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春のフランスへ 5日間の旅

先週日曜日から木曜日までフランスの夫の実家へ帰省した。気づくと去年の夏以来。ベルギーの隣とはいえ南西部の田舎にある夫の実家へは片道9時間ほどかかる大移動、3人の子連れ、交通費を考えるとおちおちと帰れない。今回は行きはパリ経由で。パリ北駅の人の多さにびっくり。東京を思い出す。バス停の近くにアフリカ系の男性が倒れており、周りに荷物が散らばっていたのに誰も何もせず通り過ぎていた。あんなにたくさんいた警官は駅の外には見えず、軍も近くにいたけど何もせず。亡くなってはなく酔っ払いか何かだと思うがルーヴェンだったらありえないしフランスだってパリ以外では皆手を貸すはずだ。東京でもこんな場面に何度も出くわした。バスに揺られながら大都会と小都市に住むメリットとデメリットをぼんやりと考えた。

Gare Du Nord パリ北駅。警官も多くパリでも大きい駅の一つ。ブリュッセルからのユーロスターはここに到着する。
モンパルナス駅のモレスキンになぜかちびまる子ちゃんが!

大都会に住むとアクセスできる人や事は広がる。しかし個人の行動範囲は小都市にいる時とさほど変わらない。東京に住んでた頃、憧れるようなきらきらした生活は一部の人しか手に入れられないのだと知った。自分の生活圏はそれなりに狭く、それでも身近に広がる都会的な街並み、人々、刺激にそれなりに満足していた。ベルギーは小さい国だ。子連れには住みやすいし安全だ。でもたまには刺激が欲しくなる。パリは結局乗り換えで終わる。それでも景色を見るだけで得られるものがある。

初日はTGVが遅れ乗り換えに間に合わず19時着予定が12時過ぎに。それでも子ども達は元気。わたしはまだ肌寒い夜の駅で待っていたせいで少し風邪気味に。義実家に着き穏やかで優しい夫の両親に癒された。子ども達は勝手に遊ぶので末っ子のオムツ替え以外ほとんど手がかからなかった。家に夫以外に2人大人がいるだけでこんなに楽なのかというほど子育ての負担は減る。家が広く長男は漫画のタンタンに夢中なので月火は家でのんびり過ごした。まだ肌寒いがベルギーより空が明るい。こちらは陽ざしの合間に雨が少し。ベルギーでは逆なので新鮮だ。

そしてやはり料理が格別。もう70過ぎだが健康な義母が生牡蠣やらローストした牛肉やらグラタンやらともてなしてくれて毎日お腹いっぱいに。ここは牡蠣の養殖でも有名だ。食前酒には甘いデザートワインでフォアグラをいただいたり。ベルギーでも手には入るのだろうがフランスの食は豊かで彩りにあふれている。食前酒には義父が昔つくっていたピノー・デ・シャラント(Pineau des Charentes)もいただく。義父は農業を営んでいた。まわりは畑。食べる野菜も誰かが育てたもの。太陽とともに農作物が育つ肥沃な大地なのだ。いわゆる有名な伝統料理がないエリアらしいがシンプルな味付けで素材の良さがさらに引き立つ。最終日の鴨は皆の3倍くらい食べてしまった。貧血からも解放されそうだ。

生牡蠣久しぶりに食べた。ドライな白ワインとともに。パンにはバターをたっぷりとつけて。
これが最終日に食べた鴨。ジューシーでパサつきもなく。ごはんとサラダと野菜とともに永遠に食べられそう。
甘くて飲みやすいピノー。義父がつくっていうたものはもう残ってないそう。フランスでも農家の経営は大変だったようで今は穏やかな毎日。

家は海の近くなので水曜は歩いて15分で浜辺へ。途中で義両親も合流し磯遊びも。帰りに義父がコーヒーと子どもたちにほっとチョコレートを奢ってくれました。今までよく行っていたコーヒー屋が移転してしまったりとまだシーズンオフの町は閉まってるお店が多い。最後に唯一のスーパーで買い物。全て1,2ユーロベルギーより安いが荷物になるのでほんの少しだけ。

子ども達を撮る義父。
オムツは安かった!ビスケットはお土産か自宅で。歯ブラシも。Mixaは安くて肌に優しいスーパーで買えるコスメ。ベルギーでは売っていないので。。。ショッピングバッグも。

あっというまに帰る日に。義母は英語を多少話せるのでわたしの拙いフランス語と英語で色々話せたのがうれしい。子ども達はわたしより数倍も上手。流暢ではないがコミュニケーションが自然だ。義母が運転が好きだと帰りの車で話していて、いつかわたしも運転できるかなと希望がわいた。万年ペーパードライバーなのだ。帰りの電車でうまくスマホがチャージできなかったりwifiが使えなかったり。ブリュッセルから乗った電車はチャージも問題なく駅のwifiもすぐつなげた。利便性の面ではベルギーは住みやすい。でもフランスはやっぱりなんか良いんだ、人とか食とか利便性では測れないものが。


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