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ことばの軽さが気になる「独り言」

「全てはことばの乱れから」

先日、週刊誌の取材で、「小学校の入学式で、校長や来賓の挨拶に飽きた新1年生が暴言を吐いた。」ということを伝えた。大阪で問題となっている小中髙の校内暴力行為・恐喝・虐め問題に対応する大阪市についての取材だった。ことばの乱れは幼児から始まる。それは、子育ての過程で親から覚える事が多いのだが、幼稚園や保育園で友達から影響を受けることも多い。いずれにせよ、ことばの乱れの源は家庭にある。ことばを使い、物事を考え、理解し、伝えるのだから、ことばの乱れはそのまま子ども自身の悪しき性格や人格を構成していくことになる。親や大人は、もっとことばについて注意を払うべきではないだろうか。

政治家の発することばの問題は常に後を絶たない。石原伸晃環境相の「金目」発言、都議会の塩村文夏議員への心ないヤジ、ことばは丁寧だが、事の本質とは裏腹な発言を繰り返す安倍総理の「国民の平和と安全と幸せ」発言。消しようのない暴言と、偽りの発言(あくまでも私の主観)、こうしたニュースを聞き、子ども達はどのようにそのことばを受け取るのだろうか。原発事故で傷ついた福島県民への蔑視、あろう事か環境大臣の発言であったこと、不妊に悩む女性を根底から否定する男性都議会議員のヤジ、政治家としての品位というより、人としての存在を疑われる言動に深い憤りを感じる。子ども達は、間違いなくこうしたことばが飛び交う環境下で成長しているのだ。子ども達の手本になるどころか、ことばによる犯罪行為を繰り返す大人達に、子ども達から沢山のヤジが飛んできそうだ。

中3では公民という教科がある。ここで、日本国憲法について子ども達に説明をするのだが、今現在、この説明について、教育現場でどう伝えればよいか悩んでいるという。最も大切な憲法の序文には、最も重要な柱である日本国憲法の精神が書かれている。この精神を伝えられないと社会科担当が悩んでいる。何故なら、国会で審議されている集団的自衛権と相反するからだ。しかし、何も悩む必要はないだろう。そこには、集団的自衛権を行使できる旨の内容は書かれていない。政府は、「解釈」ということばを使っているが、これは論理のすり替えだろう。国語的に見て間違いである。もし、現政府の方々をテストした場合、間違いなく0点となる。この解釈問題を、「欺瞞」という。憲法の根幹を成すその精神に対する解釈はたった一つだ。

私は、この日本国憲法の精神を堂々と子ども達に伝えたいと思う。私は、ゼロ・トレランス指導に賛成した。暴力的な子ども達と大人が真剣に向き合うべきだと思うからだ。けして力は力で解決出来ない。排除は簡単だ。しかし、教育の原点は「愛」だ。教師は生徒を決して見放してはいけない。その気持ちをゼロ・トレランス指導に託したい。

間違いなく、集団的自衛権は閣議で決められていくのだろう。他国の戦争に加わる自衛隊の姿を想像してしまう。こうしたリスクを論じることなく、軽い気持で「国民の平和・安全・幸せ」ということばを語って欲しくない。彼らも国民のはずだ。

ことばは人格を表す。私がよく使うことばだが、こうした形で人格を表して欲しくなかった。子ども達の前に立つ大人として、申し訳なさでいっぱいになる。

2014/6/20


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

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