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火しぶき
稲妻しぶき
癩面を渡り
夕暮れの赤茶けたぬめりを嗅ぎまわる
金色の霧が立ちこめる森林で
悴む獣や裂けた巌は
息絶えた虫の細かな鱗粉を身につける

夜気は鬼の相貌で崖をくだってくる
石の怒声を溜めたみずたまりに
ゆうるるんぐう
春の肝を食わせてやりたい
背なかの足りない銃声
痩せた母熊からあがる血煙が
まだ小熊を守っている

なぜ夜露にしてでも帰してくれなかったのか
松から松へ移動し山中で蛇を溶かす
妣たちは撚り合わされたから
もう枝をはらい終えた木々に訊いても
濁りのない川しか憶えていない
虹色がかる蛇皮でとらえた花筏にまぎれる
刀を置いた集落と山脈を両膝で囲む
重力に近い山麓の人々は
どうしたって足で歩き手で触れようとする
見つけなければ咲いたエビネも
撫でているまるいおでこの子の
いつか夢枕に立つ
族それぞれ棺桶まで持ってゆくことが
皺しわの片手をこえる

分解されてなお土になれないで
世界を枯らしてゆく者
きみをなんと呼ぶ
両極を向く記憶の首がすげ替えられ
木立の香を焚きしめ雲海は体内にひろがる
呼吸しにゆかなければ
生きることに追いつけない

初夏へ急ぐ霧雨のベランダで放尿する
たらたらとあしうらまであたたかく
臭気は古い檸檬のように
忘れなければもう一度落ちあえた縁側だ
冷えてきた丘のうえの駅舎も町も眠り
わたしのまわりにはいつも墓地ができて

眩しい緑に吹かれる尾根から
祖先は長い口吻を巻いて羽ばたいてくる
まなざしを拭き取ることなく

目覚めた鳥は
もうことばの通じない月と
距離を分けあって飛ぶ
散りゆく花の声も届かない畳で起き
木桶に張る薄汚れた雨水で
生やしてきた角を洗う
これは蚕の目を眇めた時
こっちは大イチョウの目を薄くひらいた時
景は浅くなり鼓膜が飢えてふるえる
突き出た鬼哭をさすれば膚にも水皺は寄り
わずかにはやまる心音を濡らす
水も吸えずに朝だけが逝ってしまった
桑の葉のお茶を淹れて
傷だらけの門を青嵐に変えてゆく

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