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出会いは証明書を付けて | #3 勝者と敗者を分けるもの

ふたり目に会ったのはひとつ年上の料理研究家、ユキさん(仮名)だった。

鎌倉に自宅兼キッチンスタジオを構えて、雑誌の連載を持ち、料理教室を開いていた。

彼女は努力を重ね、自分の手でチャンスを掴み、幼い頃からの夢を叶えていたのだ。

初回の反省をふまえ、僕は有料会員限定のガチ婚で、マニュアル通りに「気になる」のやり取りを重ねることに注力した。

東京または近隣3県在住で、僕の年齢よりプラマイ3歳、という検索結果から何百人という女性のプロフィールを見ていく中、ユキさんのそれは異彩を放っていた。

ひと目でプロカメラマンが撮影したとわかるエプロン姿でキッチンスタジオに立つプロフ写真。そして「料理研究家」という肩書。

僕とユキさんのどちらが先に「気になる」を押したかは覚えていないけれど、交換が成立してから先にメッセージを送ったのは間違いなく僕だった。

書きたいことがあったのだ。

婚活サービスに登録している女性の職業で男性人気が高いのは、モデルや客室乗務員のような容姿の期待値につながるものと、看護師や保育士のような母性を想起させるものだろう。

たぶんユキさんは、後者の究極の理想像として「おいしい手料理」を期待する男性からのメッセージが多く寄せられている、と僕は想像した。そして本人はそれに、うんざりしているだろう、と。

でも僕には、自分が他の多くの男性とは違うアプローチができることを自覚していた。意図してつくれるものではなく、たまたま生きてきた人生から獲得した視点だ。

相手がプロだからこそ、本物の経験ならば稚拙でも刺さると思った。

以前に「僕は学校に行かないと決めた」というエッセイを書いたので、もしよければ詳細はそちらを読んでほしいのだけれど、僕は小学校時代の大半を不登校(当時は「登校拒否」と呼ばれていた)で過ごした。

僕の実家にはハードカバーで大判20冊組みの料理辞典があって、そこには和食、中華、洋食からデザート、パーティ料理まで昭和の家庭が必要とするありとあらゆる料理のレシピがフルカラーの写真入りで掲載されていた。

母は日中パートに出ていたので、学校に行かずに家にあった絵本や児童書を読み尽くした僕は、ふと、そのカラフルな料理辞典を読み始めた。小学校4年生ぐらいのときだ。

そしてすぐに、レシピに書かれた料理をつくりたくてたまらなくなった。プラモデルや工作と同じような感覚だったのかもしれない。

ところが、レシピの材料がすべて家に揃っていることは少なかった。パウンドケーキをつくりたいのにベーキングパウダーがない。杏仁豆腐をつくりたいのに棒寒天(!)がない。

その状況で子供はどうするか? もちろん足りない材料なんて無視してつくる。

結果として完成したペチャンコのケーキや固まらない杏仁豆腐をどうするか? もちろん全部食べて証拠隠滅する。母にバレてはいけない悪いことをしていると思ったから。

結果、僕は小学校6年生になるころには料理の基礎を一通りマスターし、その代償として立派な肥満体型を手に入れていた。(その後、急激に身長が伸びて痩せた)

料理は僕の生活の一部となり、高校の頃には家族の夕食の調理を僕が担当していたくらいだ。

というエピソードを盛り込んだメッセージを送ると、翌日、ユキさんから、興奮した文面の返事が返ってきた。

私も同じです。
子供の頃、まわりにうまく馴染むことができませんでした。
そのころ読んでいた大好きな絵本に描かれていた料理を見ているときだけ、幸福な気持ちになることができました。
そうやって誰かを助けることができる料理をつくりたくて、この仕事を目指したのです。
こんな話ができると思えた相手は初めてです。
ぜひ直接お会いしたいです。

僕たちは品川駅前にあるホテルのラウンジで待ち合わせた。

実物の彼女はプロカメラマンによる華やかな宣材写真の印象よりもずっと控えめで誠実な女性で、儚さと美しさのどちらに歩み寄ったらいいのか、自分でも測りかねているような印象を受けた。

挨拶代わりにお互いのキャリアについて話をしているうちに、共通の知人が居ることがわかった。僕が新卒で務めていた出版社の雑誌に彼女は連載を持っていて、当時の僕の先輩が彼女の担当編集だったのだ。

世間は狭い、と改めて僕は思った。

「小説、ここに来る電車で途中まで読みました」ユキさんは言った。「最後まで読めていなくてごめんなさい」

僕は20代の終わりに何作か小説を書いて、そのうち1作が文芸雑誌の小説賞で最終選考の3本の中に残った。

受賞は逃したが、後になって電子書籍として無料公開していたことを、前夜にメッセージで伝えていたのだ。

「いえいえ、急に送りつけてしまって、こちらこそごめんなさい」僕は答えた。「それにしても、編集部から最終選考に残ったという電話が来たときのことは、今でも忘れられないです。何千もの応募作品を本当に全部読んでいるのか。どうせ縁故の出来レースなんじゃないか、って疑っていたのに、本当にちゃんと読まれていたなんて。しかも自分が最終選考に残るなんて」

それを聞いたユキさんは、自分もレシピコンテストで優勝したことをきっかけにプロとして独立することができたと明かしてくれた。

私も主催者から連絡を受けたときは信じられなかった。その気持わかります、と彼女は言った。私は運がよかっただけです、と。

僕の中で、何かのスイッチが入った。

僕はユキさんに対して一方的にまくしたてた。

前年に終わった13年間の結婚生活のこと。
元妻に離婚を切り出されてから始まったパワーゲームのこと。
子供のこと。
離婚後にわかった取り返しのつかないこと。
でもそれはすべて、自分の責任であること。

彼女はしっかりと僕の目を見ながら、静かに最後まで話を聞いてくれた。

「昨日はとても無理をされているように見えました」翌日、ユキさんはメールでそう伝えてきた。「お体を大事になさってくださいね。小説の終わり方、とても良かったです」

彼女はちゃんと、僕のエゴを見抜いていたのだ。
初対面から露悪的に振る舞うことで、言外に「このまま受け入れて欲しい」とねだっていたことを。
結局のところ、僕も彼女に母性を強要しようとしていたことを。

恥ずかしい。
本当に申し訳ないことをした。
これ以上迷惑をかけることはできない。

僕は平身低頭に無礼を詫び、彼女の今後の幸せを祈るメールを返した。

サトミさん、たしかに俺、婚活コンサル必要かもしれない。(つづく

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