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少しの希望を抱いて

時間が経つのは何故年を取るとあっという間に感じるのか。カーテンを閉めた暗い部屋の中、観葉植物だけが生き生きと生命力を感じる。時間の感覚も曜日の感覚も、いやむしろ今年が西暦何年かも曖昧になってきている。

暗い部屋だから、鬱気分になるのだよと人は言うだろう。しかし、昼間のぎらついた太陽の光は今の僕には辛くなってしまう。何もしない、布団の横になり、クヨクヨと人生について考えているだけだ。歳月は残酷で、僕はただ年を取り、内面は何も成長のないまま子供おじさんのような男になってしまった。


テレビや新聞を見ると、現実にはたくさんの人が社会生活を営んでいて、外で活動している人そういう人を見ると嫉妬で狂いそうになる。僕はまた気分が落ち込み、真っ暗な部屋の布団の中に籠る。毛布を被り、自分の匂いに安心して、心のざわつきを落ち着かせている。

「僕は一生このままなのか、部屋の中にいて考えているだけで、何も活動できないのか?どうやって一歩踏み出したらいいのか分からないんだ。誰か助けてくれ。この暗闇から救ってくれ。」

救いがあるのなら・・と何度思っただろう。人によって人は救われる時が多い。しかし、人を追い詰めて、傷つけボロボロにするのもまた人間だ。現実は残酷で、頑張る人を馬鹿にする人や人と違う変わっている人を蔑んだり、弱い立場の人を可哀想な目で眺めて、どこかで優越感に浸っている人、そんなものばかりなことを僕は知っている。

家の中で考えることやゲーム、音楽を聴くこと、少しの家事手伝いしかしていないのが、自己嫌悪に陥る原因なのかもしれない。しかし、今の僕には人と繋がって外で労働をするということがあまりにも無謀なのであった。


朝と昼間は生きている心地がしない。いろいろと暗いことを考えてしまう。同年代の人がテレビのインタビューに答えていた。子供を作り家庭を持っている男だった。テレビの中の世界は人生が上手くいっている人のみニュースのインタビューに答えている人が多い。そうだよな。それがこの日本という国だ。弱肉強食、弱いものは自然と内に籠り、他者を受け入れなくなる。心の弱いものが、挫折をしてしまうと這い上がるのが大変な社会だ。クヨクヨと布団の中で考えていると、僕の心の中は泥沼のように暗くて汚いものになっていくのだった。カーテンを閉めた部屋の中、間接照明だけとても美しい光を煌々と射している。

その日の夜に僕は散歩をした。時間は21時ごろ。人ももうあまり歩いてない時間だ。季節はいつの間にか秋になっていて涼しい風が心地いい。秋は良いなと僕は思う。寂しさと友達のようなものだからとも言えないが、秋の孤独は少し僕に寄り添ってくれる。一緒に側にいてくれるんだ孤独なのはあなただけではないよって。20分ばかり歩いて夜空をじっと眺めていた。こんなに星は輝いていて、月は神秘的で不思議な感覚に陥った。何か一人でも他者と一緒でも孤独なことも生きていくことが辛いことも、皆抱えているのかもしれない。


「あなただけじゃないよ。皆心に辛さ抱えてる。人は結局独り。孤独と上手く付き合っていくんだ。人生は長い。小さいことから始めてみるんだ。君のことを応援しているよ。」

目に見えない存在。そのようなものは確かに存在する。僕は独りだけれど、何処かで見えない何かと繋がっているんだ。もう少しだけ休んだら、辛いこと、腹が立つことが多いだろうけれど、動いてみようかな。何でもいいから人と交わることしてみようか。

人のことを妬ましく思うのは、自分の人生がくすぶっているから。日々、辛いことが多い時に、幸せな人を見たくないのは当たり前のことなのではないか。夜風を感じた夜時間。結局、自分が動かないと何も始まらない。生きることは耐えることも必要だが、何だか今の社会は狂っていると感じてしまう。

夜の時間に安らぎを感じて、少しの希望を見出す。静寂が僕には心地いい。夜の散歩を日課にしようと考え、冷蔵庫からチョコミントアイスクリームを取り出す。スプーンで口の中に運んでいく。ひんやりと甘美な味がした。