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出会いは証明書を付けて | #2 プロだったのかよ

婚活サービスを介して最初に会った女性。サトミさん(仮名)は、3歳年上で、嫉妬するくらい文章がうまかった。

彼女が書く短いメッセージには色があって、匂いがあって、温度があって、読むだけで彼女と並んで10月の東京を歩いているような気分になった。

できれば会わないで、ずっとメッセージのやり取りだけをしていたい、と真剣に思ったくらいだ。

僕が登録したネット婚活サービスはふたつあった。

一方は完全有料でユーザー数は少ない代わりに真剣な登録者が多いと評判のガチ婚(仮称)、もう一方は無料でも一部機能が利用できてユーザー数が圧倒的に多いユル婚(仮称)。

ガチ婚はプロフ写真にも厳しく、最初に僕が照れくさくて横顔の写真をアップロードしたところ「規約違反」で受け付けてもらえなかった。

実際、登録されている女性のプロフィール写真を見ると、必ず正面を向いてはっきり顔の見える写真ばかり登録されていた。お互いに嘘は付けない。

ユル婚の方はそのあたりの制約も甘く、横顔やうつむいた写真を登録している女性の方が多かった。

年齢、居住地、年収、結婚観(1年以内に結婚したい、良い人がいたら2〜3年以内に結婚したい、すぐには結婚を考えていない)、そして学歴や離婚歴といった条件で検索し、異性のプロフィールをチェックするところまではどちらのサービスも同じ。でもその先が少し違う。

ガチ婚では、マッチングしたい相手を見つけると、まず「気になる(仮称)」ボタンを押す。それに対して相手も「気になる」を返してくれたら、そこで初めてサービス内のチャット機能でやり取りができるようになるシステムだ。

一方でユル婚だと、いきなりメッセージを送ることができる。そして受けとった側が気に入らなければブロックで対処する。

共通していたのは、地味ながら強力な「足あと」機能。これを使えば自分のプロフィールを見た異性ユーザーの履歴がわかる。

サトミさんはユル婚に登録したばかりの僕のプロフィールに「足あと」を残していたひとりだった。

女優かよ。

それが彼女のプロフィール写真見た第一印象だった。

レストランで伏目がちに食事をしている1枚の写真だけで、彼女の美女オーラは充分に伝わってきた。

着ている服や、メイクや、レストランのインテリアやプレートの中身から「ちゃんとお金がかかっている」ことがよくわかった。育ちがいいのだ。そして自分の魅せ方をちゃんとわかっている。

海外在住経験あり離婚歴あり。これは僕との共通項だ。住んでいるエリアもまぁまぁ近い。好きな本と映画もいくつか重なっている。

僕は思い切ってメッセージを送った。

嘘をついても仕方がないので「プロフィール写真が美人だったので気になりました。よかったらメッセージ交換させてください」というド正直な内容にした。

そこから始まったメッセージのラリーで、僕は彼女の言葉の才能の前にひれ伏すことになる。

僕の言葉が情報と感情だとしたら、サトミさんの言葉は風景と音楽だった。

例えるなら僕が「渋谷区に住んでいます」と書くと、彼女は「銀座線はいろんな匂いがします」と答える。僕が「おやすみなさい」と書くと、彼女は「静かな夜ですね」と答える。

才能だ、と僕は思った。今この瞬間、同じ東京の街に暮らしているという空気感を、こんなにシンプルな言葉で伝えられるなんて。

劣等感が高まるにつれ、僕は量で立ち向かうようになり、メッセージはどんどん長くなった。彼女はそんな僕のとりとめのない文章の中で、無意識にがんばった表現をちゃんと拾って、涼しい顔でノリツッコミを返してくれた。

途中から僕はよくわからない多幸感に包まれ始めた。

これが、あの有名な「手の平で転がされる」ってやつか!

ネット婚活最高じゃん。もっと早くやればよかったよ。

我慢できずにサトミさんにデートを申し込むと、あっさりOKの返事が返ってきた。

全身ユニクロだった僕は生まれて初めて神南のセレクトショップに行き、マネキンを指差して「これ全部ください」をやった。かなり舞い上がっていないとできないことだ。

午前10時、指定された白金台のカフェで会ったサトミさんは、想像をさらりと超えた美人だった。

有名な女優の顔をいくつか掛け合わせたような、なんとも言えない既視感と、しっかりとキャリアを重ねた女性特有の上品さを兼ね備えていた。

自分を年齢より若く見せる必要がなく、自尊心と自己管理で美しく齢を重ねているのがひと目でわかるタイプだ。

そんな彼女に正面から向き合うと、写真ではわからなかった切れ長の目元や、バタークリームのような質感の肌に僕は圧倒された。

彼女は想像していたより少し低い声で、早口にフルネームを名乗った。そうだ、僕はサトミさんのフルネームすら知らなかったのだ。


「サトミさんみたいな美人だったら、毎日すごい数の男性ユーザーからメッセージが来ますよね」僕は典型的な構ってちゃんコニュニケーションを始めてしまった。我ながら最高にキモい。

「それなりには」と彼女は答えた。「でも、先にこちらからメッセージを送ることはできないので、ありがたいです」

そうか。彼女は無料登録ユーザーで、機能制限があったのだ。だから「足あと」をつけることしかできなかったのかもしれない。

それから彼女は自身の半生について、包み隠さず話してくれた。

大学生の娘が居ること。最近まで会社経営者と交際していたこと。その彼が自家用飛行機を所有していたこと。彼女自身は転職活動中で現在は無職であること。年に1度は北欧旅行に行くこと。よく行くレストランとそこで飲むワインのこと。

途中から彼女の経済概念とのギャップに悶えながら、僕は必死で相槌を打った。

これだけ美人でキャリアのある人だから、そりゃ相応のレベルの男性と交際してきて当然だよ。

やっぱり僕がプロフィールに事実とはいえ分不相応な年収を書いていたから誤解されたんだ。自業自得だ。ちゃんと説明して理解してもらおう。

でも何か、何かどうしても、頭の奥にお金のことだけではない違和感が残った。この感覚はなんだろう?


結局、違和感の正体はわからないまま2時間のカフェデートが終了し、彼女は友人とのランチに向かった。

別れ際、サトミさんの提案を受けて、以降のやり取りは婚活サービスのメッセージからLINEに切り替える約束をした。

僕は帰宅して初めてiPhoneにLINEをインストールした。

そしてふと、サトミさんのフルネームを検索して、ようやく違和感、いや、正確には既視感の正体を突き止めることができた。

「見つけたよ」

その日の夕方、僕が人生で初めて受け取ったLINEのメッセージはサトミさんからのものだった。僕が婚活サイトのチャットを通して伝えたLINE IDを検索してくれたのだ。

「さっきはありがとうございました」早々にフリック入力に挫折した僕は、Mac版のLINEアプリでタイピングしながら続けた。

「実は、過去にサトミさんに会っていたことを思い出しました」


婚活サービスを利用する2年ほど前、まだ結婚していた僕は、当時4歳だった息子を目黒にあるピアノスクールの体験入学に連れて行ったことがあった。

息子は自分が何をするのか理解できていないまま、唐突にキーボードが並べんだ音楽室に入れられたことに驚き、室外から防音ガラス越しに見ていた僕の方に走って戻ってこようとした。

すぐさま室内に居た若いアシスタントが息子を後ろから抱えて連れ戻し、キーボードの椅子に座らせた。パニックになった息子は泣き叫び、とても授業どころではなくなっしまった。他の子供さんたちに申し訳ない。

僕は思わずガラスのこちら側で隣に立っていた入学受付担当者に「せめて僕も部屋に入って後ろから見ていたほうが、息子も落ち着くと思うんです。よいでしょうか?」と尋ねた。

「それはやめてください。ここでしっかり切り離しておかないと、ひとりでレッスンを受けられなくなってしまいます」

あのとき、僕にそう答えた担当者がサトミさんだった。

カフェで彼女のフルネームを聞いたときから、そして彼女の顔に既視感を覚えたときから、眠っていた記憶がノックされ続けていたのだ。

「不思議なご縁ですね。検索してみたら、当時のサトミさんとの予約メールのやり取りがGmailに残っていたんです。髪型が変わっていたから、お顔を見ても気づけませんでした」

「たしかにあの頃は、髪を長くしていました」そこからしばらく、サトミさんのLINE入力が途絶えた。「でもごめんなさい、息子さんのことは本当に記憶になくて。もし、何かご迷惑をおかけしていたとしたら申し訳ありません」

いえいえ、迷惑だなんてとんでもない。数年前に一度体験入学しただけの子供を、ましてやその親の顔を、いちいち覚えているはずがない。

それに僕は、息子の体験入学のエピソードを悪い思い出として提示したつもりはなかった。本当に、偶然、過去にサトミさんと会っていたという事実に驚いて「ビンゴ!」の気持ちを伝えたかっただけだ。

しかし、僕がそこで一瞬でも入れてしまった彼女の「ビジネスモード」のスイッチは、戻ることはなかった。

そして僕があれほど焦がれた、彼女の言葉の魔法も失われてしまった。

「だめだ、やっぱりどうしてもその気になれない」

僕からの二度目のデートの誘いを、彼女は一度受けてから、時間をおいてそう切り捨てた。「だからもう、あなたと会うことはない。これ以上はやめよう」LINEの口調まですっかり変わっていた。

自業自得だ、と僕は改めて思った。そもそも僕が一方的に熱を上げていただけだったのだ。内心は経済格差を心配していたし。余計な詮索をして彼女を白けさせてしまったし。

むしろ40代の婚活の最初に、こんな素敵な女性と会えて、良い思い出がつくれだだけでも僥倖だったと思うべきだ。

だから僕は潔く身を引くことにした。ありがとうございました。サトミさんとメッセージをやり取りしたり、デートができて本当に楽しかったです。

「実はね、私、フリーで婚活コンサルタントをやっているの。仕事としてなら、これからも話を聞いたり、アドバイスもできるんだけど」

画面に表示された文字を見て、僕は生まれてはじめて、自分の頭の中で、ザーッと、血の気が引く音が聞こえた。なんだ、プロだったのかよ。

「誤解しないんでほしいんだけど」彼女からのメッセージはしばらく続いた。「これ以上話をすると、お金が発生しちゃうから」

僕は「手を差し伸べてくれてありがとうございます」と丁寧にお礼をして会話を終わらせた。そして「LINE ブロック」で検索して出てきた操作を即実行した。

初めてLINEメッセージをもらったのも、ブロックしたのもサトミさんというわけだ。

一発目から濃すぎるよ。これが本物のネット婚活かよ。

今になってこうして振り返ってみると、文字通り「良い経験」ばかりだった。サトミさんには感謝しかない。

セレクトショップでデート用の服と靴を手に入れた。

iPhoneとMacにLINEをインストールして操作を覚えた。

無料会員は危ないという、わかっていたはずの警告を教訓に変えた。

そしてなにより、失恋によるメンタルダメージがまったくなかった。最初から失恋する要素なんてなかったのだから。

装備を整えて新しい魔法を覚えた僕は、次の街へと進んだ。(つづく


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