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最後に大仕事をやりとげたナンバー2

私が入社したある企業には「なんにも専務」と揶揄される方が在籍していました。
その企業のナンバー2でしたが、ワンマン社長(創業者)の前では、他の管理職の人間となんら変わらない立場でした。
私たちと同じように、怒鳴られまくる、という具合です。

それでも大手都銀の出身者であり、東京大学出身でしたから、専門的な知識をもっておられたと思います。
ただ、なにを相談しても決断してくれないものですから、私たち管理職は、直接社長のところへいくことになります。

社長室にいけば、だいたい無事に終わることはありません。
怒鳴られ、物が飛んでくるなど当たり前でした。
私は、殴られなければ問題ありませんから、いつも堂々としていました。
私のそのような態度も社長は気にくわないのでしょう。
なかなか稟議がおりませんでしたが、再度、社長のところへいけば、簡単に稟議の承認をもらえました。
いわば人にブラフ(脅し)をかけて、その人の様子をみるタイプの経営者なのです。
びくびくすることもないのですが、人は、人間の本質をみることが苦手な生きものです。
私とて同じですが、脅しタイプの人間には、妙に強いのでした。。。
他の管理職は、怖くていけないようでしたが、いかなければさらに追い打ちかけるように、社長室へ呼ばれて怒鳴られます。
それでも、多くの人は、このようなタイプの人間は怖いようです。

管理職の多くは、2か月もてばよいほうだったでしょうか。
採用を担当する人事部長も大変でした。
社長に呼ばれては、無理難題を言われて、次の管理職を探さなければなりません。
どれほど採用を繰り返していたことでしょうか。

こんな社内状況でしたが、このナンバー2は、危うきに近寄らず、を決め込んでいたのでしょうか。
毎日、たんたんと仕事をしているのか、仕事をしているふりをしているのかわかりませんが、いつも我関せずを貫いていました。
こうなると、誰も相談しなくなり、部長や課長などで会社の方向性を検討していくことになります。

良い話になるわけがありません。
いわゆるその日暮らしの仕事になっていきます。
当然のように業績は悪化し、銀行から融資の引き上げを打診されたりと、資金繰りは急速に悪化していきました。

私は退職勧奨などをおこなっていましたが、ナンバー2の専務は、珍しくなにやら忙しそうに動いていました。
この企業のメインバンク出身ですから、社長は銀行の人質だ、といっていましたが、なんのことはありません業績悪化で銀行からの新規融資は止まり、まさに企業は火の車でした。

資金繰りに行き詰まり、企業は、だんだん息の根を止められる状況へはいっていきました。
企業の修羅場とは、このようなものか、と体得しました。
多くの社員は、私もですが、倒産は時間の問題だと考えていたでしょう。
そんな折、この専務が事業売却を決定してきました。
これまでの銀行融資をすぐに完済し、創業経営者の窮地を見事に救いました。
創業者は会社を去りましたが、売却時に在籍していた社員は全員雇用されました。
私は、退職勧奨を終えると同時に退職していましたが、社員の顔を思い出して、ひとまずよかったと、思っていました。

私は、このような結果をみながら、創業経営者がもっとはやく経営体制を構築しておれば、このような結果になることもなかったのではないか、と感じていました。
この企業だけではありませんでしたが、中小企業でも人材は確実にいるのです。
その人たちを活躍させる仕組みをつくりきれないのです。
経営者の資質といってしまえば、それまでですが、このような経営者が多いことが、わが国の生産性の低さの一因なのかもわかりません。

それにしても、ナンバー2の最後の仕事は見事でした。
社員を救い、銀行融資の返済を実行し、創業経営者を救ったのですから。。。
私には到底できない仕事です。

事業が売却され、社員の人生もそれぞればらばらになりましたが、社員のなかには大手企業へ転職され、よき職業生活を送られた方もいます。
人生というところは、誰にもわからないことがおこります。
栄華を極めた自社ビルは解体され、跡地にマンションが建っています。
私は、人を活用できない最悪な経営スタイルから、人を中心に経営体制をつくることがいかに重要かということを身をもって学ぶことができました。
もっとも、私は、その後も、このような経営体制の企業に縁することが多かったでしょうか。
私がみてきた範囲では、中小企業というところは、経営者を中心に課題が多いところでした。
それでも多くの可能性があることを知ることができ、私の職業人生を意味あるものにしてくれています。

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