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【新教養】「老いない科学」の最前線を見よ

死ぬまで健康で暮らしたい。誰もがそう願う未来に、私たちはすでに片足を突っ込んでいる。
がん・心臓病・脳卒中の根本原因である「老化」が、医学による「治療」対象になりつつある。「老いにともなう機能不全」が解消される未来に、私たちはいま、どのように備えることができるだろうか?

世界14カ国で刊行されている医学界絶賛のベストセラー『AGELESS(エイジレス)』(アンドリュー・スティール著)がついに邦訳され、11月30日(水)に刊行される。それを記念し、本書から一部抜粋してお届けしよう。

驚愕のスピードで進歩する医学

人類が長生きして平均寿命の針を動かしはじめたのは、ここ70年ほどのことだ。理由はおもに医学の長足の進歩とヘルスケアの充実だった。

1950年には、いまやテレビドラマで見飽きるほどの心肺蘇生法すら発明されておらず、ましてや自動除細動器、ステント〔訳注:人体の血管などの狭窄部を内側から広げる管状の器具〕、病院での冠状動脈疾患集中治療、心臓バイパス手術など、現代医学に欠かせない機器や治療法は、まだひとつも実現していなかった。

ただし、現代における薬や機器や手術の発展は、あらゆる年代の多種多様な病気の治療を向上させたが、その効果はとりわけ高齢者の生存率を高めるのに重要だった。感染症が大幅に減った結果、今日の致命的な健康問題は心臓病やがんであり、それらはおもに人生後期の人々がかかるからだ。

健康寿命はどれくらい延びているの?

他方で、平均寿命と同様に「健康寿命」も延びていることも忘れてはならない。

イギリスの1991〜2011年の変化を調べた研究では、 65歳の人の平均余命は約4年延び、認知機能障害なしで生きた年数も増えていた。人々に自分の健康状態に関するアンケート調査をすれば、健康にすごしたと答える年数は同じくらい増えるだろう。

健康寿命が全体的に延びているという見解には、どうしても条件や解釈の微妙なちがい(どの状態を健康とするか)がかかわってくるが、医療ケアがたんに体の弱った時期を長くしているというステレオタイプの考え方よりはずっと前向きだ。

また、これらの話は裕福な国々に限定されることではない。少なくとも1950年以降、歳入が少ないか中程度の国々も、歴史上運よく先に進んだ国々に急速に追いついている。インドの平均寿命は1950年の36歳から2020年の69歳へとほぼ2倍になり、前世紀の世界に見られた健康の不平等はいちじるしく縮小した。

全体として、いまは平均寿命が65歳を超える国に世界人口の90%が住んでいる。60歳を超える国で見れば99%だ。もちろん、まだ平均寿命が短い国を支援する義務はあるが、50年前とちがって、それは世界の半分ではなく例外的な国々だ。

老化の時代(エイジ・オブ・エイジング)

だが見方を変えれば、人類史上まれな事態として、私たちはみずからの成功の犠牲者になっている。悪影響のある微生物の撃退、公衆衛生の向上、健康的なライフスタイル、現代医学、教育の浸透と富の増加が同時に進行した結果、新たな厄災に直面したのだ――「老化」である。

世界のどこに住んでいようと、まずまちがいなく長生きして、老化にともなう体力低下、自立性の喪失や病気を経験することになる。いまは老化の時代(エイジ ・ オブ ・ エイジング)なのだ。

この老化の時代を、当事者である私たちが正しく評価するのは難しい。悲劇的な事故や病気で早逝する人は例外であり、大多数の人は、教育、仕事、引退という従来の3段階の人生を楽しみ、そうすることに普遍性があると考えてしまうからだ。

世界の6人に1人が65歳超え

私たちはまず数十年を教育に費やす。学習と成長に最適の長さを感情抜きで分析したからではなく、早く次の段階に行って働きはじめなければならないからだ。

そして40〜50年間、生活のために、あるいは税金を払って次の若い世代と自分より上の世代を助けるために、そして自分が年をとったときの蓄えのために金を稼ぐ。職歴もそれを反映して40〜50代まで地位が着実に上がり、そこからはペースダウンする。

この時期の長さと性質も最適化されているわけではなく、たんに歴史上の偶然で決まっている。20世紀前半に、深刻な健康障害が始まる年として「引退年齢」が定着したからだ。

いま生きている人たちは、だいたいこのように教育・仕事・引退の3段階に分かれた人生が長い歴史を持っていると信じがちだ。しかしじつはたった50年前でも、引退後の生活を楽しめるほど健康に長生きする人の数はいまよりずっと少なかったのだ。

世界的に平均寿命が延び、出生率が下がったせいで、1960〜2020年のあいだに世界人口そのものより速いペースで65歳超の人の数が増えた。1億5000万人から7億人だから、約5倍であり、2050年までにはこれが倍増して15億人になると予測されている。世界人口の6人にひとりが65歳超になるのだ。

そして寿命と同じく、人口の老化も富裕国より発展途上国のほうが速い。フランス、アメリカ、イギリスは、60歳超の層が全体の7%から14%に倍化するまでに、それぞれ115年、69年、45年かかったが、これからブラジルが同じ移行をするのには25年しかかからないと見られている。貧しい国々にとって、将来の老化の大波に適応する時間がいっそう少なくなるのだ。

「定年80歳」の時代

いますぐ行動を起こさなければ、この老化の時代の社会的、経済的影響はかなり大きくなる。

年金の例がわかりやすいだろう。私が暮らすイギリスでは、2018年12月に、約1世紀ぶりに男性の国民年金支給開始年齢が上がった。その間、平均寿命は23年延びていた。国民の寿命がこれだけ延びているのに、いまや政府の最大級の支出項目になることが明らかなこの支出項目に歴代政権が手をつけず、座視していたというのは衝撃だ。

ただ、めったに注目されないが、明るい要素もある。健康寿命がはるかに長くなったおかげで、現在の65歳の多くは昔の65歳より高い能力で働いて経済に貢献し、老後のために蓄えることができる。

引退後の生活は昔と比べて長いだけでなく、健康で豊かになるかもしれない。1920年代の65歳は本当に老人だった。そこまで生きられるのは全体の半分あまりで、当時の65歳はおおむね現在の80代前半に相当する。定年が80歳になると言うと驚く人もいるが、65歳を超えても元気に働けるチャンスは明らかにある。

「教育・仕事・引退」という3段階人生の終わり

さらに視野を広げれば、いまの老化の時代には、長くなった人生の3段階を見直す必要が生じている。

生涯教育・訓練が今後ますます重要になるだろう。人生80年で最初の訓練と最後の引退生活を20年ずつとすると、その間の40年が職業生活だ。同じ公式を100歳に当てはめると、職業生活は60年になる。同じ仕事で60年働くのは長すぎる。その仕事自体がなくなるか、本人が飽きてしまうくらい長い。

50すぎはもはや引退までの数年間をすごすキャリアの最終段階ではなくなる。むしろ数年間、仕事から離れて、続く数十年をまったく新しいキャリアで生産的にすごすために訓練を受けることになるかもしれない。

職業生活も引退後の生活も長くなるとしたら、数十年働いたあと数十年のんびりするような生き方はせず、定期的にサバティカル休暇をとって教育に戻ったり、人生の節目で何度か旅行をしたり、新しい趣味を得たりするだろう。そもそもいまの3段階の人生設計がもっとも効率的というわけでもない。人生が長くなれば、なおさらだ。

かさんでいく一方の医療コスト

老化の時代のもうひとつの面は、手持ちの資産や時間のかなりの部分を老人の介護に使うようになるということだ。

手厚い診断や投薬治療のために、アメリカやイギリスの医療制度で、平均的な80歳は30歳と比べて約5倍の費用がかかっている。これも老化が社会に内部化された(産業化された、と言ってもいい)ひとつの形態だ。病院、介護施設、看護師、医師、行政官、製薬会社、医療機器メーカー、その他大勢が、経済の多くの部分を吸収する制度を作り上げている。

イギリスやドイツなどの典型的な富裕国はGDPの約10%をヘルスケアに費やし、アメリカの場合には、おもに老化にともなう慢性疾患によって、それが17%にまで達している。老人の長期の投薬治療と介護の必要性が高まれば、この分野での支出はさらに増える。

老化の病気を治療する「直接費用」に加えて、慢性病のせいで仕事をあきらめたり、身内や友人の介護のために労働時間を削ったりする「間接費用」も発生する。後者は隠されて政治的に無視されることが多いが、がんや認知症のような病気の間接費用はたびたび直接費用を上まわり、費用全体は膨大になる。

たとえばイギリスでは、無報酬の介護だけでも医療制度全体の予算とほぼ同じ額になると見積もられている。くり返すが、これも公的な計画には入ったことがない。公的資金の足りない部分を人々の愛情と責任感が補っているのだ。

老化の時代が全盛期に入ると、こうした負担はだんだん支えきれなくなる。年金の支払い、ヘルスケアやソーシャルケアに関して、有権者との率直な議論が必要だし、老化プロセスそのものの治療の研究を含む長期的な戦略を立てなければならない。

平均寿命が100歳を超える日

たとえ老化を人生の不変の事実と考えつづけても、まだいくつか改善の余地はあるから、世界の平均寿命はこのまま延びつづけそうだ。

がんや心臓病は完治が無理でも早期発見と治療の向上で寿命は数年延びるだろうし、ライフスタイルの改善が続けば、やはり数年分が足される。複雑な事象がからみ合って、ここまで驚くほど単純に寿命が延びていることを考えると、1年に3カ月の追加という現在の傾向をそのまま将来に適用してもいいのかもしれない。

すると、あと1世紀で平均寿命が25年長くなるという予測をすることもできる。2000年以降に世界で生まれた赤ん坊のほとんどが80歳の誕生日を迎え、運よく富裕国で生まれた子供はほぼみな100歳の誕生日を祝うだろう。

公式の予測も多くの人口統計学者も、最終的になんらかの内部的な要因で寿命の延びは止まると考えているが、まだその要因は具体的に見えていないうえ、悲観論者は過去に何度もまちがってきた。ある研究で、寿命の延びに上限を設けた14の予測を調べたところ、平均してわずか5年で、実際の寿命が予測値を突破していた。

老化の理解から「治療」へ

寿命が延びてきた最近の歴史は、人類にとっておそらく最高の足跡である。ほかのどんな科学的、技術的進歩もこれほど多くの人の人生をここまで根本的に改善したことはなかったはずだ。

老化というたったひとつの原因が人生の進路から経済、多数の制度、さらには大半の苦痛と死に至るまで、あまりにも多くのことを左右しているのはみじめだけれど、本当にワクワクすることでもある。この根本原因に科学的に取り組むことで、それらすべてを解決する道が開けるかもしれないからだ。

この老化の時代を終わらせるには、 「老化とは何か」を理解する必要がある。そうして初めて、「老化の治療」について考えることができる。したがって、本書『AGELESS』の何章かでは老化をくわしく探究し、そのプロセスの謎を解き明かしたい。科学は老化の構成要素をようやく理解し、私たち全員を老いさせる意外にも少数のプロセスを特定しはじめている。老化に関する生物学上の画期的な発見が、理論家や先駆者や変人たちによる非主流の奇妙な研究を、主流の正当な生物学の一分野にしていった経緯を見ていこう。

(本書『AGELESS 「老いない」科学の最前線』へ続く)

【目次】
はじめに
第一部 史上最古の課題
 第1章 老化の時代
 第2章 老化の起源
 第3章 「生物老年学」の誕生
 第4章 なぜ私たちは老化するのか
第二部 老化を治療する
 第5章 古きを捨てる
 第6章 新しき得る
 第7章 修復にいそしむ
 第8章 老化をリプログラミングする 
第三部 さらに長く生きる
 第9章 治療法の探求
 第10章 今すぐすべき、寿命を延ばす方法
 第11章 科学から医学へ
訳者あとがき