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分不相応な指輪の話。

思い出話をしよう。

7つ8つ年上の、幼馴染のお兄さんと結婚することになった19歳の私は、もの知らずに育っていた。

婚約指輪をもらう段になり、近所に宝石職人さんがいるというので、「作ってもらおう」と夫に言われた際には、相場がどれくらいなのか、指輪とはどのようなデザインのものがあるのか、自分にはどんなものが似合うのかもわからないまま、義母と夫に連れられて、職人さんの作業場に向かった。

その日は、すでに義母が連絡を入れており、めぼしい石が見つかったからと、職人のSさんがニコニコとしていた。Sさんは私たちを迎えると、おもむろに包みから、作業机の上のマットに、ゴロリと大粒のダイアモンドを、数個転がした。

作業用のライトが、眩いばかりにダイアモンドを光らせた瞬間、私はびっくりしてたじろぐと、夫の後ろにあとずさり、隠れたのを覚えている。

「この中では、これが1番大きいかな」と、Sさんが出した石は、今までみたこともないほど大粒で、透明な光が目を射抜くように輝き、畏怖さえ覚えさせた。

「〇.〇カラット。これがランクも高く、何よりカットもいいからよく光る。石としてバランスがいい。どうですか?」

どうですかと言われても。

内心、私は逃げ出したい思いでいっぱいだった。夫を見ると、夫は嬉しそうだった。

「お金に糸目はつけません、1番いいのをください」

ドラマくらいでしか聞いたことのないセリフを、普段はっきりしない夫が、ズバッと言った。

「これで、〇〇。デパートに出れば、まあ三倍ってところです」

その言葉が何を指してるのか、やっぱり私は飲み込めていなかった。

ただただ、「もうやだ、帰りたい」「逃げたい」と思っていたけれど、指のサイズの計測や、デザインを決める作業が待っており、逃げることは叶わなかった。


そうして、数ヶ月後には出来上がり、婚約をすると、「いつもつけていてほしい」と夫がいうので、つけて暮らすことになったが、19歳の、まだ子供のような女性が身につけていても、分不相応だというのをよく理解していたので、とても苦痛だったのを覚えている。

例えばある晴れた日、電車の座席横に立って乗っていると、光がとても指輪を輝かせた。
その時、奥様方が「何あれ、ダイアモンド?」と口にしたのを、私は耳にした。

「あんな光りっこないわよ、ガラス玉でしょ」

別の誰かが、そう言ったのも、私は黙って聞いていた。

「見栄はっちゃって」

そんな言葉を聞きながら、とても居た堪れなかった。

そういう、「分不相応だ」という想いが、次第に私の心を蝕んでいった。

当時、高校を出た後就職したものの、モラハラ、セクハラなんでもありで、18歳だった私はストレスから「朝起きれない」「記憶できない」「勝手に意識が飛ぶ」などの症状がでていて、19歳になったその時も、多分精神の傷というか、歪みのようなものは治り切っていなかった。

夫の気持ちに応えようと背伸びしていた事実もあり、なんとも言えないストレスを、私は日々感じていた。状況が変わるというだけで、ストレスに感じる。まだ、本当に子供だったのだ。

その後、メンタル崩壊まで進んでしまうのだけれど、喜び事も大きすぎれば凶となる。当時の私の疲労感を、周りの誰も気づくことはなかった。親も夫も、兄弟も。

もしかしたら、マリッジブルーというものだったのかもしれないけれど、もしも結婚するという折は、お互いの意思と、お互いの「タイミング」というのは、意識されてほしい。

どんなことも、急がず騒がず、流されないように。


そんなお話でした。

では、また。

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