『僕だけのメリーゴーラウンド』幼かったあの日あの時、あの美しい夕暮れの時間に...詩画集message from spirits
白馬に乗った時の感動
それは 幼かったあの日あの時
きっと あの美しい夕暮れの時間にだけ味わう事ができたもの
あの日あの時 あの瞬間だったからこそ
全身で感じられた感動があったはず…
美しい夕暮れの景色の中
どうしても 僕が味わう事ができなかったものがあった
だからこそ
それを超える「僕だけのメリーゴーラウンド」を
これからも探し続けていくのです...🍀
noZomi
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20年ほど前に閉園となった横浜ドリームランド。
そこは幼い頃の僕に、いつも夢の世界を見せてくれた場所だった。
中でも煌びやかなメリーゴーラウンドの浪漫溢れる美しさは、格別だった。
今でも忘れられない風景がある。
ある夏の日、あれは僕がまだ幼稚園に通う前だっただろうか...
祖父母から突然連絡があったようで、どこに行くかも知らされないまま、僕も兄も急いで出掛ける準備をさせられた。
そして着いた先がドリームランドだった。
時刻はもう夕方近くだったようで、入園すると間も無く日が暮れ始めた。
その時間の園内は既に人もまばら…
そして徐々に青が濃くなっていく空と、灯がともり始めた園内。
それはそれは美しく、幻想的な空間が目の前に広がり始めた。
夏とはいえ、今とは違ってあの頃は夕方になると涼しい風が吹き、少し肌寒さも感じて、日中とは全く別の時空間にいざなわれるような感覚があった。
そんな僕の目に最も魅力的に映ったもの。
それは、夕暮れの風景の中でキラキラと光を散りばめながら廻るメリーゴーラウンド。
祖父母に、どれに乗りたいのかを尋ねられた時、もちろん真っ先に指さしたのがメリーゴーラウンド。
兄が馬の背に跨がるのが見えた。
僕も馬に乗りたいと言ったけれど、母親に手を引かれて4人乗りの馬車に乗せられてしまった。
そういえば、僕はいつでも馬車にしか乗せてもらえない。
本当は僕も、大地を優雅に駆けるように上下に動く白馬に、1人で颯爽と乗りたかった。
上手に乗りこなす自信もあったけれど、おそらくまだ僕の身長が基準に足りていなかったのだろう。
なので、いつも低い場所にある4人乗りの馬車にしか乗せてもらえなかったのだ。
その日も低い馬車の中から外を眺めるだけ。
その中で僕は一周する度に見える、柵の外で見守る祖父母をぼんやりと見ていた。
園内はとても空いていたので、メリーゴーラウンドに乗っているのは僕達だけ。
誰も乗せていないまま上下に動く白馬が、すぐそこにいる...。
遠い日の、もの寂しい記憶。
それ以降もいろんな遊園地へ連れて行ってもらえる機会はあったけれど、
混んでいたりしたせいなのか、一度も動く白馬に乗る機会がないまま時は過ぎていった。
そして高校生だったある日、友人と別の遊園地へ行った時、初めてメリーゴーラウンドの動く白馬に乗る事ができた。
やっと長年の夢が叶ったことが嬉しかったけれど、それは動き始める前までのこと...。
いざ廻り始めると、そこには何の喜びも感動も無かった。
とっくに大人の背丈になった僕が跨った白馬は、幼い頃に見ていたよりも遥かに小さく、
そこに乗っている事が申し訳ないような、恥ずかしいような...
その時は、そんな気持ちが押し寄せて来ただけだった。
きっと、白馬に乗った時の感動は、
幼かったあの日あの時、あの美しい夕暮れの時間にしか味わう事ができなかったのだろう。
あの日あの時、あの瞬間だったからこそ全身で感じられた感動があったはずなのだ。
この経験は僕に「今この瞬間」の大切さを教えてくれたと感じている。
もちろん幼かったあの頃は、やむを得ない理由で僕の夢が叶えられなかったのだろうが、
大人になれば、大抵の事は自分の気持ち一つで行動に移せる。
今この瞬間にやるかやらないかは、自分の気持ち一つなのだ。
大人になってから、僕が思い描く「白馬」
それは「やってみたい事」や「叶えたい夢」というものにとって代わったけれど、
あれからの僕は、その新たな白馬と出会ったならば、躊躇せず乗りに行く。
振り落とされて落馬をする事もあるけれど、それでもたった一度しかないその瞬間を味わいたいから。
無力だと思っていた小さな僕は、今の僕へとしっかりとバトンを繋いでくれていたのだ。
あの美しい夕暮れの景色の中で、僕が味わう事ができなかったものがある。
だからこそ、
それを超える「僕だけのメリーゴーラウンド」をこれからも探し続けていこう...🍀
noZomi hayakawa
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