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8月というのは

8月というのは、

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いつの間に8月になっていました。

は、はやい…光陰矢の如し。

8月と聞くと、あぁ夏本番だ、って思うのと同時に、私が思い浮かべるのは、

広島、長崎、終戦。

この3つの響きです。

まだ70年なのか、もう70年なのか、平成10年生まれの私にはよく掴めない。

真実をこの目で見たわけではないけれど、だからこその重たさがあるし、恐ろしさがあるし、悔いと悲しみと怒りと、色々なものが想像のもと、押し寄せてくるのです。

毎年、8月がくる度に、何か戦争の本を買って読んだり、文章にしてみたり、テレビに張り付いて戦争関連の特集やドラマを見たりと。

毎年そうしながら、こんなので70年前が分かるわけない、私は知らないんだ、知らない世代で、むしろ核によって守られている世代なんだ、なんて、苦しい気持ちになったりします。

過ぎ去ったこととはいえ、忘れていいことではない。 それを痛いほど感じるからこそ、真実に近づけず向き合えない自分と、現代がいやになるのです。

そして、戦争は繰り返してはならないと言いながら、武力を肯定している社会を、私はどう生きればいいのか、というのも分からず。

原爆だけが、核だけが悪いのではないでしょう。

そんなものを生み出す人間こそが悪いのだとは思いますが、そもそも武力で誰かを征服しようという考えが、一体なぜこんなにも当たり前で、今でもまかり通っているのか。

原爆を例に挙げずとも、拳銃一つ、刃一つでも誰かを殺めることはできるでしょう。

そんなものがあふれている社会で、どう現実の平和と、心の平和を保てばいいのでしょうか。

戦争というものが大きく取り上げられる時期だからこそ、戦争が無ければそれでいいのかな、原爆が落ちなければそれでいいのかな、平和だと言えるのかな、と考えます。

自分も含めて人間がみんないなくなれば、地球は自然に平和になるのにな、なんて思います。

どうして人間だけがこんなにも醜く見えるのでしょう、私だけでしょうか。 人間がいやになりませんか。

8月が来る度に、私はいやになるのです。 戦争が、ではなくて、この社会が、世界が、人間がいやになるのです。

いつか美しい解決法が生まれたりしないかな、全て吹き飛ばしてくれるような透き通った綺麗なものは、もうこの世にはないのかな。

これからどう生きればいいのか分からなくなるのが、私の8月です。

なんだか暗くてすみません。 でもこれが、19回目の8月を迎えて思うことのなのです。


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これは、2年前、19歳の時に書いた日記です。


あと、これも2年前の写真と記録。

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平和記念公園。 被爆2世の方のお話、少しだけど、聞けました。 確かにあったできごと、なのに、記憶はだんだん薄らいでゆく。
 今の自分はきれいに心の中で整理が出来ないけど、痛みを忘れることだけはあってならないな、と。
70年、草木も生えないと言われた場所には、今青々と緑が茂っている。 時が経てば見た目は元に戻るから、語る人もいなくなってしまうから、
知らない私達は、知ろうとしないといけないのですよね。
70年前、確かにこの地に原爆が落ちたのだと、信じられなくとも、一生懸命に言い聞かせました。

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当たり前だけど、生きていれば毎年毎年、8月が来る。

それで、戦争の悲惨さを感じられるようになったり、傷ついた人の痛みが分かるようになったりするわけではない、当たり前だけど。

分からない、私はずっと分からない。 2年前も分からないと言っているし、21歳の今も分からない。 分かるわけがない。

おばあちゃんがいつか話してくれた、戦時中のこと。

「B29の音が聞こえるとね、みんなでわーって裏山に逃げたの。何度も逃げたの。あれはねえ、怖かった。B29が飛ぶくらいだったら、国土の一部をあげたっていいと思うよ。それくらい、いいと私は思うよ。何があっても、戦争だけはだめだよ。」

ときどき目を瞑りながら話してくれた、おばあちゃん。いつもは機関銃みたいに勢いよく喋るおばあちゃんが、この時はしみじみ、話していました。

それが、すごく印象的だった。

「何があっても、戦争だけはだめ」
こうした言葉は、日本に生まれた私たちなら小さいころから聞いている。

それでも、おばあちゃんの口から聞いた時に、ずしんときた。
今もきている。 あぁ、何も知らないし見たこともないけど、それでもこんなに心にひびく。 打ちつけられるような痛みが広がる。


さっきまで、ラジオで長崎の平和祈念式典の様子を聞いていたのですが、市長さんのお話や被爆者の方のお話で、涙が出ました。

「人間が、いやになる」と2年前の日記の引用で書きましたが、
傷つけられたのも、また人間なのですよね。 その人たちのことを考えたら、「いやになる」なんて一言で、思考を放棄してはいけないと思った。

そのあと、安倍首相のスピーチで、

「被爆者の方々に寄り添いながら・・・」
「原爆症の認定について・・・」

なんて言葉を聞いて、馬鹿にしてるのかなって、思ってしまいました。

あまりにも浅くて。 私よりずっと年上で、戦争の話も両親から聞けるような世代でしょう。 なのに、どうして、あんなことしか言えないの?

被爆者の方々が本当に求めているのは、戦争で傷ついたすべての人が願っていることは、そんなことじゃ、ないんじゃないかな。

少なくとも私は、あんな言葉で締めくくってほしくなかった。もっと、考えた言葉を、感じたことを、言ってほしかった。

首相だから、日本の代表だから、とか、そういうこと以前に、ひとりの日本に生きている人間として、もっとちがう言葉を聞きたかった・・・

(首相だからこそ、ああいうスピーチにならざるを得ないというのも、分かってはしまうのですが。)

あぁ、私はこんな国に生きているんだ。

かつて戦争をして、たくさん傷つけて、傷つけられて、今も苦しめていて、苦しんでいる人がいて、その中で必死に伝えようとしたり、それを聞こうとしたり、形に残そうとしている人がいっぱいいる中で、
まるで本当には無かったことのように、絵に描いた風景のようにそれを見て、もしくは絵を見ることさえしないで、「自分の生活」をただ生きていく人が、いっぱいいる。 分かっているような顔だけして、結局は興味ない、現代には関係ないって思っている人も、いる。

私だってそうなのかもしれない。 

8月だけ思い出して、考えたり泣いたりして、こんな風に書いたりして、ふだんは忘れている、何も考えないで、自分の生活をしている。

それでも、誰だって、あんな焦土をもう二度と見たくはないでしょう。

焦土なんて単語じゃとても表せない、あの風景が、想像するだけで震えるようなあの悲惨さが、日本でなくたって、世界のどこかにあった、もしくはあることを、悲しいと感じるでしょう。


世界に人が100人くらいだったら、あんなことは起こらないのかな。

多すぎて、お互いの顔が見えなくて、言葉も通じなくて、
”人”に対しているという意識が、どんどん薄くなってしまったのかな。

そんな中で憎悪だけが大きくなって、”敵”がつくられる…

今も、世界でそんなことが起きていますよね。

大きな世界のことを考えなくとも、身近にも同じようなことはたくさん起きていると感じます。

”人の存在”の不在。 私が話しているのは、接しているのは、同じ世界を共有しているのは、紛れもなく同じ、人。 顔が見えても見えなくても、言葉が通じても通じなくても、近所に住んでいてもいなくても、人は人。
そこに生きている、存在している、人。

それだけのことなんじゃないかな、と。

憎悪や悲しみで世界がいっぱいになって、”人”が見えなくなるその前に、
その”存在”を思い出す。

そのことは、ふだんからもっと考えなければ、と思ったのでした。

今年の私の8月は、そんな感じです。


いつもながら拙い文ですみません。

読んでくださった方、ありがとうございます。

8月はきっと、たくさんの方がお盆でこの地に帰ってくるでしょうから、美味しい果物や野菜でお迎えしてあげたいですね。

おわり。