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「ストーリーで語る」62ページに 掲載されました。

 これはフォロワーから見たもう一つの「ストーリー」である。
 あっきゃんさん(以下敬称略)の著書「ストーリーで語る」(CCCメディアハウス)が、1月出版され、62ページに私のことも少しだけ触れられている。このエピソードは、関係者の間では知られているし、スペースで一度あっきゃんが話しているが、あまり一般には知られていないと思う。本に掲載されたこの機会に、このエピソードに触れてみたいと思う。

ヘッダーとの出会い

 令和2年(2020)12月、私は休眠していたTwitterのアカウントを再利用して、主に税理士試験の合格ツイートを探していた。やがて、タイムラインには企業の人事担当者のツイートが増えるようになる。そんなとき、偶然見たアカウントのヘッダーに目が留まった。
 この瞬間、私は当時100数番目のあっきゃんのフォロワーとなった。これがあっきゃんとの出会いである。のちにお互い同じ通勤路の会社員同士だとわかるのであるが、あの日あの時あのアカで君に会えなかったら僕等はいつまでも見知らぬ二人のまま、だっただろう。(なんで東京ラブストーリー?)その後に起こることは、もちろん想像だにしなかった。

2代目五七調ヘッダーの誕生

 翌、令和3年(2021)。年明け間もないころ、あっきゃんが突然、ヘッダーを変えたいとつぶやいた。それに対するリプである。

 このリプがきっかけで、2代目のヘッダーが誕生する。初代のヘッダーは背景のみで、文字はなかったが、「御堂筋ここが私の通勤路」という川柳が加えられた。あっきゃんは気付いていないと思うが、ヘッダーの写真が撮影された場所は、芥川龍之介「枯野抄」の舞台となった、花屋仁右衛門邸の跡地、すなわち松尾芭蕉臨終の地でもある。
 その後、あっきゃん構文が誕生し、このヘッダーも多くの人の目に触れることになるのだが、この場所こそ、あっきゃん構文発祥の地にふさわしいといえよう。
 もともと、ダメ元で言ってみたのだが、意外にすんなり聞いてもらえたのが、うれしかった。これがきっかけで、私のことを認識してもらえるようになったと思う。
  今思うと、もしヘッダーが変わったとしても、結果はさほど変わらなかったかもしれない。このころは、あっきゃんなりに試行錯誤していたのだろう。私があのリプをしたのは、ヘッダーよりもツイートの内容で勝負してほしいという気持ちもあったからかもしれない。それだけに、「あっきゃん構文」を武器に、アカウントが伸びてきたのがうれしかった。

3代目ヘッダーへ

 夏になって事態は急展開し、あっきゃんが独立して、引っ越すこととなった。御堂筋が通勤路ではなくなったので、ヘッダーも実態にあわなくなった。まさに、その直前において、はじめて会話をすることができた。私はヘッダーは変えないでほしいとお願いすると、あっきゃんは少し考えて、安全のため東京の写真は載せない方がいいかも。文字だけを変えて、このままでいこうか。と、答えた。
 「御堂筋かつて私の通勤路」。たぶん、変わったことに気付いていた人は少なかったと思う。

ストーリーは続く

 違う世界で生きる二人に共通していたのは、「この街が好き」という思いだけだった。あのヘッダーのおかげで、私はリアルタイムで1年間のストーリーを目撃し、わずかでも関わることとなった。「ストーリーで語る」はその証でもある。私の一存でヘッダーを決めてしまい、なんか申し訳ない反面、自分にとっては誇りでもある。1年以上もあのヘッダーを使い続けてもらって、とてもうれしいと思っている。今後もこのアカウントを見守っていきたいと思う。


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