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春分・秋分の⽇に世界中で開催されている (らしい) パフォーマンスアート・イベント『Same But Different (Equinox) 』@岩淵水門

春分の日。この日はまさに花曇りで、すこし気の早いお花見客が、5分咲きほどの、白桃色の “ぼんぼり” をちらほらまとった桜の下で憩っていた (その後の天気を鑑みると、この日が、東京近郊の一番のお花見日和だったかも知れない)。そのまま歩き続けると、今は役目を終え、流れに身を遊ばせる旧岩淵水門 (赤水門)、さらには、荒川と隅田川を結ぶ岩淵水門 (青水門) に辿り着くけれど、赤水門を過ぎた辺りからはもう桜もまばらで、ロードバイクや、散歩中と思しき歩行者が通り過ぎていくだけの場所だ (時折、青水門の欄干の縁に座って、ライダーがバイクのメンテをしているけれど)。 

そんな2つの門を結ぶかのように、パフォーマーさんたちは点在していた。青水門を少し過ぎた辺りに広がる草地、川の突端に位置して、小高い位置から、赤水門の方を見やることのできる場所 (ベンチもある) では、男女のパフォーマーさんが、メトロノームを持って踊っている。胸高に掲げていたかと思えば、メトロノームを載せた右手をゆっくりと横に伸ばしたり、片手で支えたまま斜面に寝転がったり…を、5m程の距離を保ちながら、向かい合って続けるお二人は、その動きに伴ってじりじりと赤水門側へと移動している。

青水門の脇から、川縁の草深いところへと伸びる階段の “踊り場” では、男性のパフォーマーさんが、粗いコンクリートの面にドローイングを施している。灰色の面に走る白色の軌跡は、ブロックをところどころ塗り潰しつつも一続きになっていて、階段を数段降りたところ、さらには水門の反対側の階段に至るまで続いていた (パフォーマンス終了後、再度眺めに行くと、律儀に水で消されていた)。

赤水門側に移動した女性のパフォーマーさん (と、カメラマンさん) は、川のほとりに座り込んで、あたかも風景を写生するかのように画帳を開く。暫くの後訪れると (同時にパフォーマンスが展開されているため、赤水門と青水門の間、歩いて4、5分のところを行き来していた)、描き終わったようで、作品を汀の切り株に立てかけていた。そこには「OFF LEASH AREA MUST BE UNDER CONTROL」の文字。今度は、赤いブックカバーの本を取り出し、読み始める。朗読らしく、響きが薄く聴こえてくる。

目線を上にあげると、腕ほどの長さの枝を、花束の如く何本も束ねたものを担いだ男性が、赤水門の上をゆっくりと渡っている。その人を見かけるのは初めてではなくて、水門と水門を行き来する間にも、何回かすれ違っていた。時折立ち止まって、束を恭しく掲げている。

これらのパフォーマンスは14時過ぎから始まり、2時間をかけてゆっくりと、赤水門と青水門の間に広がる原っぱ、その青水門寄りの斜面へと収束していった。赤水門近くで写生と朗読をしていた女性は、なだらかな縁に腰を下ろし、同じ本を読んでいてその周りではメトロノームを持った二人が、女性を間に挟みつつも、同じように向かい合っている。地面にドローイングしていた男性、カメラマンさん、枝を掲げた男性も徐々に集まって、関係者や、他の観客と思しき数人も集まって、これまでは、川の利用者 (お花見をする人、階段の真ん中で体操する人、ペットのフクロウを肩に乗せた人…と、パフォーマー以上にパフォーマティブですらある人たち) の中に溶け込むように、イベントであることすら知らなければ分からず、これらのパフォーマンスを結びつけることも当然できない状態だったものが、しかし確実に進行していて、にわかにその濃度・密度を増したよう。刻限の16時を少し過ぎた辺りで、パフォーマンスは静かに終了し、鳴り続けていたメトロノームも止まった。12時を知らせる鐘の音と共に魔法の解けたシンデレラとは逆に、振り子の律儀な響きが止んだことで、パフォーマーさんたちの身体も日常に戻ったらしい。私も観客から通行人に戻り、この場を後にした。


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