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社会の歯車から脱落することは悪いのか

一度きりの人生とよく言われる 人生は一度きりである 人生は一度しかない 苦しみの多い人生も40歳までやり通した あと40年程度、頑張らなくていいから、上手く立ち回って苦しみを低減させたい 思うに、あまり人生を丁寧に扱わなくていい どうせ死ぬ 死んだらハッピーになれる(といくつもの宗教が謳っている、それほど現世は厳しいのだろう) 人生は死ぬまでの暇つぶしにすぎない

脳梗塞(延髄梗塞)をやって、社会の歯車からは脱落したかもしれない これまで大企業でエリートサラリーマンをやっていて(想像を絶するほど病休・休職したが、それはASDかつADHDだからである)、いろいろな経験をし、ようやく自分の裁量で仕事ができるようになってきたと思っていただけに残念なところはある。しかしお金を貰えて休めるという立場に今はある。脳梗塞の後遺症でたまに死んだほうがマシなんじゃないかという状態に陥る以外は、非常に恵まれていると言える 歯車からは脱落してしまったが個として輝いている。

いや、輝いてなくてもいいと思う(輝いているかどうかは主観である)。いずれは死ぬし、人生に然程意味はないと思う。意味のない(あるいはステレオタイプよりずいぶん薄い)人生を過ごすにあたって、①まぁ自殺するのは大変だし生きるか②生きているだけで偉いし、どうせなら多少楽しむか③楽しみを得るために多少頑張るか、くらいの意気でいいのではないだろうか。

この世はロールプレイングゲームだと思って、まぁ勝手に電源を入れたれたからプレイするかくらいのノリで生きるのがちょうどいい気がする。

そう考えると、社会の歯車から脱落することは、ちょっと痛いかもしれないが、たいして悪くないように思う。

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