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『ジョージア人にとってワインは、人生そのもの』ジョン・ワーデマン氏ジョージアワインレクチャーレポート(2019年10月国際文化会館)

2019年秋、ジョージアからワイン生産者ジョン・ワーデマン、ジョン・オクロ、ショータ・ラガジの3人が来日しました。彼らがクヴェヴリ(甕)で造る琥珀色のアンバーワインは、いま最も注目を集める世界最古にして自然なワインです。来日にあたっては、ワイン業界関係者やメディア向けに、3人を代表してジョン・ワーデマン氏がレクチャーを実施。ジョージアのワイン造りとその背景にある文化について語られました。

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ジョン・ワーデマン John Wurdeman
アメリカ・ニューメキシコ州生まれ。15歳の頃にジョージアのポリフォニー(多声音楽)に惹かれ、モスクワで絵画を学んでいた20歳のときにジョージアを訪問。その後ジョージア人との結婚を機にカヘティ地方シグナギに定住。10年間、画家として活動していたあるとき、クヴェヴリワイン造りの伝統を守る情熱に心を動かされ、ワイン造りの道へ。「フェザンツ・ティアーズ」を設立し、417品種を混植混醸する「ポリフォニー」などのワインを醸造。アメリカ出身の立場を活かし、クヴェヴリワインを国際市場へアピールし、ジョージアのクヴェヴリワインを世界に広めた立役者としても知られる。

講演には、ジョン・ワーデマン氏の親しい友人で世界的なジョージア研究者として知られる東京都立大学の前田弘毅教授が駆けつけ、通訳と補足解説を行いました。
講演内容は会員制の情報誌・新潮社フォーサイトでも読むことが出来ます。
https://www.fsight.jp/articles/-/46166

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*ジョン・ワーデマン氏のレクチャー(通訳:東京都立大学・前田弘毅教授)を
掲載用に整文しています。

ワイン発祥の地・ジョージア

ジョージアは世界的に歴史のある文明発祥の地です。その証拠にアフリカ以外でみられる人類の祖としてドマニシ原人の遺跡が発掘されています。それくらい古い土地であることは、農業にも影響しています。
人類が古くから住んでいるジョージアでは、ヴィティス・ヴィニフェラというブドウの種が紀元前6000〜7000年(今から8000〜9000年前)の遺跡から出土しています。ヴィティス・ヴィニフェラは、地上に広がる99%のブドウの祖あるいは族であるとされているものです。すなわちブドウが野生としてではなく、すでに栽培が始まっていた1つの印。ワインというと、どうしても西洋文明から発していると思われがちですが、実際にはローマやギリシャへ伝えられる数千年前にジョージアで発祥し、ペルシャやシリア、エジプトといった中近東の国でブドウが栽培され、ヨーロッパに伝わりました。

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PHOTOGRAPH BY MINDIA JALABADZE AND COURTESY NATIONAL MUSEUM OF GEORGIA

こちらは、紀元前6000年頃に使用されていたとして、ジョージアで発掘されたクヴェヴリ(ワインを醸造する甕。土に埋めた状態で使用する)です。すでに現在と同じ形をしています。開口部にはブドウの房の装飾があります。この中から、酒石酸というワインを醸造するときに出る有機化合物が発見されたため、当時からワインを造っていたことは間違いありません。

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右は、ジョージア南西部のサムツヘ・シャヴァへティにある約400年前から現存している酒槽です。この中でブドウを踏み、傾斜を利用して果汁が地面に落ちるようになっています。左は、非常に古くから残ってるブドウ畑です。
この場所はヴァルジアという洞窟修道院が近くにあり、洞窟が多い地域。人々も洞窟の中に住んでいます。おもしろいのはブドウを醸造するワイナリー(マラニ)が、自分の住んでいる洞窟よりも大きかったりすることがあるんです。それくらいマラニが大切だということになります。

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同じサムツヘ・ジャヴァへティという地域で村の人は低地に住んでいて、建物はワインを醸造するためだけに建てられています。いうなれば、ワインのための集落です。マラニの地面にクヴェヴリが埋まっています。

再興したクヴェヴリワイン造り

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これはクヴェヴリが造られている最中の写真です。造っているのは、ジョージア西部のイメレティに住むザリコ・ボジャゼさん。日本でいう人間国宝にあたるような有名なクヴェヴリ職人です。クヴェヴリは粘土を棒状に練って積み上げるようにして造っていくのですが、彼は1日10cm以上は上のせしません。つまり、いくつかのクヴェヴリを同時並行で造っているのですが、毎日10cmずつのせて、丁寧に乾かしてまた翌日作業します。その結果、大きなものだと2000ℓくらいのものに仕上がります。

ザリコさん自身が15年くらい前、インタビューで語っていたことですが、「自分が最後の職人になるかもしれない」と。当時は、クヴェヴリを造れる人がもう何人も残っていなかったんです。ところが13、4年くらい前(2005、2006年頃)、私を始めクヴェヴリワインを造り始める人たちが現れ、その結果、ルネッサンスーー再興を果たしました。現在、ザリコさんのクヴェヴリは何年も待たないと手に入らない状態になるくらい、ヨーロッパでも日本でも求められています。それくらいクヴェヴリは、世界の醸造家にとって素晴らしいものなのです。

クヴェヴリもワインと同じようにプロセスがあります。クヴェヴリを造る時期は暑すぎても寒すぎてもダメ。そのため、夏本番までに完成させます。寒い時期がダメなのは、クヴェヴリは十分に乾燥をさせなければならないため。気温が下がると乾燥できず水分が残ってしまうからです。

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乾燥が終わると窯に入れますが、1000℃に耐えられないようではダメなので、それ以上の温度で焼成します。その後、最後のプロセスとして1週間から10日ほど温めて、ミツロウを塗る作業があります。クヴェヴリの内側に塗るというと、ミツロウの層を造るのだと思われていますが、そうではなくミツロウをクヴェヴリの中に塗りこむのです。そうすることで、クヴェヴリの内側にバクテリアが入らないようにします。ワインを醸造中、一番怖いのはクヴェヴリの層の中にバクテリアが入り込むこと。そのため、内側から防ぐ考え方をします。そうして、完成した秋には新しいブドウを入れてワインを造ります。

西ジョージア・イメレティの造り手のアルチル・グニアヴァが手にしているのがワインを瓶詰めした後、掃除するときに使う道具です。実は、土地に生えた木を利用して作られています。クヴェヴリを掃除する道具は地域ごとでさまざま。いずれにしろ、大きなクヴェヴリの中に入って、一生懸命、人力でこすって掃除するので、終わる頃には木の芯しか残りません。

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これは、クヴェヴリワインづくり真っ最中、発酵している様子です。白ワインだからといって、ブドウの果汁だけを入れるのではなく、房ごと入れています。発酵が進むと果皮が上がってがってくるので、この一次発酵中は、1日何度かかき混ぜる、かなりの重労働です。やがて1週間から2週間経って発酵が終わると、果皮も沈んでいきます。

こうして、房ごと仕込むことで、オレンジや琥珀色がついて、タンニンや香りも出てきます。そういうものが熟成されてできるのが、まさにジョージアワインの秘訣。原料は白ブドウのみ、白ブドウと黒ブドウ、黒ブドウのみ、それは生産者によって異なりますが、ともかく房ごと仕込むのが特徴であり、重要です。

最後は、底に沈んだブドウの搾りかすが残りますが、これを利用して蒸留酒(かす取りブランデー)「チャチャ」を造ります。ジョージアでは、蒸留酒の原料となる搾りかすのことも「チャチャ」と呼び、この搾りかすを「ワインの母」と呼んでいます。つまり、それくらい果皮はワインにとって重要であることを表しているのです。

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クヴェヴリワイン造りのルネッサンスが起きて、十数年経ったいま、次々に新しい世代が出てきています。彼女はマリアムといいますが、銀行員の職を投げ打って田舎に帰って先祖の土地でクヴェヴリワイン造りを始めました。そういったことが珍しいことでなく受け継がれているのが、私の誇りとするところです。彼女を取り上げたのは、もう1つ理由があります。それは、彼女がニュージェネレーションを象徴する存在だからです。ジョージアは伝統社会で、かつてワイン造りは男性の仕事であると言われてきました。21世紀のこの時代、ヨーロッパでは女性にもたくさんいい造り手がいる、それをみんなよく知っているんです。タブーは敗れ去って、ジョージアにも女性の素晴らしい造り手が出てきている。その未来はとても明るいんじゃないかと思います。

ラチャ=レチュフミというジョージアの山岳地帯があります。緑のなかに湖が多く点在し、とても風光明媚な透明な場所です。ジョージアの中でも最も美しいといわれる土地の1つでしょう。そのラチャのマラニでクヴェヴリからオルモシという道具でワインがすくい上げられています。このときに使う容器、実はかぼちゃで作られています。かぼちゃをくりぬいて乾かして棒をつけたとても原始的な道具でワインがすくい上げられているのです。

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西ジョージア・イメレティには、世界遺産にもなっているゲラティ大聖堂という建物があります。ここからは、12世紀のクヴェヴリの遺跡が発掘されています。私の住むカヘティ地方にもイカルト修道院というのがあって、そこにも遺跡が残っています。なぜ、キリスト教施設にクヴェヴリがあったかというと、ーー当時800年前はジョージア王国の最盛期に当たりますが、若い人はキリスト教を勉強するだけでなく、ワインを造るための勉強もしていたんです。キリスト教ですから、ワインというのはキリストの血として重要視されるべきもの。皆、アカデミーとしての教会で学び、“ゲラティ大学”や“イカルト大学”のワイン学会に入学していたんです。

古いマラニをきれいにしたところに聖職者の方が写っていますね。これはアラヴェルディ聖堂というイカルト修道院の近くにあるカヘティ地方で最も権威のある教会です。そこでもワイン造りが復活していて、非常に有名な教会ワインとして知られています。

宴会文化には欠かせないクヴェヴリワイン

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「タマダ」というのは、宴会の主導者を表します。ジョージアの宴会は、人と人との交感の場として最も重要な儀式に当たります。こちらは6〜8cm小さなものですが紀元前から3000年前から、カンツィという角杯を持って収穫を祝っているような宴会であることから、「最初のタマダ」と俗に呼ばれています。

宴会では、まずタマダを選び、数分に1回、乾杯の口上を述べて音頭を取っていきます。それをうまくやれるかどうかでタマダの力量が試されます。タマダは数種類のワインの入れ物をたくさん用意して、どれで飲むかを決めたり、一気に飲んで、また注いで一気に飲むということをやっています。ちなみに、乾杯をジョージアで「ボロムデ」と言うことがありますがこれは「最後まで飲め」という意味。非常に男らしさが要求され、ジョージアの宴会の厳しさを感じるでしょう。ただし、絶対に酔っ払ってはいけません。それはもてなした側に失礼にあたります。最後まで理性を失わず、きちんと自分の口上を述べながら、できる限りたくさん飲むのが決まりなのです。

ジョージアの宴というのはおいしい料理とワインを味わうことはもちろんですが、一番大事なのは宴を共にする時間で、お互いをよく知り合うことです。例えばタマダが「平和について乾杯しよう。ジョージアではかつて戦争があった。だからこそ我々は平和について乾杯しなきゃいけないんだ」と述べると、横から「自分も乾杯します」と言って自分の思いを一言述べます。そういうところで、家族の話が出てくることもあるでしょう。宴会の終わりには、昔からお互いをよく知ってるような関係になれます。不思議なワインの飲み方ですが、これこそジョージアが誇る世界遺産なのです。


例えば私の出身地のアメリカでは生涯の友達といえども、案外家族のことを知らなかったりします。一方、ジョージアでは1つ宴をともにすれば、どんな先祖がいて、お母さんがどんな人かまで語り合える。非常に親しくなるんです。


これはフェザンツ・ティアーズのレストランの中ですが、この中にもタマダがいます。乾杯の音頭について実際に音頭を依頼して図って、「次はこれにしよう」と相談しています。タマダというのは決して独裁的なものではなくて、提案する役割を持っているのです。

ジョージアワインというのはある意味、清浄感溢れるものだと思います。ワインというのが単なる飲み物ではなく、宴を通して神を讃えたり、お互いの家族のことを知る術になるのです。人を心地よく酔わせて、宴会をすばらしい物にする。それがワインにかかっている。そういう意味で、ワインというのは非常に重要なものであるということです。

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左側はカタルーニャの有名な醸造家で、右側はルアルサブ・トゴニゼという最も有名なタマダの一人です(本当に重要でいいタマダは名が知れ渡ります)。頭が5つくらいついてる羊をかたどったキリという酒器でワインを飲んでいます。これだけで1キロくらいワインが入ります。ジョージアでは、これを一気飲みするわけです。皆さん、驚かれますけど、本当にやります(笑)。このときも、もちろん酩酊しては恥なんです。飲めないなら「飲めません」と言えばいいだけなんですけど、飲めるんだったらどうぞということです。

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ワインと並んでジョージアの無形文化遺産になっているのが、ポリフォニーです。3人で別々の節を歌って、1つの曲になる多声音楽です。これも宴会で披露されます。ワインと宴会、これはジョージアにはなくてはならないものです。

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始めにも出てきた、西ジョージア・イメレティの有名な造り手です。一緒にいるのは、ご両親と奥さんとお子さんと姉妹、家族の皆さん。ジョージアではワイン造りは家族が一体となって行うもので、それも重要なことです。ジョージアは食卓の豊かな国でもあります。新鮮なトマトやきゅうりを使ったサラダ、チーズ、いろいろな肉を使ったグリル料理や熟成料理、ハチャプリというチーズパン・・・・・・、こうしたすべての料理に合うようにできているのが、ジョージアワインのユニークなところです。

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ジョージアではお客というのは神が遣わしてくれた人たちであると信じられていて、可能な限りそれ以上にもてなそうと、食べきれない量の皿を並べます。ジョージアの宴会は、「皿の上に皿を重ねる」という言い方をしますが、それがもてなし文化の一例です。

食卓にもジョージアワインの秘密があると言えます。オレンジ色のワインをジョージア人はなぜ好むのかというと、さまざまな食事に合うからです。野菜を食べてそのあと肉の塊を焼いた串刺しを同じワインで飲むのは決して珍しいことではありません。ヨーロッパでは、白ワインから赤ワインへそれぞれ別々に食事ごとにいただきますが、そういうことをしなくてもオレンジワインを家族で造って出せば、野菜から強い肉の料理まで1つのワインで対応でき、それをみんなで食べることができます。

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こうした食卓や宴会では、ワインが主役ではなくワインを通して宴会を盛り上げることが重要なのです。ジョージアはアンバーワインを世界で最も好む国民という背景には、こうしたさまざまな理由があります。単に味がいいというのではないのです。

例えば、メキシコ料理、韓国料理、ベトナム料理、ペルシャ料理、レバノン料理、いずれもさまざまな味の食材が1つの食卓に並ぶ食文化があります。ベトナム料理であれば、ライムを絞ったような酸っぱい料理や唐辛子の効いた料理まで幅が広い風味を持ちます。そうした料理にも、アンバーワインというのは対応できる、そこが非常に良くできているところです。

日本料理にも、わさび、みそ、刺身などいろいろな味付けや風味があるでしょう。とてもレンジの広い料理だと思います。レンジの広い料理に対して1種類で合わせようとしたら、こういうジョージアのアンバーワインしかないんじゃないかと思います。ですからジョージアワインは、本物の食中酒なのです。

ワインはジョージアの生活になくてはならないもの

ジョージアでワインがどれだけ身近なものかというお話をしましょう。あるときイタリアのインポーターと一緒にシグナギの街を散策していたときのことです。地元の年配の方が突然「僕の家のワインを飲んでみてくれ」と、私たちに声をかけてきました。彼は醸造家ではありません。自家製ワインを外国人に飲ませたいと思って呼び止めたのです。そういうことは珍しいことではなく、しょっちゅうあります。地方ではワインを造らない人はいないと思って良いほど。東京では、なかなかこんなことはないでしょう? それくらいワインが日常にあるということです。

ジョージアでは、どこの家庭でもパンが小麦から練って作られますし、野菜も畑から採ってきたものです。場合によっては肉も用意できる人が村で何人もいます。相当なレベルの食事を自分の家で用意できるのです。食文化が非常に豊かで、幸いにも残ってきました。自給自足の農村文化がその背景にあるのです。フランスやイタリアだと、ワインは高尚というイメージもあるかと思います。一方で、ジョージアでワインというのは、人生そのもの。家族の生活の中心にあって、ワインなくては何も始まらない。それを自分たちで造るのがジョージア流なのです。

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ジョージアとワインについて語るには、90分じゃ足りませんね。宗教の話は短くしかできませんが、まず重要なのは、ジョージアではキリスト教以前の信仰では、ワインというのは、母なる大地から生まれます。大地を母になぞらえ、天空を父になぞらえ、天空の太陽を浴びて育ったブドウがクヴェヴリという地中に埋めた甕の中で熟成されてできたものです。ワインというのは、天空と大地の子というふうに考えられています。それくらい大切なものです。

その後、キリスト教文化が入ってくると、ブドウが十字架になりました。実際に、ブドウの枝でつくられた「聖ニノの十字架」というのが教会にあります。これは、ジョージア人が改宗するときにもたらされた十字架とされ、聖母マリアから授かった神聖なものです。つまり、宗教もブドウがシンボルとなってくるということです。

ソ連時代は、大切なクヴェヴリも建設用のものを入れる物置代わりに使われていましたが、今や元に戻ってきています。

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ジョージアの遺跡に行かれるとワインのクヴェヴリの遺構があります。これはダヴィド・ガレジという10、11世紀ごろの教会遺跡です。洞窟修道院で、岩をくりぬいて椅子になっています。神父たち聖職者たちは皆そこに座って食事をとるんです。こちらは12世紀ごろ造られたイカルトワインアカデミーがあったところ。ワイン造りの遺構が残っています。ジョージアに来られたら目立つ場所に立ってますので、ぜひ行ってみてください。教会装飾もブドウの葉や房などブドウをかたどったものが多いですね。いろいろなところにブドウが存在しています。

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非常に大きなテーマなんですが、歴史というものが重要になってきます。ジョージアは北海道くらいの面積の国ではありますけど、東西非常にさまざまな地域に分かれています。東ジョージアのカヘティ地方は、私とジョン・オクロが暮らす街です。カヘティは非常に平らな場所ですが、1箇所だけ丘になっているところがあります。ここはアゼルバイジャンに面していて、いわゆる遊牧民の侵入が激しかったところ。毎年のように戦争して、シグナギに逃げ込んで戦いが行われてきました。彼らが家族を形成したり、宴の伝統を重要視してきたことは、絶えない戦争を抜きには語れない話なのです。

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525種類。ーージョージアには固有のブドウ品種がこれだけあります。1ヘクタールあたりでいうと世界一だと思います。それからジョージアワインで覚えて欲しいモーメントとしては、フランス人とジョージア人の醸造家が意見を交換し合っていることです。二人はフランスの有名な醸造家とジョージア・カルトリ地方のイアゴ・ビタリシュビリです。お互いアイデアをたくさん交換しあって、ジョージアでペット・ナット(一次発酵のみのナチュラルなスパークリングワイン)を造ったり、フランスの醸造家がクヴェヴリをフランスに持って帰ってワイン造りをしています。こういうところにも注目してほしいと思います。

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ジョージアは神から授かったテロワールです。ありがとうございました。

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左からジョン・オクロ、ジョン・ワーデマン、ショータ・ラガジ。写真をお願いすると、自然に肩を組む3人。連日のハードスケジュールにも関わらず、柔らかな笑顔を向けてくれました。
メガネのジョン・オクロは、イギリスの大学で物理学の博士号を修得し、ワイン造りのほか、IT企業の経営もしています。別の会場でクヴェヴリの効果について尋ねると、とても論理的に説明してくれました。背の高いショータ・ラガジは20代の若手醸造家。観光の仕事をしていたものの、クヴェヴリワインに感動してワインを造り始めました。天才肌の醸造家として期待の星ですが、素朴でやさしい雰囲気を持っています。3人とも素晴らしいワインの造り手です。
ジョン・ワーデマンの講演の後、2人も一言ずつ挨拶していましたが、初来日の日本に対して、古い伝統文化が残っていることにとても敬意を抱いていました。伝統を守っている彼ららしい着眼点でした。

レクチャーを聞いて
90分に渡るレクチャーでジョン・ワーデマン氏は、ジョージアワインのみならず、その背景にある宴会文化や人との繋がり、歴史、宗教について話してくれました。ジョージアワインはその背景を抜きにしては語れないし、成り立たない、それを踏まえて、「ワインは人生そのもの」だからです。
特に宴会文化とは切っても切り離せず、自家製ワインを手料理と振る舞い、人間関係を深めていく、その様子全体がジョージア人の暮らしを物語っているように思いました。
北海道でワイン造りをしているKONDOヴィンヤードの近藤良介さんが、クヴェヴリワイン造りを学びに、ジョージアワインの収穫・仕込み時期にあたる9月に訪れたときも、「本当はそれどころではないだろうに自分のために宴会を開いてくれた」とおっしゃっていました。ジョージアワインを輸入するノンナアンドシディの岡崎玲子さんも「ジョージア人の生産者は、『連絡を取ると、今度いつ帰ってきてくれるの?』といつも言ってくれる」と、と聞かせてくれました。
ワインはジョージアで8000年前に発祥して、産業としては一時歴史を絶たれていたかもしれませんが、密かに自家製で守られてきたのはこの宴会文化、そして人々の心持ちによるところが大きいのだと思います。その媒介となるのがワイン。ワインは何も高級レストランや格付けによるものではなく、人と人とを繋ぐ平和の飲み物。その願いがあることを忘れずにいただきたいものです。

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来日したジョージアの生産者とそれをサポートしたノンナアンドシディの岡崎玲子さん、満里さん、前田教授、萩野浩之さん

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