由井檸檬

社会福祉士、精神保健福祉士。精神科入院経験者。

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    ──あの夏の写真を使って頂いた記事

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    ──ただそれだけの主観的事実

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    ──これは旅の記録

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ここが地獄じゃあるまいし

 とある地方の十字架が掲げられた病院から僕の人生は始まる。病院職員だった母は、僕を院内保育に預けてから持ち場で担当業務に就いていた。敷地内に教会があって、マリア様の像もあって。保育士さんによく連れて行ってもらっていたから、キリスト教は非常に身近な存在だった。 ◇  生まれ育った家には7人が暮らしていた。両親のほかに祖父母、姉、兄がいた。姉とは9歳、兄とは6歳、年が離れている。姉は文武両道を体現したような人で、非の打ちどころがないスーパーマンだった。一方で、兄は遅刻癖のある

    • 国民年金の行く末を案じる

       驚くニュースが飛び込んできた。国民年金の納付期間を5年間延長するという案を、厚生労働省が検証することになったらしい。  国民年金は、日本国内に居住する20歳から60歳未満のすべての人(会社員、自営業者、学生、無職者、外国人など)が国に対して毎月の保険料を納め、老齢となれば老齢基礎年金を、障害を負えば障害基礎年金を、死亡すれば遺族が遺族基礎年金を受給できるという社会保障制度の一つ。  自動車保険が交通事故に対して保険給付を行うように、国民年金では老齢、障害、死亡を"生活上

      • Mayday

         メーデー、メーデー、メーデー、こちらは檸檬、檸檬、檸檬。メーデー、こちらは檸檬。  位置は明かせず。されど、この電子の海のどこかにいるあなたに、この救難信号を届ける。  当職場の人員不足は危機的水準を突破。最前線の人間は過酷な消耗戦を強いられ、疲弊が際立っている。呼び出しによって休暇は取り消され、新たな休暇取得は極めて困難。英気を養う暇(いとま)すら、私たちには与えられない。  この窮状を上層部に訴えても「今は耐え凌ぐしかない」と状況は好転せず。微かな光さえも掻き消す

        • 暗闇を照らす眩い明かり

           「忙しい」を口癖にはしたくないと思っているものの、未だかつてないほどの忙しさを経験している。その忙しさは重要なプロジェクトを任されるようになったことに加えて、昨今の人員不足の皺寄せを受けていることが大きい。  バーンアウト──燃え尽き症候群の主たる症状は情緒的消耗感、脱人格化、個人的達成感の低下の三つ。このうち情緒的消耗感は既に自覚しており、残る二つのうちどちらかでも現れると、いよいよ収拾がつかなくなってしまうであろう。  僕にできるのは常に一人分の仕事。どのような環境

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        ここが地獄じゃあるまいし

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          愚かであったなら

           昔の自分はなんて愚かだったのか。ふとした瞬間にそのような自己嫌悪に苛まれることがある。でも、よく考えてみれば自己嫌悪に陥る必要はなくて、むしろ誇らしく思うべきなのだ。  何故か。もし過去の自分が愚かだと思えるのなら、それは現在の自分が賢くなったということだから。当時は思い至らなかったことも、今では理解できているからこその自然な感情だと思う。故に恥じることも、嫌悪することも必要ない。

          愚かであったなら

          ピノが教えてくれること

           本日を以て、令和五年度の業務は終了した。厳密には明日も明後日も出張があるから、終わってはいないのだが。それでも、僕がここで一年の奮闘を労ったって、誰も咎めやしないだろう。  ご褒美に冷凍庫に眠らせていたピノを開封した。ピノの良いところは、一口サイズで食べやすいところだ。ボリュームも控えめで、食べすぎてしまうことがない。全てにおいてちょうどいい。  四月からは体制が変わり、また一段と忙しくなる。「倒れる前に連絡くださいよ」って言ってくれる別部署の同期を得たことは、これ以上

          ピノが教えてくれること

          春が来てぼくら

           3月も中旬だというのに此の寒さは心身に堪える。仕事先では人事異動が発表される時期とあってか、詳しくは言えないもののとにかく忙しなく、僕自身も落ち着かない毎日を過ごしている。 ◇  「春が来てぼくら」というのは、アニメ『3月のライオン』で取り上げられたUNISON SQUARE GARDENの曲である。公式が公開しているMVを見ると、不思議とやさしい気持ちになれる。  『3月のライオン』は主人公・桐山零が人のあたたかさに触れながら成長していく物語でもあり、将棋界の厳しさ

          春が来てぼくら

          追想〈#20-◼︎〉

          #20-◼︎  自宅療養を経て復学するも数ヶ月を待たずして大学を退学した。講義中にバタバタ倒れるものだからもうどうしようもない。自分の努力次第でどうにかなる次元の話ではなく、この頃の僕がこの環境で何をやってもダメだったのだろう。  それからの出来事は胸にしまっておこうと思う。というのも、この追想シリーズは20歳までの僕の人生を、記録として残したいという動機によって生まれたものだからだ。20歳から先の話は、僕自身だけが知っていればいい。今のところは。  僕の人生には意味も

          追想〈#20-◼︎〉

          追想〈#18-19〉

          #18-19  実家から時間をかけて大学に通う日々が始まった。行き帰りの電車は人でごった返していて、身動きすらとれないことも珍しくはなかった。電車という密閉された閉鎖的な空間で、且つ身動きがとれないという状況に心は悲鳴を上げていた。  講義はそれなりに楽しかったのだが、演習系の科目に大苦戦をして、遅くまでキャンパスに残った割には何の成果も得られなかった。ここまで要領が悪かったのかと自分に失望した。そして事あるごとに失望を重ね、死にたくなった。  ある日は通学電車で倒れて

          追想〈#18-19〉

          追想〈#16-18〉

          #16  高校はビルの中にあった。多くの人が想像するような高校の校舎ではない。運動場もなかったから、授業などで運動をするときは公共施設を学校が借りていた。教室はいかにもビルの一室といえるものだった。最初は戸惑った。でも慣れた。  それよりも戸惑ったのが授業内容で、数学の授業が分数の計算から始まったことがショッキングだった。察するに、底上げ(ボトムアップ)方式の授業を展開しないと、授業内容についていけなくなってしまう生徒が出てくるからなのだろう。  僕が在籍した高校には不

          追想〈#16-18〉

          追想〈#15.後篇〉

          #15  何度も学校に行こうとした。朝、制服に袖を通してボタンを閉め、通学路に足を進める。しかし、途中でザワザワする。心がきゅっと縮んで、手足が震えるような感覚に陥る。堪えきれずに自宅へと引き返す。毎日がその繰り返しだった。  「定期試験だけでも受けたほうが良い」と先生から説得を受けていたこともあって、なんとか保健室で試験を受けるという日もあった。勿論、授業を受けていないので成績は壊滅的。僅かにあったプライドもズタズタに引き裂かれた。  不登校となり進路選択が難しくなっ

          追想〈#15.後篇〉

          追想〈#15.中篇〉

          #15  夏休み。僕は進学塾の合同合宿に参加していたが、心に深い傷を負ってしまい、受験勉強どころの精神状態ではなかった。会場のホテルで倒れてしまい、遠方から叔父が迎えに来てくれたことを覚えている。──あの日は大雨だった。  夏休みが明けた2学期からは長期欠席。担任の先生に「人間不信になってしまった。詳しくは話せない」と事情は伏せて理由を伝えた。母は僕が急に学校に行かなくなったものだから混乱に陥った。家族には随分と心配をかけてしまった。  やがてクラスメイト全員から僕のも

          追想〈#15.中篇〉

          追想〈#15.前篇〉

          #15  部活引退直前の夏のあの日、部活の同級生と所謂恋バナになった。「実は飛鳥ちゃんのことが保育園時代を含めて9年好きだった」という話を同級生にした。迂闊だった。悔やんだって後の祭りだけど、きっと死ぬまで後悔するのだろう。  その同級生は、僕のいないところで、「その話」を晒したのだった。飛鳥ちゃんにも伝わったし、悪意のある人たちにも伝わった。──あれは彼女たちにとっては揶揄いでも、僕はとにかく厭だったから、イジメだったと受け止めている。  飛鳥ちゃんの上履きが僕の下駄

          追想〈#15.前篇〉

          追想〈#12-14〉

          #12  中学校に入学したばかりの僕は、生徒名簿に飛鳥ちゃんの名前があることに気付く。小学校は別だったが、中学校では一緒になることができた。──なんたる幸運。別のクラスではあったものの、その幸運を噛み締めたいと思った。  最初の学期で僕は総務委員を務めた。学級委員長みたいなものだ。誰も挙手する生徒がいなくて、それならば自分が、という思いで立候補したことを覚えている。はっきり言って、僕には向いてなかった。ただのカッコつけだった。  部活は軟式テニス部に所属。いつも不機嫌そ

          追想〈#12-14〉

          追想〈#0-12〉

          #0-6  この頃のことはあまり覚えていない。微かな記憶の中では、まだ祖母が寝ているあたたかい布団に潜り込んだり、救急車のことを「ヘッコー(ピーポーというサイレンがそのように聞こえていたから)」と呼んだりする子どもだった。  両親は共働き。だから日中は保育所に預けられていた。そこで出会った飛鳥(仮名)ちゃんのことを僕は好きになった。飛鳥ちゃんとは、毎朝どちらが先に保育所に着くか、という結果が完全に親に委ねられている争いを繰り広げる日々。  やがて飛鳥ちゃんとは別々の小学

          追想〈#0-12〉

          友人たちの訪問看護ステーション開業によせて

           大学時代の友人たちが訪問看護ステーションを開業したので、遅ればせながら、お祝いの挨拶に伺ってきた。ホント遅くなってゴメンね。  僕の20歳の誕生日に、友人たちがリラックマのクリスタルパズルを贈ってくれたことは、この先も忘れないと思う。──そのお返しができなかったことは、ずっと、ずっと心残りだった。  思い返せば、当時から新規でサークルを立ち上げたりしていて、ゼロをイチにできる、創造性と行動力を兼ね備えた人たちだった。その後は学問を修め、臨床に生き、研鑽を怠っていないのだ

          友人たちの訪問看護ステーション開業によせて