【映画】デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 感想/考察

デジモン ラストエボリューションが最高でした!
作画も演出もすごく良かったし、ストーリーもずっと飽きることなく見れて、めちゃくちゃ密度の高い90分感でした。
初代デジモンアドベンチャーを見ていた大人に向けた映画としては完璧な続編だと思いますし、メッセージ性がしっかりあるのでデジモンをそんなに知らない方が見ても面白い映画なのではないかと思います。

正直triは多分もう二度と見ないかな…、っていうレベルの作品ですが、
triが太一たちの最後の冒険となってしまうことに納得できない良識ある方々が、公式にもいっぱい居てくれたんでしょう…。
(ラスエボと比較してしまうといかにtriがひどかったかという話が無限に広がってしまうので、triについては今後スルーします)
本作を製作してくれた方々には本当に感謝したい。
できれば映画館で見たかったです。
ということで面白かった点について長々と語っています。
ややネタバレがあるのでご了承ください。

①太一たちがちゃんと大人


大人になった太一たちが、ちゃんと等身大の「大人」として描かれていたのが印象的でした。
例えばこの手の続編って、ストーリーを進める都合上、どうしても当時の登場人物が10年後においても同じ人物たちとのコミュニティー内で生きている、っていう現実的には少し不自然な設定にしないといけないんですよね。
ただ自分自身のことを振り返ってみると、22才ともなると小学校の友人とはまったく連絡をとっていないか、よくて年一、二くらいで飲みにいくかっていう、ちょっと疎遠な関係になっています。
これはそれぞれ大学行ったり、就職したり、早い人は結婚したり、皆違う場所に住み始めたりで、それぞれの社会ができあがっていくのである程度仕方がないのかなと思っています。
その辺、ラスエボでは、太一、ヤマトのそれぞれの「社会」がさりげなく描かれていたのがよかったです。
太一が何気なく大学のモブ友人とランチしていて就活トークしていたり、ヤマトが何気なくモブ友人と軽い会話をしていたり。
太一とヤマトを知っている僕らからしたら大学の友人はモブでしかないのですが、大人になった彼らの日常を考えてみれば、きっと大学の4年間はこういう生活をしていたはずで、何なら太一にとっては彼らこそかけがえのない友人だったりする可能性もあります。
こういうシーンが何気なく太一たちが独自の「社会」を築いてきたことを想起させるんですよね。

で、なんといっても太一とヤマトが居酒屋で酒を飲み交わす姿が最高でした。
酒=大人になった!
っていう単純な連想もありますが、前日のモブ達との会話後からのこのシーンっていうこともあり、幼馴染とたまにあったときの空気感というか、お互い言わずともわかるよねー、っていう謎の安心感というか…。
「昔からの友達って確かにこんな感じだよなー」
っていう、遠すぎず、近すぎない距離感があってすごくいいシーンでした。

またこの場面で、アグモン達に対して少しネガティブな思いがあるのかな、と思われる発言もしています。
お前大学に連れてってやれよ、いやいや無理だよー
みたいな会話をしていますが、いつまでも変わらず、太一、ヤマトにベッタリなアグモンガブモンに若干の面倒くささもあるのかなーということが感じられる発言です。
ちょっと手間のかかる弟、妹みたいなものかもしれませんね。
ただこのシーンで見て取れたパートナーとの関係性が、後半はひっくり返っているのがまた面白い点です。

ラスエボではこういう何気ないシーンで太一たちが「大人」になりつつあることを描写していて、後々の展開への説得力になっている気がします。


②ストーリーがいい!

何よりストーリーがよくて、デジモンアドベンチャーを語る上で欠かせない
「進化」
という要素が、全面的にストーリーの構成要素として組み込まれており、そこに一番のメッセージ性が込められていることが素晴らしかったです。

デジモンだからこそできる表現。
デジモンだからこそ伝えられるメッセージ。
すでに完結したストーリーの続編を作る意味。
当時の「子供たち」に今何を伝えたいのか。

こういった映画を作る上で欠かせない、核になる部分が相当練られていると感じる映画で、それがいわゆる「デジモン愛」なのかもしれません。
僕は原作の熱狂的ファンというほどではありませんが、そんな僕でも相当なデジモン愛を感じる映画です。
進化は初代デジモンからメインテーマの一つだと思います。

進化って何?
なぜデジモンは進化するの?
進化って何を表しているの?

ポ○モンとデジモンの大きな違いの一つとして、この進化が挙げられると思います。
子供達の内面的な成長や感情の爆発に応じて、デジモン達が進化するのはデジモンのお約束。
これって映像的にはすごく面白くて、アニメでは見えにくい人間の「感情」を、デジモンの進化を媒介することによってド派手に格好よく演出できるんですよね。
だからデジモンの進化シーンはどれもすごく格好いい。
進化のエネルギーの源泉が今作で初めて?「成長と可能性の両立」だって作中で言及があったけれど、デジモンアドベンチャーを見ていれば、まあそういうことなんだろうなっていうのはわかると思います。
元々進化がそういう設定だったのだから、大人になった今進化ができなくなる、っていうのは自然な流れだと思います。
パートナー関係が解消される、っていうのはストーリー上はちょっといきすぎ?っていう気がしましたが、デジモンにおける最も悲劇的な「可能性の喪失」の表現としてはこれ以外にないのではないかと思います。
「大人になることによって成長(機会)、可能性が喪失する」というのは、主な観客である大人たちにとっても響くテーマだと思います。
そしてこの点がメインストーリーの根幹であることが、何より感動した点でした。
デジモンアドベンチャーのストーリーと、それを見ていた当時の子供達、どちらにも真摯に向き合っていることがすごく感じられました。

③「敵」が魅力的

「敵」というのはメノアのキャラクターが、というのではなく、メノアの思想についてです。
デジモンというコンテンツはデジモンアドベンチャー等アニメの影響も多分にあるかと思いますが、少年時代の思い出として愛されている面が強いんじゃないかなーと勝手に思っています。
僕はデジモンシリーズ全部見てるぜ!っていうコアなファンではないですが、おそらくは当時見ていたデジモンアドベンチャーの記憶のおかげで、今になってデジモン見ると、やっぱりデジモン見てたころの少年時代や、デジモンにまつわる楽しかった思い出が蘇ります。

学校行ってる間母さんにデジモンの世話頼んでたら、思いのほかまめに世話してくれてグレイモンにしかならないからむしろ「少し無視して!」とか頼んだり。
ルールもわからないのにデジモンカード買ってキラがでると喜んだり。
今やるとロード地獄と思いそうな初代デジモンワールドを全然そんなことも思う暇もなくずっと遊び、時にはティラノモンばっかり育ってふてくされたり。
(ほんとに序盤はだいたいティラノモンになってたので、初めてグレイモンに進化したときは嬉しかったなあ…)

そんな感じで、まあデジモン見てると少なからず思うんですよね。

「あのころは楽しかったなあ」って。

そんな大人になった当時の子供たちの思いを知ってか知らずか、
この映画ではその思いに付け込んでくる敵が現れるんですよね。

いやもうそりゃなびきますよね、余裕で!
僕ならネバーランド最高!メノア万歳!
とか言って秒でリアルワールド脱退してメノア教に入信します。

さすがの太一とヤマトも、心が揺らぎます。
ここの気持ちが痛いほどわかってしまうので、この映画に引き込まれるし、太一たちが出した答えに感動するんですねよね。
パートナーとの別れが訪れるかもしれない、という問題を回避したいのは太一もメノアも同じ。
だけどやり方については賛同できない。
ただ強いデジモンが出てきてそれを倒すだけのストーリーではなく、どちらかというと直接的なバトルは付随的なものでした。

「敵」の魅惑的な救済に対して、
太一たちがどんな答えを出すのか、
どんな考えでメノアを倒すのか、
というイデオロギーのバトルが主軸になっており、
単純にドンパチやってるだけの映画より、ずっと深みがあったと思います。

④Butter-flyとのつながり

今作では蝶をモチーフにしたモルフォモン、オエスモンが全面的に出てきます。
蝶というと、やっぱり「Butter-fly」、そして「不死蝶」こと和田光司さんを思い出しますよね。
和田さんが亡くなった後に製作された映画なので、急にいなくなってしまったモルフォモンと、和田さんがどうしても重なってしまいます。
モルフォモンが姿を消す直前のセリフが
「ずっと一緒だよ」
であったこともあり、おそらく
和田さんの歌はずっと心に残っていますよ
っていう製作者のメッセージも込められているんじゃないかなあと思っています。

また最後のアグモンガブモンのセリフ
「明日は何するの?」
は、当然Butter-flyの歌詞、「明日の予定もわからない」をなぞったものであり、太一ヤマトの「可能性」について改めて問いかける、重要なセリフです。
太一とヤマトは他の子供達と比べて、やりたいことがなく、大きな目標もなく、ふわっと生きている、ある意味一番今の大学生に当てはまりそうな人物像でした。
Butter-flyの歌詞では「明日の予定もわからない」ことは少しネガティブな文脈で用いられている気がしますが、本作を経て、太一たちにとっては
明日の予定もわからないなら、何でもできる!
というポジティブな意味に変わったのだと思います。

Butter-flyの歌詞ではその後
「無限大な夢のあとの 何もない世の中じゃ」
と続きます。
アグモンを失った太一にとって、まさに「無限大な夢のあとの 何もない世の中」になってしまったのかもしれない。

だけれどラスエボはパラレルワールドでもなんでもなく、02の最終回で語られる未来につながる物語です。
太一たちはアグモンと別れたことで、逆説的に「無限大な夢」を取り戻し、「何もない世の中」を嘆くだけではなく、いつか奇跡を起こして、アグモンたちと再会するのでしょう。
「無限大な夢」をもつことにも「可能性」を信じることにも、年齢は関係ないっていうすごく前向きなラストだと思います。
そのストーリーは描かれることはないのかもしれないけれど、ちょっと想像してみると楽しいですよね。


⑤デジモンという存在

デジモンって不思議な存在ですよねえ。
子供のころは友達に近かったかもしれけれど、
今はちょっと手のかかる弟?
えらく食費のかかるペット?
(怒られそうな表現ですね…)
大人になっても何も変わらないデジモン達を、太一はどのように感じていたのでしょうか。

後半でメノアが掲げるネバーランドに一瞬心が揺れた太一たちでしたが、戦う決意をさせたのはアグモンたちでした。
そしてその理由が、
太一たちの成長が見たいから。
これって親とかおじいちゃんおばあさんとか、ちょっと上の世代の家族から出る言葉ですよね。

序盤では太一はアグモンを庇護すべき対象と見ていて、ちょっと面倒くささを感じているくらいなのに、後半ではアグモンは心の迷いを正してくれた親みたいな存在。

太一たちが本当の意味で大人になるには、時には友達のようでいて、ペットのようでいて、弟のようでいて、親のようでもある、頼りになりすぎるパートナーデジモンから一度離れなければならなかったのではないでしょうか。

大人になったからデジモンが消えたのではなく、大人になるためにデジモンは消えたのだと思います。
「大人」という言葉を便利に使っていますが、まあ結局はデジモンに頼らずかっこいい人間になれよ!ってことなんだろうと思います。(てきとう
結果的に太一とヤマトはデジモンと別れたことにより目標を見つけ、邁進していくんでしょうしね。

太一が死に物狂いで働いて色んな人を幸せにできるようになったころに、案外ひょっこりアグモンが現れたりするのかも…。


色々語りましたが、
この映画デジモンという枠を外しても、
とても好きな映画です。(完全には外して考えられないですが)
同じ映画はあまり見ない性分ですが、
この映画は多分今後何回も見ると思います。
何回見てもぼろ泣きしてしまいそうなのが困りますが。

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