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『弟切草』に愛を込めて

ホントは故障の原因になるからやめたほうがいいとわかっていながらも、いつもの癖でフーッと息を吹きこむと、カセットのすき間からホコリが舞って窓の光にキラキラと煌めいた。二十年選手の黄ばんだスーファミにガチリと挿し込み、POWERのつまみをカチンと上げる。瞳のように赤いランプが灯る。

その日の仙台はよく晴れ、静かな午後だったというのに、画面の中は土砂降りで、雷まで鳴っている。薄暗いブラウン管の中には薄気味悪い洋館がたち現れ、その手前では黄色い花たちが雨風に揺れている。赤く大きな文字でタイトルが現れた。

弟切草』と。

このゲームについて知っていることは、これがサウンドノベルと呼ばれた最初のゲームであり、そのジャンルの特徴のひとつである選択肢によるストーリー分岐とマルチエンディングがすでに採用されているということだ。

さて、『弟切草』について語るならば、何をおいても、

※「▼目次」から選択肢を選んでください。

A サウンドノベルの文学表現としての可能性について語らねばなるまい。

このゲームをはじめてプレイした5年後、私は大学の卒業論文のテーマとして『弟切草』とサウンドノベルを扱った。

それはこのジャンルに、他の(広義の)文学表現――小説、詩、戯曲、マンガ、映像、講談等々――では再現し得ない、独自の表現の可能性を感じたためだ。

1992年発売の『弟切草』は、スーパーファミコンで使える限られたスペックを駆使し、プレイヤーの想像力を最大限に掻き立て、独特の不気味な世界観へとプレイヤーを引きずり込むことに成功している。土台となっているのは長坂秀佳氏によるテキストの力だ。ボタンを押すたびに表示されていくテキストと、プレイヤーの選択によって変化する展開は、まるでプレイヤー自身が洋館を一歩ずつ進んでいるかのような臨場感を生む。自然と高まる緊張感、そこにドンピシャのタイミングでぶつけられるBGM、SE、グラフィックのコンビネーションは、もはや芸術の域だ。

ゲームというメディアの引き出しを総動員したこれらの演出は、単なるテキストはもとより映像や演劇でも再現できない、まさにサウンドノベルというゲームだからこそ可能な表現手法だ。

そして、私がゲームを卒業論文のテーマに選んだもう一つの動機も、そこにある。私は幼いときからゲームが好きで、ゲームを通じてさまざまな世界を想像し、感情を揺さぶられ、友達と喜びを共にしてきた。しかし親にはその価値観が伝わらず、その頃テレビでは「ゲーム脳」という言葉がにわかに広まりはじめ、意志薄弱な少年だった私には「ゲーム=悪」なのだという考えが植えつけられてしまった。でもいつか、自分が好きだったゲームの魅力をおとなたちにもわかってもらいたかった。サウンドノベルという表現手法のもつ可能性には、その力があると感じていたのだ。

『弟切草』の魅力は現代になっても色褪せない。ゲームというメディアのもつ可能性を遺憾なく発揮したゲーム史に残る名作を、ぜひゲーム好きのあなたにこそプレイしていただきたい。

(END)


* * *


B このゲームに偏執的にのめり込んだ日々について話しておきたい。

僕がこのゲームをはじめて遊んだのはおよそ10年前、2011年の春だ。未曾有の災害によって、大学の入学式の目処が立たず、高校3年生の春休みは気がつけば4月にもつれ込んでいた。

今思えばボランティアにでも行けばよかったのだけど、そんな行動力もなかった僕は時間を持て余していた。倒れた本棚やブラウン管を定位置に戻し、砂壁の一部が崩れすこし埃っぽくなった和室で、僕はおもむろに黄ばんだスーファミを引っ張り出して、いつか買われたまま放置されていたカセットの一本に手を伸ばした。それが『弟切草』だった。

時代を感じさせる映像と音、延々表示される文章に、はじめは退屈なゲームに手をつけてしまったと思いかけたけれど、先に進むにつれ、ブラウン管から醸し出される不気味な空気に徐々に引き込まれていった。夜の山道で車が大破し、主人公たちは避難できる場所を探す。道端には黄色い花が揺れている。雨の降る森を歩き続けると、突然目の前に大きな洋館が現れる。暗くてよく見えないが、雷鳴とともに空が明るくなった一瞬、洋館の黒い影が浮かび上がる。入りたくないが、雨脚はどんどん強くなる。手に汗がにじむ。恐る恐る門に手をかけると、ギィと古びた音が鳴る――。

気がつくと一息でエンディングを迎えていたけれど、あまりに衝撃的で後味の悪い結末に、すぐに2周目をプレイせずにはいられなかった。『弟切草』は選択肢によってストーリーがいくつにも分岐し、結末も複数用意されているマルチエンディング形式のゲームだ。僕はペンとメモ帳を持ち出し、今度は現れた選択肢とその中のどれを選んだかを逐一メモしながら歩みを進めた。

ところがこのゲーム、そもそも導入部のテキストが数種類の中からランダムで始まるうえ、1周あたりの分岐点は数十ヶ所に及び、チャートは至るところで合流したり分岐したりするため、手書きのメモで全体像を把握するのはとても容易ではない。と書くと気の遠くなる作業のようだが、その実、試していない選択肢をひとつずつ潰してはメモ帳にチェックマークを書き込んでいく作業は、いくらやっても飽きないどころか、次第にチャートの全体像が見えてくるプロセスはもはや快感ですらあった。おそらくフロー状態とはあのときのことを言うのだろう、気がつくとメモは十数枚に及び、ほとんどすべてのルートを踏破しつつあった。

3日ほど経ったとき、セーブデータを表すしおりの色が薄茶からピンクに変わった。噂には聞いていた「ピンクのしおり」だ。特定の条件を満たすと追加の選択肢が現れるようになり、すこしアダルトな展開を楽しめるというもので、その後の『かまいたちの夜』や『街 〜運命の交差点〜』といったチュンソフト社製のサウンドノベルにも採用されたご褒美的な要素である。18歳にもなってスーファミの前でドキドキしながら、これまでの自分の頑張りを称えるように、一文一文じっくり舐め回すように堪能していく。

これまで時間を忘れてゲームに没頭したことは何度もあるけれど、『弟切草』ほど偏執的に、まるで何かに取り憑かれたかのように遊び尽くしたゲームはたぶんない。今さら目新しさもなく、一見地味なゲームだけれど、古典はいつになっても味わい深いのだとつくづく感じる経験だった。

5年ほど後にこのときの経験が活きることになるのだけれど、それはまた別の話だ。

(END)


* * *


C 「彼女」との思い出を避けて通ることはできない。

僕が意を決してスタートボタンを押そうとしたその瞬間、僕の背後でふすまの開く音がした。

「何してんの?」

そこには、制服姿の少女が立っていた。肩にはスポーツバッグを下げ、まさに今しがた家に帰ってきたという出で立ちだ。長い黒髪を後ろで結い上げ、まだすこし幼さの残る、しかし凛とした顔立ちをしている。

彼女は僕の従妹だった。歳は一つ下で、この春から高校3年生になる。

彼女は弓道部に所属していて、高校が僕の家にほど近いということで、長期休暇になるとこうして僕の家に居候して、毎日部活に出かけていくのだった。

「『弟切草』ってゲーム。暇だったから、なんとなく点けてみたとこ」

「ふーん」

興味があるのかないのかよくわからない返事をして、彼女はおもむろに僕の隣に腰を下ろした。さしずめ、他にすることもなく暇を持て余そうとしていたのだろう。

僕は気を取り直してゲームを始める。おどろおどろしいBGMの中、若いカップルと思しき男女が森の中を歩いていく様が描写される。

「え、これ怖いゲーム?」と彼女が漏らす。

「そうだよ」気づいてなかったのか、と思いながら僕はテキストを進める。

二人は古びた洋館へと足を踏み入れる。どことなく不気味な演出のせいもあるのだろう、気がつくと僕も彼女も息を呑んで、画面のテキストを目で追っていた。彼女が読んでいることを意識して、テキストを送るテンポをすこしだけゆるめる。ときおり選択肢が現れるたび、

「どっちがいい?」

「えー。うーん、じゃあBかな」

などと言葉を交わしながら、洋館を奥へと進んでいく。

やがてある一室に足を踏み入れると、突然二人の背後で扉が閉まる。真っ暗な部屋の中でパニックになりかけたその刹那、窓の外で大きな雷が鳴る。雷光が部屋の中を明るく照らした一瞬、

二人の目の前に、干からびた老婆の顔が現れる。

「ひゃっ」

従妹が思わず声を上げる。気がつくと僕たちは肩と肩が触れ合う距離で画面に向き合っていた。

その後も選択肢が現れるたび、二、三言葉を交わしながら、僕たちは次々と起こる不可解な現象へと巻き込まれていく。僕たちは時間も忘れて、ブラウン管に釘づけになっていた。

物語のクライマックス、炎に包まれる洋館から、二人は必死になって脱出する。気を失ってしまった恋人を背負って、命からがら洋館を離れる主人公。やがて二人の前で洋館は大きな音を立てて崩れていく。ようやく助かったと胸をなで下ろした直後、衝撃的なテキストが画面に表示される。そして――そのままエンディングが流れはじめた。

背筋の凍る結末に、しばらく僕たちは言葉も忘れて、流れていくスタッフロールを見つめていた。気がつくと窓の外はすっかり日が落ち、部屋の中は薄暗くなっていた。まだ心臓がドキドキして落ち着かない。すぐ隣で言葉を失っている従妹も同じ心境なのがわかった。

エンディングが終わり、そろそろ夕飯にしようか、と僕が言い出そうとしたそのとき、彼女が僕の服の裾を掴み、うつむいたままか細い声を発した。

「あ、あの、今日は……一緒の部屋で、寝ない……?」

彼女は僕のほうを見た。精一杯強がっているようだが隠しきれていない、怯えたような、不安そうな顔をしている。頬がすこし赤くなっている。

思わず息を呑み、返事をしようとしたそのとき


「ごはんだよー」

母の声で僕はハッと目を覚ました。

僕は薄暗い和室で、『弟切草』のタイトル画面を点けたまま、畳に仰向けに寝転んでいた。隣には誰もいない。

ぼんやりした頭で辺りを見回し、従妹を探す。従妹?あれ?僕に従妹なんていたっけ?

そうだ、『弟切草』のセーブデータを確認してみよう。もし一度でもクリアしたなら「しおり」にその記録が残っているはずだ。

ブラウン管に、セーブデータを表す「しおり」が表示された。

そこには・・・

(END)

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