タイミングと、同量の想い
台湾で大きな地震があったと知って、慌てて友人に連絡したら、「生きてるよ」と、いつも通りのぶっきらぼうな返信が来たので、安心した。
無事でよかった。本当に。
ついでにトーク履歴を遡ったら、前回連絡したのが10月末だったので、結構久しぶりの連絡になってしまった。
台湾に住む彼女との連絡手段は、文通もしくはInstagramのDMだけ。
Instagram経由で連絡するのは彼女だけなので、彼女と連絡するためだけに、大学を卒業して以降全く更新していないInstagramのアカウントを削除できずにいる。
でも、急いで連絡するようなこともないので、1年に1往復する程度の文通くらいがちょうどいいなと思う。
以前手紙が送られてきた時に、愛犬の絵をトートバックにプリントして添えられていた。とてもかわいい。
彼女(以下、Dと記す)の存在を知ったのは、大学生のとき。
1年生の選択実技で油絵を取ったとき、私と同様にいままで油絵を描いたことが無かったという中国人の女の子話すようになった。
学内の画材店の前を歩いていたら、その中国人の女の子を見つけて、何気なく話しかけたときに居合わせたのがDだった。
基本的には日本語で会話していたが、時々、彼女たちの間で交わされる異国語での会話に疎外感を感じてしまって、その後2人とも仲良くなることもなく、顔見知りのまま時は過ぎていった。
3年の夏休みに、7泊8日の古美術研究旅行(以下、こびけんと記す)に参加した。
彼女たちも参加していたが、顔見知り程度だったので、はじめのうちは、特に会話することもなかった。
3泊目の宿で4人部屋になり、偶然Dと同室になった。
Dとは、本当に何気ない会話をした。
そのとき、テレビで『アントマン』が放送されていたので、私たちは横並びになり、仰向けの姿勢で脚を垂直にして壁にもたれさせて、Dによる映画の解説を聞いていた。
その後の3泊もずっと同室で、宿で過ごす間は一緒に行動することも多かった。
ある日の移動中に「いつも友達と話すときにニコニコしてるから、中嶋さんと仲良くなりたかった」と言ってくれた。
とても嬉しかった。
こびけんから帰ってきて、夏休みが明けたが、3年の後期も、Dとは実技授業が全く被らず、すれ違うこともなく過ぎていった。
4年の前期の実技授業で初めて同じクラスになった。
そのうえ、グループワークで同じチームになり、授業終わりなどで一緒に過ごしているうちにとても意気投合して、お互いのゼミの講評にもちゃっかり参加したり、卒業後も家に遊びに行くほどの仲になれたのだ。
仲良くなれそうなタイミングは、1年のときも、こびけんのときもあったけれど、友人と呼べるようになったのは4年のときだ。
とはいえ、1年での出来事と、こびけんでの出来事は必要な事で、どちらかが欠けていれば、4年で同じクラスになっても友人にはなれなかったと思う。
本当に、どんな間柄であっても、タイミングと、お互いに同量の想いがないと、人間関係上手くいかないなと思う。