をすることに対しても指導を行うところもあります。
身体拘束が必要な場面は確かに存在します。例えば、医療機関では適切な治療を受けてもらうために、一時的に身体拘束を行う場面は生じると考えられます。
介護施設はどうでしょうか。施設は生活の場、というのであれば皆さんの生活の中で身体拘束をする場面を思い起こしてください。

人員不足、理不尽な利用者・家族、認知症にによる不穏行動などなど。介護現場はきれいごとだけでは通りません。
だからといって、身体拘束が第一選択になるような現場も見られますが、そんな簡単なことでいいのですか?
優れた介護者ほどその意味を理解しており「そんなことしなくても見ていけますよ~」と飄々と言います。
意識を高く保つために、自らの技術を向上させているわけです。

おわりに

日本ではその昔「座敷牢」や「私宅監置」等が普通に行われてきました。また、姥捨て山や長子優遇等が行われた地域もあったようです。
自分たちのコミュニティが守られる程度に人手(人口)があれば、コミュニティが崩れる要因になることは当然の如く排除されてきたわけです。
※日本では、と書きましたが、他の国ではこういうことが無かった、という意味ではありません
日本人は親切な人が多いとか、震災の時には「絆」がテーマになったこともありました。
忘れてはいけませんが、その裏に「気遣い」もっと言えば「我慢」が含まれています。
介護は前述のとおり、様々な理不尽と向き合って動いています。
本当の意味で身体拘束や虐待が無くなるには、社会全体のムーブメントが必要ではあります。
その一環としても、介護や福祉、医療に携わる人たちは「目の前の人とどう向かい合っていくか」を考えていく必要があるのかもしれませんね。

※プロだろうが一般の人だろうが「もう無理、限界」と思う前に「ちょっと大変だなあ」と思ったくらいのところで助けを得るようにしてください。

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