見出し画像

出会いは証明書を付けて | #5 奇跡は万能ではない

4人目の女性、リカさん(仮名)と会うために、僕は北陸新幹線に乗っていた。

39歳の彼女と42歳の僕との間に、針の穴に糸を通すような偶然の一致があったのだ。

金沢という場所で。

少数精鋭の「ガチ婚」と会員の多い「ユル婚」という、ふたつのネット婚活サービスを通して僕は約3週間で立て続けに3人の女性と会うことができた。しかし、そこからしばらく停滞期が続いていた。

そもそも「気になる」を送っても返ってこない。それを乗り越えてメッセージのやり取りまでこぎ着けても途中で返事が来なくなる。なんとかデートの約束を取り付けても、ドタキャンされる。

たぶん分不相応な年収に少し期待してくれた女性に対して、僕のプロフィール写真やメッセージの内容が残念すぎたのだろう。

現実を受け止めなくては。

しっかりと受け止めた上で、僕は現実の側を押し広げることにした。

分母を増やせばいいのだ。

最初にネット婚活サービスを調査した時に「さすがにこれはちょっと無いな」と思って除外していた、ユル婚より更にに会員数が多い、所謂「出会い系」を母体にした婚活サービス(チャラ婚・仮称)に僕は手を出した。

僕のプロフィールの絶対的なポテンシャルがいくら低くても、女性会員の数が10倍、100倍となれば、目に留めてくれる人が出てくるのではないかという戦法だ。

3ヶ月コースの会費を払い(やる気満々)、他の婚活サービスからコピペしたプロフィール情報を登録し、証明書類をアップロード。

審査が終わって自分のプロフィールにチェックマークが並んだところで女性を検索し、リストからプロフィール画面を表示、って、あれ?

女性の写真が表示されない?

僕が勝手に持っていたフリーダムな先入観とは裏腹に、チャラ婚には「プロフィール写真の公開・非公開をユーザーが選択できる」という謎すぎる機能があり、多くの女性が非公開設定にしていた。

デフォルトで表示される丸型のアイコン写真はあるけれど、片目や口元のアップの写真ばかり使われているから全体像がわからない。

いや、わかっていますよ。

お前が女性を容姿で判断できる立場なのか、っていうツッコミは。

でもね。

一応「婚活サービス」ですよ、これ。

結婚するかもしれない、っていう相手を選ぶのに、外見情報ほぼゼロで声かけるって無理があるでしょ。

こっちは当然、写真全公開設定にしてるよ。

どうすんのこれ。3ヶ月先払いしちゃったよ。


こっちからメッセージ送って、顔写真を開示してもらってから「ごめんなさい」って言えないよね。

それこそ「何様だよ」って話になるよね。

このシステム考えたの誰だよ。

出会い系じゃないんだよ。婚活だよ。

俺、42歳だよ?

頭にきてサイトを閉じようとしたとき、ふと自分のプロフィールへの「足あと」をチェックすると、石川県在住の女性の訪問歴がひとつだけ残っていた。

石川県!

その発想はなかった。

僕は爆速で彼女のプロフィール画面を開いた。写真は非公開。自己PR欄にはカタカナ文字が並んでいた。オーストラリアの大学、マーケティング、インバウンド、ホスピタリティ、コミュニケーション、TOEIC。

えーっと、なんだかスゴそうだけど、具体的にどんな仕事をしているのか全くイメージができない。

でも、これも何かの縁だ。

彼女も離婚歴ありだから、こっちの離婚歴は気にしないだろう。

3ヶ月分(しつこい)の元を取らなければ。

「こんにちは。足あとありがとうございます。石川県にお住まいなんですね。僕は8年くらい前に、一度だけ金沢のA旅館に泊まったことがあります。素晴らしいところでした。それ以外は石川県にはまったく縁がなくて。よかったらメッセージ交換から始めさせてください」

A旅館は本当に素敵な旅館だった。

山深い立地の歴史ある旅館をスタイリッシュな和モダンに改装し、源泉かけ流しの露天風呂付き和洋室を備え、「CREA」の表紙を何度も飾っていた。先見の明とセンスがあったのだ。

僕と元妻は子供が生まれる前はタヒチやモルディブの海外ビーチリゾートにドハマりし、貯金しては飛行機に乗って散財していたけれど、国内で唯一、それに匹敵する感動を与えてくれたのがA旅館だった。

日付が変わる直前に返事が来た。

「こんなミラクルってあるんですね。私、A旅館の従業員です」

リカさんは石川県の出身で、オーストラリアの大学を出てから日本で結婚し、元夫の仕事の都合で札幌に移住してホテルに勤務していた。

相手の浮気が原因で離婚して金沢に戻り、A旅館を中心とするホテルチェーンに採用され、語学力を活かして海外の旅行代理店との折衝や外国人客の対応を担当していたのだ。

僕たちはお互いのことをほとんど知らないまま「これは運命に違いない」という一点においてだけ瞬間的に合意し、僕は土曜日の金沢駅前のビジネスホテルと新幹線のチケットを予約した。


「ごめんなさい、出がけに急なお客様の対応が発生しちゃって」

約束の時間を30分過ぎたころ、駅前に軽自動車に乗って現れた彼女は、見覚えのあるパンツスーツタイプのA旅館の制服を着ていた。

「本物だ」思わず僕は言った。

「本物ですよ」彼女は笑った。

旅館の制服のままでは目立つから着替えさせて欲しい、とリカさんは僕を車に乗せて自宅へと向かった。

夕食の場所に決めていた蕎麦屋に向かう途中に自宅があるので、それがいちばん効率的なのだと。

さすがに彼女の家に上がることは遠慮した。

「お茶くらい出させてください」シートベルトを外しながら彼女は言った。僕が改めて遠慮すると「よく考えたら、私たち、会ってから10分くらいしか経ってないですね。無茶苦茶言ってますよね、私」と言い残し、ひとりで車を降りた。

なんだこのマンガみたいな展開は。

蕎麦屋には他に客がおらず、リカさんは店主と知り合いのようだったから、あのとき私服の黒いワンピースに着替えた意味はあったのだろうか、と僕は今でも思う。

カウンターで天ざるを食べている僕を見て「お箸の持ち方がきれいですね」と彼女は言った。

僕は驚いて赤面し、小学校6年生のときに父が突然、僕を赤坂の高級料亭に連れて行った思い出話をした。そのとき僕は生まれて初めて父とふたりきりで外食をしたのだ。

「今から思えば、あれは父なりのマナー教育だったんです。それまでバッテン箸だったのが、あの料亭を境に、ちゃんと持てるようになりましたから」

「素敵なお父様ですね」とリカさんは微笑んで聞いてくれていた。けれど、今思い返せば、たぶん他に褒めるところがなかっただけなのだ。

もしくは、彼女なら、僕のどんなところでも褒めることができた。

どんなところでも。

「仕事は楽しいです」駅前のビジネスホテルに向かう車中で彼女は話した。「忙しいし、時間は不規則だけれど、私にしかできない仕事をしている、っていう実感があります」

そうですよね、と僕は頷いた。

「離婚を乗り越えることができたのも、仕事のおかげだと思っています。悲しんでる暇なんてないですから。次から次へと新しいお客様がいらっしゃって」

8年前に僕が元妻とA旅館に来たときは、リカさんもまだ結婚していて札幌に居たのだ。

僕たちは出会っていたようで、すれ違っている。

「本当は私、東京に行きたいんです。地元は楽なんですけど、昔からの知り合いとか、家族とか、一度ぜんぶリセットして、新しい人生を始めたい。でも私が抜けたらA旅館どうなっちゃうんだろう、って考えると踏ん切りがつかなくて」

2週間後、リカさんから「旅行代理店が集まる新宿のイベントに出席するので、よかったら会いませんか」と誘われ、代々木で待ち合わせてお茶を飲んだ。

制服でも私服でもない、真っ白なモヘアのコートを着た彼女は、また全くの別人のように見えた。

僕は最後まで、初対面のようなぎこちなさを崩すことができなかった。

帰り道、僕は婚活経験の中で唯一、女性に対して自分から明確にお断りのLINEメッセージを送った。

金沢で彼女が言った「結婚でもすれば、A旅館のみんなも、喜んで送り出してくれると思うんです」という言葉を、僕は2週間反芻し続け、どうしても咀嚼することができなかったのだ。

ときどき奇跡は起きるけれど、それは万能ではない。(つづく

読んでもらえただけで幸せです。スキかフォローかシェアがいちばんうれしいです。