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分からなくてもいい。

最近、書くのが楽しくなってきた。
書ききることが嬉しくて、
自分の文章を読んでは、満足している。
最強にコスパの良い、おもちゃが手に入った気分。(笑)

一方で書くこと以外に、全くやる気が出ない。
本を読みたくて、カフェに入るのだけど、
どこか上の空な感じ。
常に時間を気にしてソワソワしてしまう。

昼からは、週末の指導に向けた資料作成をしよう~!
なんて、思っていたけど、
アイデアが全然振ってこなくて、教材さえも
まともに作れない。

そんな私はスイカゲームに逃げる。
大好きなラジオを聴くことに逃げる。
ラジオも、配信映像付きを見るなどして没頭しようとしてみる。
何をやっても、なぜか楽しくない。

いつもは、動くはずの感情が動かない自分に焦る。
やらなきゃいけないことがあるのに、
それができない自分に焦る。

周りはみんな頑張っているのに。
やらなければいけないことがあるのに、
自分は何をやっているのだろう。

目指したい自分・演じたい自分がいるのに。
なぜそこにモチベーションが湧かないのだろう。

色んな「なぜ?」との葛藤の末、私は今、文章を書くことで
焦りからの解放を期待している。

書くことは形跡として残る。
何かやったという達成感には
ちょうど良い作業だ。

なんて書いていると、私は、
私が嫌いな「こうしなければならない」で、
自分に制約をかけていることを理解し始める。

そして、この焦りに他者を介在させることで、
自分自身をさらに追い込もうとしている自分に気づく。


そんな制約どこにもないはずなのに。
たまには休むことも、人間には必要なはずなのに。

このような休む暇でさえ私は私に与えないようにしている。

休んでもいいかな。
と思う私の声をかき消そうと言わんばかりに、
休むな!動け!やらなきゃいけないことが山ほどあるだろ!
と、叫ぶ声が聞こえてくる。

私は、常に生き急ぐ人間だった。
自分を客観視して、そう判断しているし、
私の言動から、他者もそのような評価をしている。

分からないを分かりたいという欲が、
強すぎることを象徴した行動なのだろう。

声のでかい生き急ぎ人格に何も違和感を持つことなく、
色んな意見を持った私が必死について行っていたイメージ。

しかし、分からないこと・分からなくても良いことは、
山のようにあるらしい。

だから、分からないをそのまま放置して、
将来の私にその答えを委ねるという選択をしてもいいのかもしれない。

生き急いでいる。と自分で判断できるような行動は辞めてみよう。

そんな風に思った。

まだまだ、腑に落ちてはいないけど、
できるようになるために、
未来の自分・流れる時間に身を委ねて、
感情のままに生きてみることを意識することから始めてみる。

なんて書いてる今日は、
オールナイトニッポンのパーソナリティ発表の日。
私の大好きなパーソナリティは今期も続くことが分かり、
ようやく、1日の中で、始めてプラスな感情が動いた。

嬉しい。
こんな小さな感情も拾って、
日常に彩りを感じることのできる人間でいたいな。

たまには、ゆっくり過ごそう。
と、生き急ぐ自分に「止まれ」を教えてみる。

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