出会いは証明書を付けて | #8 偽らなくていいから
モデルの経歴を持つ女性とデートしたのは初めてだった。7番目に会ったアズサさん(仮名)、松戸在住の40歳だ。
彼女は静岡で短大を出た後、就職した地銀を2年で辞めて上京し、モデル事務所に所属したのだ。
179センチの長身を活かして。
*
ネット婚活サービスでは、異性を検索するときに多彩な条件を設定することができる。そこには証明可能なものもあるし、できないものもある。
初回に書いたように氏名、生年月日、住所、勤務先、年収、学歴、独身証明は証明書を提出することができる。他にも英検やTOEICなどの資格も証明書を添えられる。
証明はできないけれど、離婚歴や子供の有無、血液型、続柄(長男、次男など)、喫煙者か否か、お酒はどのくらい飲むか、などもプロフィールに設定可能だ。これらの項目を異性を検索する際のフィルターとして使えるし、相手からもその条件で自分が検索される。
*
僕は最初から「自分の年齢プラマイ3歳」「東京+近隣3県在住」「喫煙しない」しか検索条件に設定しなかった。
それでもマッチングが難しく、時間が経つにつれて年齢はプラマイ5歳、居住地は関東全域にまで広げていった。
*
千葉県松戸市在住のアズサさんは、当初から検索結果に何度も登場していた。ただし、「気になる」を送るハードルがとても高かった。
プロカメラマンが撮影した宣材写真クオリティの美貌と、「元モデル」の経歴に、男性からの申込みが殺到しているのは明らかだったから。
でも、何度も彼女のプロフィールを見ているうちに、1箇所だけ突破口になるかもしれない、と感じる項目があった。
僕は身長が180センチなのだ。
*
後に交際することになる8番目の女性から聞いたところによると、証明対象外である身長と体重については、明らかに偽っている男性も多かったようだ。
「身長175センチ」と書いてあったのに実物はどう見ても165センチくらいだったり、「標準体型」に会ってみると「ぽっちゃり」だったり。
とは言え、身長体重を証明する公的書類は健康診断の結果表くらいだろうし、いくら婚活サービスとは言え、検診結果を提出させるのは個人情報保護の観点から難しいだろう。
とにかく僕は実際に180センチあるし、嘘がないことは会えばすぐにわかる。
*
ガチ婚ルールに則り「気になる」を送ると、アズサさんはすぐに「気になる」を返してくれた。
やっぱり身長が効いたのだ。
ただ、続くメッセージ交換では僕は身長の件には触れず、映画や食べ歩きの他愛ない話をした。彼女のプロフィールも情報量が少なく「スター・ウォーズ」くらいしか共通項目がなかったし、その状況下のスター・ウォーズが鬼門であることは過去の経験から学んでいた。
彼女はとてもお酒が好きで、どんな話を振っても、最後はアルコールの話で終わるのが印象的だった。
「僕、中学生の頃、ドイツに住んでいたんです」
「うらやましい。ドイツのビール美味しいですよね」
「いや、中学生だったから飲みませんでしたよ。まぁ、今でも下戸なんですけどね(笑)」
「お酒飲めなくても、私が飲むのを嫌がらないなら、大丈夫ですよ(笑)」
「嫌がりませんよ(笑)」
「実は今、東京に来ているんです(笑)」
「残念。僕は今ちょうど、出張で福岡に来ています(笑) アズサさんはどこに居るんですか?」
「天王洲のブリュワリーです(笑)」
「(笑)」
*
そんな低温調理のような「(笑)」のラリーを続けていると、意外にも3日目にアズサさんの方から直球で「お会いしませんか?」と誘われた。
特段盛り上がった話題もないまま誘われたので、以前にあった営業活動疑惑が少しだけ頭をよぎった。
それでもいいや、と僕は思った。
こんな美人と食事ができるなら、営業オチだったとしても、楽しめばいい。
すぐにOKの返事をすると、彼女から日時と松戸のレストランの食べログリンクが送られてきた。
お、これは趣味の良さそうな割烹居酒屋だ。
*
松戸駅の長いエスカレーターを上ると、改札の向こう側のアズサさんをすぐに見つけることができた。ガチの高身長だ。
柱に軽く寄りかかって腕組みをしていた彼女は、手を上げて改札を出ようとする僕に気づくと、本当に雑誌の表紙のような艶やかな笑顔で僕に大きく手をふってくれた。
彼女の案内で駅のロータリーの階段を降りて線路沿いを歩き、目的の割烹居酒屋に入った。
扉を開けると、まずパリッとした白木のカウンターが目に入る。その内側では落ち着いた雰囲気の料理人がテキパキと焼き物の面倒をみたり、背筋を伸ばして野菜の皮を剥いる。もうその光景だけで「間違いない」のがわかる。
相手ににお店を決めてもらえるって、こんなにワクワクするのか。
*
アズサさんは、その高身長や美貌のイメージとは少し違って、語尾がすべて母音で終わるような、ふんわりした口調で話す女性だった。
「父がとても厳しい人で、実家に居るときはよくケンカしちゃいました」乾杯のビールの後、焼酎のロックに切り替えて彼女は話した。「『女の幸せは結婚だから、地元で固いところに就職して職場結婚するのがいい』って、子供の頃からずーっとそう言われて育って、私、本当に銀行に就職しちゃって。銀行になんてぜんぜん興味ないのに。だからすぐガマンできなくなっちゃいました。父に黙って会社辞めて、22歳で家出みたいに東京に出て来たんです」
すごいじゃないですか、と僕は言った。実際、心からそう思った。
「静岡に居たときは、この身長がずっとコンプレックスでした。ただ、東京で生きていくなら、これを活かしてモデルやるしかないと思って。なんのツテもないままモデル事務所に飛び込んで、通販のカタログとか、スーパーのチラシとか、そういうところから少しずつ仕事を始めました」
彼女は焼酎、僕は烏龍茶をお代わりした。
*
「今でも父は変わらないんです。私の顔を見ると、結婚、結婚、って。40過ぎてなにやってるんだ、って」
「それって順番がおかしいですよね」僕はいつもの持論を振りかざした。「結婚は結果ですよ。まずは恋愛するところからじゃないと始まらないと思いませんか?」この文脈だったら伝わるはずだ。
「ですよねー!」彼女は同意してくれた。「だから実家帰るの本当に嫌なんですよ。今年のお正月に帰省したときもまたそれで父と大げんかしちゃいました。また年末が近いのが憂鬱で憂鬱で」
「しばらく帰らなきゃいいじゃないですか」
「ですよねー!」
*
残念ながら、アズサさんはモデルとしては成功しなかった。
カタログやチラシから先に進むことはできず、30歳になったのを契機に彼女はモデル事務所を辞めて人材派遣会社に登録した。それ以来、何年かおきに職場を変えながら事務職を続け、10年が経とうとしていた。
彼女はグラスを重ねるごとに陽気になるタイプで、どんどん目元が緩んで楽しそうに笑うようになった。たぶん本当は相当に酔っぱらっているはずだ。今日のこと、ちゃんと覚えていてくれるだろうか。
*
おいしい創作和食と恋愛談義で盛り上がっているうちに僕の終電の時間となり、彼女は僕を松戸駅の改札まで見送ってくれた。
「ありがとうございました。素敵なお店でした」僕は心から言った。
「ごちそうさまでした」彼女はそう言って、またあの笑顔で大きく手を振ってくれた。
どちらからも「また会いましょう」とは言わなかった。
*
翌日の朝、アズサさんからこんなLINEが届いた。
「昨夜はありがとうございました。あの場では同意してしまいましたが、本当は私はすぐに結婚したいと思っています。なので、同じような考えの男性を探します。お話できて楽しかったです。良い出会いがあることをお祈りしています」
よかった。ちゃんと覚えていてくれた。
あんな風に自分を偽らなくても、あなたなら素敵な男性に巡り会えるから。(つづく)
読んでもらえただけで幸せです。スキかフォローかシェアがいちばんうれしいです。