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サンタクロースっているんでしょうか

小学1年生のクラスの保護者のWhatsAppグループで、こんなメッセージの共有があった。

小さい子どものいる方へ。この映画は、ネズミのペレスは存在せず、東方三博士は両親だと明らかにしています。

ネズミのペレスは、子供の抜けた乳歯をお金と交換してくれるネズミ。枕の下に入れておいた歯が、朝になると硬貨に変わっている、というやつ。
東方三博士は、1月6日に子供たちにプレゼントを持ってきてくれる。スペインでは伝統的にはサンタクロースではなく三博士だったのが、最近は両方からもらえたりするらしい。

つまり、メッセージでは、Netflixで見られるその映画について注意喚起がなされている。幼い子の夢をぶち壊しかねない、と。

東方三博士が実は両親であることを、子供に知られないようにする。事実を暴露する映画は見せないようにする。
微笑ましいことかもしれない。自分がかつて、子供の頃にサンタクロースや三博士を信じていたのが良い記憶だからこそ、我が子の純真な心をそっとしておきたいと思うのかもしれない。
でも、私はなんだか引っかかる。それは子供に子供らしくいてほしい大人の幻想ではないだろうか。大人は信じていないくせに。もし漠然とでも信じていたら、自分が買った贈り物を「サンタクロースからだ」とは言えないと思う。

これについて考えると、思い出すことがある。
私が小学生の頃、「サトラレ」というテレビドラマがあった。頭の中で考えていることすべてを周囲の人に悟られてしまう男についてのストーリーだった。
ある日、同級生が「サトラレは本当のことだ」というので、私は驚いた。
「あれはお話でしょ?」と、私は反論したが、友人はきっぱりといった。
「でも、うちのお母さんは本当にあるって言ってた。そういう人がいるって」
私はその時、思った。「お母さんが言ってた」というのがこの子の口からでまかせではなく事実だとしたら、なんて無責任なんだ。遅かれ早かれその子は「本当じゃない」と気づくはずで、その時にがっかりするだろう。親に対しても失望するかもしれない。騙されたと言ってもいい。

サンタクロースの存在を信じることは、テレビドラマの真偽とは意味合いが違うだろう。でも、なにか通じるように思える。

私自身はサンタクロースに関してどうだったかというと、両親があまりイベントに注力しないほうだったせいか、サンタクロースから贈り物をもらったことがない。だから、「いる・いない」も考えたことがない。

レイモンド・ブリッグズの絵本『さむがりやのサンタ』みたいなサンタクロースだったらいいな、と思う。「やれやれ、またクリスマスか!」と、ぼやくサンタクロース。

ところで、ごく個人的に、目に見えないものは「ある/いる」と思っている。そのほうが、私にとっては世界の現実味が増す。
そして、この感覚は私が何歳になっても覆されることがない。それは、誰かが仕向けたり仕組んだりしているのではなく、私自身が自分の中で大切にしているからだ。
なんの証拠もないけれど。

この記事のタイトルは、以下の本の題名。幼い頃、祖母がプレゼントしてくれた。
信じる心について書かれている。


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