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役に立たないと生きていてはいけない、のか?

とにかく自分のいのちを最大限にひらいて生きたい。燃やしたい。成長し続けたい。世界を良き方向にアップデートするために役に立てる自分でありたい。と、いつももがいて試行錯誤して生きてます。

でもその裏には
誰の役にも立たない
誰にも求められてない私は
存在していてはいけないという感覚があり

成長するための行動をしていない自分を
ついつい、責めてしまう私がいる。

一日休み!と決めても
やること山積みのに休んでる!
みたいな気分になって全然休めてなかったり。

私は、今の自分にダメ出ししまくって
もっと成長しろと頑張らせる
という方法をとって辛くなりがちなのですが

力まずふわ〜と
私で生きていきつつ
それがまわりまわって
そのうち誰かの光になる

ってのがいい循環だよねえ、と思っています。

なあんにもしてない
誰の役にも立ってない自分に
生きてていい!と思えるには
どうしたらいいんだろう…?



この前うつで何もできなくなって、こんなふうに
「なんの役にも立たない自分って生きてていいのかな?」
とぐるぐる考えていた時に

あれ?そもそも
「役に立たないと生きてちゃいけない」
って誰が決めたんだっけ??

という疑問が浮かんできた。

そこから、

私はなぜその概念を採用しないといけないんだっけ??

っていうかもしかしたら
「働かざる者食うべからず」的な感じで
民衆にたくさん労働させて生産性上げたい
偉い人たちが言い出したとかなんじゃ??

それを刷り込まれてるだけなんじゃ??

なんなん?もう!!

社会的な生産性なんてなくても
ゆるゆる生きてたっていいじゃない!

と、考えてるうちに段々ハラが立ってきました(笑)


『役に立たないと生きていてはいけない』という

誰か知らん人が作った、なぞの概念を

私が、自分でわざわざ選んで

自分で自分を"いじめる"ために使っていた。自作自演。


でも自分が気分悪くなる言葉を自ら採用して

「チームわたし」のテンション下げてどうするんだ!?!?


もう、なぞ概念で自分をいじめるのはやめよう…!

と思った次第です。
(「自分を責める」=「自分で自分をいじめる」だなって思った)


正解なんてないんだから
どの概念を採用するかは、好みの問題で

私が、自分が心地いい概念を選んで生きればいい。


「自分が今生きてる世界は、自分で作ってる」


本とか読んで頭では理解してたけど
今年に入ってから、ほんとうに肌感覚でそう感じるようになった。

もう

・わたしがわたしをどう定義しているか

・わたしが世界をどう定義しているか

しかないなー!!!と。


自分責めは長年のくせだから、
ついやっちゃうこともあるだろうけど

自分で自分をいじめそうになったら

「それ、誰か知らん人が作った謎のルールやで!」

とひと声かけてあげようっと。

自伝の続きをなかなか書けず…!集中するためにかなりまとまった「空白の時間」が必要でして、うーん、すみません。気長にお待ちいただけると幸いです。

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