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出会いは証明書を付けて | #7 セカンドチャンスが意味すること

6人目のナオコさん(仮名)は、ひとつ年下の41歳で、天才肌の和菓子職人だった。

彼女はバイオテクノロジー分野で博士号を取った後、製薬会社で研究職を務め、海洋学研究所に転職してから、和菓子の世界に入っていた。

大丈夫。僕も最初は意味がわからなかったから。

今回のナオコさん以降、最後の8番目までの3人の女性は、すべてガチ婚を通して出会った。

3つのネット婚活サービスを使い比べてみてわかったのは、システムの制約が強く、情報や行動がフォーマット化されているガチ婚が、僕にとっては最も使いやすく、チャンスもあったということだ。

例えば、ガチ婚の「プロフ写真は正面から顔がはっきりわかる加工ナシのもの以外は受け付けない」や「まずは『気になる』を送って、相手が返してこないとメッセージを送れない」というルールによって、お互いが容姿面での条件をクリアしていることを確認した上でメッセージ交換に進むことができる。これは精神衛生上、とても良かった。

そしてなにより「LINE IDやメールアドレスといった個人連絡先をメッセージ本文に書くのは禁止で、専用のフォームで開示し合う」や「最初のメッセージから2週間以内に個人連絡先交換が交わされなかった場合、その相手とは強制的にメッセージ交換終了」というシステムが秀逸だった。

この条件下では、メッセージ交換の段階でよほど嫌な相手でなければ「期限内に連絡先交換をしておかないと、2度とやり取りができなくなる」というインセンティブが働く。

まだ若くて出会いをたくさん楽しみたいのなら、もっと自由度が高いシステムの方がよいかもしれない。けれど40代で「婚活」を前提に活動するユーザーを対象とした場合は、プロセスがガチガチに固められていた方がスムーズなのだ。

加えて運営会社としても「連絡先交換まで進んだユーザー数」を正確に把握できる。

本当によくできている。

「もうすぐ2週間の期限が来ちゃうので、連絡先の交換しませんか?」

ナオコさんに対しても、この決め台詞でメッセージ交換からLINEにスムーズに移行できた。

彼女の特殊な職歴と離婚歴についてメッセージ交換でそれとなく聞いてみても、あまり詳しい返事は聞けなかった。これは直接会ってみるしかない。

しかも、ただでさえ情報量の少ない彼女のプロフィール上で、もうひとつだけ無視できない情報があった。

自己PRの最後に書かれていた「肉体的、精神的な暴力は許せません」という一文だ。

なにかあったのだ。前の結婚で。

「すごく気遣いのできる方なんですね。感激しました」

それが、待ち合わせに場所に満面の笑みで現れたナオコさんの第一声だった。

僕は彼女の最寄り駅と自分の最寄り駅をGoogle Mapにプロットし、地図上の直線距離でも、電車の移動時間でも両者がほぼ同じになる地点、即ち乃木坂の美術館内に併設されたフレンチレストランを最初のデートの場所に指定した。

それを彼女にLINEで伝えるとき、加えて「普段、和菓子をつくっていらっしゃるから、日本料理のお店だと仕事のことを思い出してしまうかと思って、フレンチを選びました」というメッセージを書き添えていたのだ。

僕が見せたベタな配慮を、彼女はとても素直に喜んでくれた。

メッセージ交換のときに受けた淡白な印象とは異なり、実際に会ってみると彼女は饒舌だった。そして本当に優秀な人だった。

「最初から海洋学と和菓子をやりたかったんです。でも、どちらもお金が稼げる仕事じゃないから、大学院を出てまずは製薬会社で働いて貯金しました。その後、先に和菓子をやってしまったら後から海洋学研究所に入るのは難しいと思ったので、こういう順番になりました」

それはその通りだ。

でも、普通の人間はそんことやろうとしても、能力的に不可能だよ。

そして彼女の現職である和菓子店は、僕でも名前を聞いたことのある超有名店だった。カリスマ的な男性店主がここ10年ほどで急成長させた店で、テレビで何度も特集されていた。

看板商品はアールヌーボー調のデザインを取り入れたスタイリッシュな練りきり。バレンタインやクリスマスの限定ボックスは予約初日にシーズン分が完売し、少量の当日販売を求めた客がオープン前から店頭に行列する。

ナオコさんはその店で、調理の現場を仕切っていた。

「もう何年も前から、師匠は厨房に来なくなりました。仕込みから最後の仕上げまで、20人のスタッフに対して、私がぜんぶ指示しています。それでいいんです。師匠の一番大事な仕事は営業なので。メディアに出るようになって、政界のお客様とか、各国大使館とか、外資系のIT企業から、ちょっと考えられないくらいの大口の注文が入りますから」

こういう世界があるのか。

ランチが終わっても彼女は帰りたがらず、僕たちはタクシーで神谷町に移動してスペインバルで早めの夕食を取った。どれだけ飲んでも酔わない人だった。

「他にデートしたい女性ができたら、遠慮せず、自由にしてくださいね。私も好きにしますから」地下鉄の駅で別れる時、彼女はそう言った。

初対面で7時間。圧倒的な新記録だった。

3週間後、僕はナオコさんを例の照明の暗いアーバングリルレストランに誘った。

着こなすのが難しそうなクラシカルなチェック柄のドレスが、彼女にはとてもよく似合っていた。少し白人の血が入っているようにも見える小さな顔の片側が、オレンジ色の卓上照明に染まる。

「ここの系列店は何度も行ったことがありますけど、雰囲気だけで味はダメだと思っていました。でもこのお店はおいしい。びっくりしました」

今回も彼女は素直に喜んでくれた。

彼女に促され、僕は前回ナオコさんに会った以降に出会った7番目と8番目の女性の話をした。

「自分でもよくわからないんです」僕は言った。「ナオコさんのことはとても気になっています。でも前回、別れ際に『他の女性と自由に会ってください』って言われたから、脈がないのかな、という気もしてしまって。ナオコさんはどうでしたか? 他の男性は」

「私は誰とも会ってませんよ」高さのあるフィレステーキを器用に切り分けながら彼女は言った。「このところ、ちょっと忙しかったので」

それから彼女は、前の夫とも、このネット婚活サービスで出会って結婚したと明かした。「私、リピーターなんです」彼女はいたずらっぽく笑った。

彼女がワインボトルを2本空にした後を見計らってレストランを出て、僕はナオコさんを地下鉄の駅まで送った。11月も終わりに近づき、東京の夜にも本格的な寒さが訪れていた。

しばらく黙ったまま歩いて、大通り沿いの幅の広い歩道に出たところで、彼女は唐突に立ち止まった。

「あなたとお付き合いしたら幸せだろうな、って頭ではわかってるんです」彼女は僕の膝のあたりを見ながら続けた。「趣味の話も通じるし、食事のセンスも合うし、ちゃんと気遣いもしてくれる。でも、私、どうしても自分のスイッチが入れられないんです」

「僕が入れてみせますよ、そのスイッチ」
精一杯の笑みをつくって、僕はそう答えた。

「期待してますね」
彼女はそう言って、またいたずらっぽい笑顔を見せ、風が吹き上げてくる地下鉄の階段を降りていった。

後日、僕は何度か彼女にLINEを送った。

すぐに既読にはなるけれど、返事が返ってくることは二度となかった。(つづく

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