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人生には、ある日突然、奈落に落とされて残酷な時間が訪れます

家庭生活は順調なときばかりではありませんでした。
私たち夫婦は、長男を授かり福岡から東京へ戻ってきました。
しばらく、子供は長男一人でしたが、ソニーの子会社へ転職した時期に家を購入して新たな生活がはじまりました。
また、この後、次男が生まれ家庭生活は順調にいくだろう、と考えていた矢先、わが家に最大の危機が襲ってきました。

次男は生後10か月になっており、もうすぐ立ち歩きをするだろうというときでした。
そんなある日、体調が悪そうな次男を妻が、近くの小児科へ連れていき診察してもらったところ、すぐに大学病院で検査をしてもらうようにと、医師は紹介状を書いてくれました。
妻は、一度自宅に戻ってきて、その足で私といっしょに、大学病院へいき必要な検査をしてもらいました。
検査の結果、次男は、ある重篤な病気でした。

直ちに入院しました。
医師は、この病気のなかでは、比較的一般的なタイプなので治療法がありますから、あまり心配しないでください、と話してくれました。
この日は土曜日でしたが、私は、次の週いっぱい休みを取り、毎日午後、大学病院へ妻といっしょに通いました。
私は、この一週間だけでしたが、妻は、これから3年弱、病院へ毎日通ってくれました。
完全看護の病院でしたから、私たち夫婦は、午後1時から午後5時まで4時間次男と面会することができました。

それでも、当初は感染症の心配から無菌室に入れられていましたから、抱っこしたりすることができません。
妻は、途方に暮れていましたが、わが子のけなげな姿をみるたびに勇気づけられたのでしょう。
面会すると元気を取り戻していました。
妻にしかわからない苦悩と苦労の日々がはじまりました。
精神的にも肉体的にも大変な生活になっていたでしょう。

子供をもつことができた喜びから6年の歳月が過ぎていました。
人生には、幸福な時間とともに、残酷な時間もやってきます。
それが人生です。
それをどのように克服していくかも、私たち家族に突き付けられた運命でした。

次男の重篤な病気も、大学病院の医師に助けていただきました。
若い医師でしたが、私たち家族に対して親身にしていただき、いろいろな相談に乗ってもらい、これからの治療方針や具体的な治療方法についても丁寧に説明をしてもらいました。
偶然、医師の子供さんとわが家の長男がいっしょの幼稚園へ通っていたこともあり、本当に、身近に私たち家族に寄り添っていただきました。
現在、同じ市内で開業されていますが、次男が就職するまで毎年大学病院で検査をしてもらっていました。

次男は、今では元気になり、驚くくらい、家族の中で一番行動的な人間になりました。
現在でもクラブチームでバスケットをやったり、カントリー音楽にはまり、地方にあるカントリーカフェへいったり、あるいはビンテージのアメ車を所有し、関東や信州を中心に仲間たちといっしょに乗り回しているようです。
会社の仕事では、タイや中国など、海外出張を頻繁に担えるほどになりました。

人生には、よいことばかりが起こるわけではありません。
それをどのように乗り越えていくかということを、私たち夫婦は知ることになりました。
しかし、そのおかげで家庭はまとまり、さらに強い絆ができたのかもわかりません。

これからも問題はあるでしょう。
それをいかにして乗り越えていくかも人生でしょうか。
それにしても、わが家は、よき出会いに恵まれているのかもわかりません。
次男の主治医は、命を助けてもらった大恩人です。
わが家は、医師に、ただ感謝の言葉しかありません。

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