窮屈だけど自由だ
3日ぶりの出勤で、仕事が山盛りというか無法地帯になっていて、積んでるのか積んでないのかよくわからない山を少しずつ切り崩して、退勤した。
今日は久しぶりの大雨で、折り畳み傘では全然補いきれず、背負っているリュックもアウターも盛大に濡れた。
駅に着いて、傘の雫を払って、改札を通り抜けた後、「あぁ、つかれた」と口から溢れて、誰の耳にも拾われることもなく、雑踏に紛れて消えた。
安心している自分がいた。
帰って来たんだな、と。
誰も私のことなんて認識していないのがとても楽だった。
薄汚れていて段の幅が均一ではない階段を登りホームに立つと、いつもとなんら変わりの無い景色なんだけど、妙に可笑しかった。
数分後に到着を知らせる電光掲示板とか、電車のドア扉が来る位置のシールから規則正しく2列に伸びた行列とか、駅の売店がこの時間でまだ空いていることとか。
電車に乗り込んでからも、みんなスマホを見ている人もそうでない人も萎れかけの花みたいに首をもたげていて、それも可笑しく感じられた。
車内を見渡す私だけが顔を正面に向けていたので、なんだか透明人間になったような気持ちになったが、電車を降りる時に私の斜め前に立っていたサラリーマンが少しだけ避けてくれたので、透明人間ではないらしい。残念。
先週末に行っていた母の実家のある地域は、限界集落とまではいかないもののそれなりの田舎で、三方を山に囲まれ、家は田んぼに囲まれ、空が広く、雲が低く、水道水がミネラルウォーターよりも美味しい、そんな場所。
母の先祖は代々百姓をしていて、初代はその地域ですごく強い力士だったらしい。
初代からずっと同じ土地に住んでいるから、〇〇(地名)の〇〇(母の旧姓)さんと言えば、母の実家のことを指すのだ。
だから、家の周りを散歩したときにもし近所の人(と言っても全然近所じゃない)にすれ違おうものなら、絶対に話しかけられるし、「〇〇(地名)の〇〇(母の旧姓のフルネーム)の娘で、東京から遊びに来ました」と言わなければならない。
そうしろと言われたわけではないが、周りの大人たちがそうしているので、そうしている。
これは散歩に限られた話ではなく、スーパーに行くにしても、薬局に行くにも、外食するにも、そういうことは付き纏っていて、どこに誰の知り合いがいてもおかしくないので、私にはそれがとても恐ろしかった。
ここは広大だけれど窮屈で、東京は窮屈だけど自由なのだ。
住んでしまえば慣れるのかもしれないけれど、血を引いていようが、この先何年住もうが、よそ者はよそ者のままなのだ。
その地で生まれて、その地で生きていなければ、その土地の人間にはなれない。
その地で生まれても、一度その地から離れてしまえば、それはもうよそ者なのだ。私にはさっぱり理解できないが、なんだかすごい話だ。
私はネット上で実名で私生活をこうして書いているけれども、田舎で生きるってそんなことよりもよっぽど大っぴらにしなければ生きていけないことが、上手く飲み込めないというか、噛みきれないところだなと思う。
母の実家だからそう思うのかもしれないし、別の土地なら豪に従えるのかもしれないし、それはまだ都会にしか住んだことのない私にはわからないことだ。