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手間をかけたい理由: 2つの母親への抵抗

先日の記事で、髪型をショートにしたと書いた。

普通、短い髪は手間がかからないはずだ。
が、そうでもない。
胸の下まであったロングヘアと同じくらい、道具も時間も必要だ。むしろ、新しいヘアアイロンを買った。ロングならクセ毛を活かせたので、ドライヤーだけでよかったのだが。

最も世話が焼けるのは、前髪。
以前は、あご下まで伸ばしていたが、ショートにするのと同時に前髪も切った。短くすると、クセが暴れだす。それを落ち着かせるために、ドライヤーとアイロンとスプレーを駆使する。仕上げにオイルでまとまりを出す。

でも、面倒だとは感じない。必要なことだと思う。
ロングにしても、ショートにしても、私は手間を「かけたい」。

外見が母親っぽくなることに抵抗があるのだ。21才で1人目の子を出産した時からずっと。
例えば、“ママコート”と呼ばれていたロング丈のダウンなんか、絶対に着たくなかった。子供たちの世話で余裕がない時期や、お金がなくて服や化粧品を買えない時期もあったが、「母親のドレスコード」から外れることにはこだわっていた。
髪型も同じで、子供ができると楽な髪型にする人が多いけれど、自分はそれは嫌、という考えだ。ショートなら、前髪を長くすれば格段に楽になるが、それはしたくない。毎日スタイリングが必要で、頻繁にカットしなければならず、目に入りそうだけどギリギリ我慢できる長さの、まぶたにかかる前髪がいい。

初めて妊娠した時、私は周囲のお母さんたちより若かったので、なんとなく浮いている気がするというか、疎外感があった。
そういえば、当時住んでいた新宿区の母親学級に参加したら、20代前半の参加者は私ともう一人だけだった。アイメイクの濃い女の子だった。住所は歌舞伎町って、そんな分かりやすいことある?と私は思った。パートナーの協力は得られないと言っていたけれど、彼女は今頃どうしているだろう。
とにかく、ここでは自分はマイノリティだと感じた。多数派の母親たちが匂わせている「安定感」を、私はひとかけらも持ち合わせていなかった。
ならば、私はそっちには混ざりませんよ、と思った。

……というのが、つい最近まで意識していた、私のストーリー。
でも、先日、夫とほかの話をしていた中で気付いたのだが、私のこだわりには別の理由もあるかもしれない。

自分の母親だ。
私が子供の頃、母は地味だった。化粧品はファンデーションだけ。しかも、ずっと同じ商品を使っていて、なくなるとレフィルを買っていた。マスカラも口紅もなし。洋服に関しては、「新しい服を何年買わずにいられるかな」という母の言葉が忘れられない。
そんな母に対する、父(夫)の評価が、要だったのではないかと思う。
いつだったか、家族で出かけたときに、着飾らない母を見て、父が「自分は短いスカートとハイヒールが好きだ」と言ったのを覚えている。
そして母は、そんな父を相手にしなかった。

お互いに、相手を男として/女として評価していなかった。父と母の間にあった緊張感と白々しさが、今の私に影響している気がする。私は、当時の母のようになりたくないのかもしれない。

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