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【『手帖』と手“帳”(22)】(美術鑑賞の日々を小説風に綴る月刊誌『平岡手帖』クラウドファンディング 22日目)

昨日は早く出て羽村駅へ向かう。待ち合わせ時刻の10時15分前に着く電車に乗ったのは、(一応)企画側だからぎりぎりの、次の9時58分着ではまずいだろうと思ったからで、改札を出ると山岡さ希子さんが、参加者のセキさんとムラヤマさんと話している(名刺代わりとして、見本の『一月号』をお渡しする)、夜行バスで東京まで来た石田高大さんは、とっくに近くの喫茶店で一服していたらしく、北山聖子さんと一緒に会話の輪に混ざる。すぐに、山﨑千尋さんと、その他の参加者さん ― フクシマさん、ナガテさん、トリモトさん、フナノカワさん、フジモトさん、シミズさん ― も到着して、リー智子さんに連れられ、まずは【まいまいず井戸】に向かう。何の話をしているかというと、『玉川上水46億年を歩く× DPPT 「取水口付近でパフォーマンスをする」』というイベントのことだ。

すり鉢状に掘り下げられた大地、その一番下には井戸があって、間近に座ったシミズさんが、「水まだありますよ」とムラヤマさんに答えている。私たちは、“まいまい”という名前の通りカタツムリの殻のように渦巻いた道に一列になって、リーさんの、「いつ頃できたと思います?」という突然のクイズに考えこむ、山岡さんが真っ先に「鎌倉時代!」と答えて当てる。

そこから、玉川上水の取水口のところまで大体15分ほどだったろうか。途中には【馬の水飲み場跡】があって、落ち葉の浮かんだ水たまりをみんなでのぞき込んだりゆるゆると向かっているとふいにたどり着いて、緑陰を突っ切るように上水が、意外なほど勢いよく流れている。階段を降りると取水堰があって、おおざっぱに言えばここで川は二股になっている。右手の玉川上水は道路沿いを(比較的)細く流れており、左手を見おろすと流域こそ広いが浅瀬らしい、男の人が堰の近くを歩いていて、注意のアナウンスが鳴る。

「(パフォーマンスの時)あそこまでは入ってほしくない」と山岡さんが言ったように、この日はパフォーマンスもあって、企画側からは山岡さん、北山さん、石田さんが、参加者側からはフクシマさん、フジモトさん、シミズさんの計6名がパフォーマー、後の7人は記録、撮影、観客…役だ。
ここまでで11時を少し回ったところだったが、早速、各自散会してロケハンの後、そこからシームレスに14時までパフォーマンスの時間だ。だから見る側はどこに誰がいるのかわからない。封鎖中の階段を迂回して、川岸まで降りる。山岡さん、フクシマさん、セキさんはその先、ゴロゴロと石が頭を出した妙に歩きにくいコンクリートの“船着き場”めいたその突端に立っていて、セキさんとフクシマさんは足を水に浸している。山岡さんは時間中、大体ここでパフォーマンスを続けていて、まずは持参したと思しき、10個の石をひとつずつ、時間をかけて投げている。
その頃にはフクシマさんも少し離れた草むらに移動して、そこから1時間ほど、黄色い蝶とダンスをしていた。靴を脱いだその裸足が、目の前の蝶だけでなく、足下の地面とも戯れるようで、なんだか幻想的だ。
そのすぐ脇では石田さんが体育座りをしていて、最初はずっと休憩しているのかと思っていた…が、近づいてみると傍に写真立てがあって、「大事な決断をするとき ここに来たくなる」と書かれたドローイングが入っている。川を目の前に、左手に橋を臨む草むらという立地が、まさしくこの場で描いたようだ(が、「地元の(富山の)川です」と、後で教えてもらった)。

そう、石田さんの左手には羽村堰下橋がかかっていて、“ロケハン”が始まってすぐ、その長い橋をシミズさんが渡り切って、対岸を右折したその背中を目で追っていたのは、“記録係”として各パフォーマーの動向を知っておきたかったからだが、結局、2時間半ほど経って、再び橋を渡り戻ってきたのを目撃するまで、シミズさんがどこに行っていたのか、私も、“撮影班”の山﨑さんも、写真家のムラヤマさんも把握していなかった(どうやら、向こうに臨む山まで行っていたらしいけれど…)。しかし、というか、だからというべきなのか、山﨑さんとはしばしば「シミズさん見かけた?」と言い合っていたし、頭の中で「どこかな…」と考えたりもしていて、それはちょうど昨日のコラムにも書いたように、『青い鳥』で”おばあさんチル”が、孫のチルチルに向かって、「わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、いつでもわたしたちは目がさめて、お前たちに会うことができるのだよ。」(新潮文庫, p.64)とも通ずる気がする。デュレーショナルパフォーマンスとは、ざっくり言えば長時間の(故に身体的、精神的負荷も高い)パフォーマンスのことだけれど、だからこそ大抵は見切れない。その時、チルチル・ミチルが“おじいさんチル”、“おばあさんチル”を思い出したように(だから、“おばあさんチル”曰く、この前の万聖節にはふたりと“会えた”らしい)、自分がいない間にも進行しているはずのパフォーマンス、その様子を想像してみることが、ひとつの面白がり方かもしれない。

今日は引き続きDPPTの打ち合わせ(兼、食事会)だから、当然昨日のことも、みんなで話し合うことになるだろう。(“玉川上水篇②”として続く…)

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【クラウドファンディングはじまります!】

本日から『平岡手帖』定期購読者を募る
クラウドファンディングを開催いたします!

詳細は「平岡手帖」アカウントプロフィールに記載のURLからご確認ください
@hiraokatecho

○『平岡手帖』
○場所:CAMPFIRE
○クラウドファンディング期間:2024年4月1日〜4月30日(予定)
○目標金額:170万円(定期購読者300人)
○企画:平岡手帖制作委員会、ハンマー出版、額縁工房片隅

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『平岡手帖』について。

1年のうち300日以上を美術に出会うために歩き回っている平岡希望さん。ここ数年は、毎年600カ所以上の展覧会に足を運び、その空間とそこにある作品1つ1つを熱心に鑑賞している。その動向はSNSでなんとなく目にしていた。最近では、かなり長い文章で美術との出会いを克明に記している。しかし、平岡さんの全貌は謎に包まれている。日々どんな生活をしていて、どんなふうに動いて、なにを考えているのか。そして、その美術への熱量はどこからくるのか。僕はずっと気になっていた。美術と出会うために、全てを注ぎ込んでいるような人。そんな人が、1人くらいこの世の中にいてもいんじゃないか。いや、いてもらいたい。そして、そんな生き方を応援したい。そんな思いを数人と話しているなかで、平岡さんの手帖を公開して、日々の美術との出会いを記録発信していく『平岡手帖』という企画は面白いんじゃないかという話になった。平岡さんに話してみると、ぜひやってみましょう、という事になった。展覧会とは、オーロラのようなものだ。その時その場所に行かないと出会えない。そして、その一瞬の会期が終わると風に吹かれた塵のように消え去ってしまう。そんな儚い展覧会というもののアーカイブとして、この「平岡手帖」が、もし5年、10年、続く事ができたならば、未来において日本の美術シーンを語るうえでの重要な資料になるのではないかと夢想する。そして、美術に出会うために自らの全てを注ぎ、歩き回っている1人の人間のドキュメンタリー・ノンフィクション小説として読むことも出来るだろう。平岡さんの1ヶ月を1冊の小説のような形にまとめて、それが1年間12冊、毎月送られてくる。今回のクラウドファンディングでは、そんな『平岡手帖』の定期購読をしてくれる人を募りたい。

この「平岡手帖」を定期購読するという事は、少し大げさかもしれないが、美術という1つ1つの小さな出来事を、1人の存在を通して美術史に小さく書き残していく、そんな事への協力になる。ぜひ、多くの方に平岡さんのそんな生き方を応援してもらいたい。

きっと今日も平岡さんは美術に出会うため歩き回っている。こんな人この世の中になかなかいないと思う。だからこそ。ぜひ『平岡手帖』の定期購読をしての応援、よろしくお願いいたします。

(平岡手帖制作委員会_佐塚真啓)

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